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『蒼い霧の向こう側 』
神代 誠一ka2086)&クィーロ・ヴェリルka4122


 リニアの車両には、微かな空調の音と青白い光だけが満ちていた。
 窓は透過度が調整されており、地下軌道を走行中は外の様子は全くわからない。
 もっとも窓が透けていたとしても、ただ塗りつぶされたような闇が広がるだけだろう。
 神代 誠一は座席に体を預け、黙ったままで車両の前方に浮かび上がる情報パネルの文字を見るともなく見ていた。
 全て、リアルブルーではありふれた光景だ。
 高速で走るリニアがほぼ無音なのも、発車や停車の際の振動がないのも、その軌道が地下に作られているのも、リアルブルー民にとっては何も驚くことではない。

 だが、もしクリムゾンウェストの住民を連れてきたなら、『異常な』体験にパニックを起こしてもおかしくはないだろう。
 そんなことを思いながら、そっと通路を挟んだ隣に座るクィーロ・ヴェリルの横顔を窺う。
 この車両にはほかの乗客はおらず、図体の大きな男が2人用の座席にぎゅうと収まるのもなんだか妙な感じがしたので、自然とこうなった。
 とはいえ、誠一にはクィーロを暫くそっとしておいてやりたいという意図もあった。

 クィーロの顔は車内の照明を受けて、やや青ざめて見えた。
 金色の瞳は、食い入るように情報パネルを見つめている。
 少し前、誠一を見据えていたあの日と同じ、縋り付くような瞳だ。

『誠一……あのさ……ちょっとお願いがあるんだけど……いいかな……?』

 互いを相棒と呼ぶ仲のふたりだ。
 今更こんな調子で、真剣な眼差しで、『お願い事』とは只事ではない。
『ん? どした? 借金以外なら相談に乗るぞ?』
 誠一は、表面的にはいつもと変わらない冗談を返し、クィーロの様子を窺う。
 クィーロはほんの少し、顔をゆがめるようにして微笑んだ。それからまた表情を改め、リアルブルーへ一緒に行ってほしいと言ったのだ。
『リアルブルーへ? そりゃ構わんが、突然どうしたんだ』

 クィーロは誠一と同じく、リアルブルー出身だ。
 より正確にいえば、クリムゾンウェストの森の中でボロ雑巾のようになって転がっているのを発見されたときに、服装などからそう判断された。
 だがクィーロはそれを肯定も否定もできなかった。どこからやって来たのかどころか、自分の名前すら覚えていなかったのだ。

『もしかしたら……リアルブルーへ行けば、記憶が戻るかもしれないと思って』
 クリムゾンウェストの恩人には、とても良くしてもらった。今では誠一という、大切な相棒もいる。
 だが自分が何者なのか全くわからない。そこにあるはずの大事なものが、濃い霧に覆い隠されて見えない不安感。
 人はベースとなる『自己』を物差しにしなければ、世界を把握できないのだ。
『だから……』
 続く言葉を探すクィーロに、まるでちょっと飲みに行くのを承諾するような口調で、いつもの誠一の笑顔が応えた。
『いいに決まってんだろ。案内なら任せとけ』

 ――そしてクィーロと誠一はリアルブルーでの仕事の合間に時間を作り、ようやく今日、市街地へ向かっているのだ。
 クィーロが、ホームに滑り込んできた銀色のリニアに驚く様子はなかった。閉鎖された空間にも、体にかかる加速の感覚にも、不安がる様子はない。
 誠一はクィーロの横顔から、情報パネルに視線を戻す。
 そこに浮かぶ文字が、目的地到着を知らせていた。


 クィーロはムービングウォークに乗って移動しながら、流れる風景を無言で見つめる。
 これに問題なく『乗れた』ということは、これを『知っている』のだろう。
 やはり自分はリアルブルー人なのだろうと納得する。頭の中の霧は、一向に晴れる様子もなかったが。

 自分なりにわかる範囲で調べてみたが、記憶喪失にもいろいろなタイプがあるという。
 本当に何もかも――服の着方も母国語も――忘れるタイプもあるらしいが、ほとんどの者は日常の動作や言葉まで失うことはないそうだ。
 こうしてひとつずつ、知っているものを確認していけば、自分という存在を探り出すことができそうに思える。
 そのために蒼の世界に来る必要があったのだ。

 ムービングウォークを降りた後、誠一はクィーロを休憩所のような場所に連れていき、手にしていたカバンを押し付けてきた。
「俺の服で悪いが、着替えてこい。サイズはだいたい合うだろう」
 クィーロはきょとんとした表情で誠一を見返した。
「え? 誠一の服を着るの? ……これじゃ駄目?」
 いつも通りの服装だ。拾ってくれた森にすむ部族の衣装。特別な意匠の布に様々な魔よけのお守りや綺麗な飾りがついている。
 誠一が眉間にしわを寄せた。
「や、流石に目立つって、そのジャラジャラは……」
「誠一がそう言うなら……」
 クィーロは渋々という体でカバンを受け取った。

 着替えを済ませて、リニアの駅を出る。
 突然目の前に広がった光景に、クィーロは微かなめまいを感じた。
 雑踏を速足で行き交う、小奇麗な、似たような服装の人々。
 途方もない高さの建物はすべて、コンクリートやセラミックや金属やガラスでできていた。
 ところどころに、居心地悪そうに細い樹木がちょろちょろと生えていたが、どれも作り物だった。
 服よりもビルよりも、その偽物の樹木がクィーロの胸に不思議な感覚を強く呼び起こした。

 だがそれ以上のことは起きなかった。
 誠一が並んで歩きながら、クィーロを気遣ってくれた。
「大丈夫か? 何か妙な感じはするか?」
「……うーん、特に何も変化はないかな?」
 それは本当だった。
 最初のうちこそ多少の驚きはあったが、それもクリムゾンウェストとの比較であったと思える。
 実際、クィーロは他の人たちとぶつかることもなく、リアルブルー流の雑踏に自然に紛れ込んでいる。
「なんだか懐かしい様な、それでいて新鮮な……変な感じはするけどね」
「まあ確かに、クリムゾンウェストとは違いすぎるしな」
 そう言って誠一が笑う。
「よし、じゃあここからはクィーロに任せようか。好きなように歩くといい」

 それから暫く、クィーロは足の向くままに歩いてみた。
 表通りのブティックのショーウィンドウを覗き込み、シアターの看板を眺め、裏通りの雑貨屋の店先を冷やかす。
 まるで暗闇を手探りで進みながら、周囲を確認するような作業だった。
 やがて誠一は、クィーロの表情が少しこわばっているのに気付いた。
 歩く速度はどんどん早くなり、それなのに視線は徐々に下がっていく。
 訝しむうちにも、クィーロは俯き加減に、雑多な店が集まった通りをどんどん進んでいく。
「クィーロ、ちょっと待ってくれ。こっちだ」
 誠一は、クィーロの手を引っ張って手近の店に入って行った。
「んー……おっ、これなんかどうだ?」
「……?」
 クィーロは鏡に映った伊達眼鏡をかけた顔を、不思議そうに見つめる。
「これなら多少は誤魔化せるだろ? お、結構似合ってるじゃないか」
 ――誤魔化す。何を?
「ん、ありがとう」
 クィーロは反射的に答える。

 頭の中には相変わらず霧がかかっていて、薄れた部分から様々なものがチラチラと見えているようだ。
 まとめなければいけない。整理しなければいけない。けれど、霧が晴れたときにに現れる何かは、本当に欲しかったものなのか?
 誠一には、そんな気持ちを見透かされたようだ。
(かなわないな)
 そう思いながらまた通りを歩きだしたところで、不意に酷い頭痛が襲ってきた。
「ツッ……!」
 クィーロは思わずその場に蹲る。
「おい、大丈夫か?」
「ごめん、ね……ちょっと頭痛が……」
「体が慣れないうちに歩きすぎたな。ちょっと休憩しよう」
 誠一はクィーロの様子から病院へ直行するほどではないと判断すると、来る途中にあった小さな公園へ戻る。

 クィーロをベンチに座らせ、飲み物を調達して戻ると、わざとのんびりした口調で語りかけた。
「ゲーセンとか、久しぶりに入ったぜ。昔は指導で見まわったこともあったけどな」
 その間も軽く背中を叩き、クィーロの様子を見守る。
 冷たい飲み物で少し楽になったのか、クィーロは大きな息を吐いた。
「……誠一、ごめんね……折角一緒に来てくれたのに」
「いいって、気にすんな。頭痛、少しは落ち着いたか?」
 クィーロは小さく頷いた。


 それから時間の許す限り街中を歩き回り、特にこれといった発見もなく、ふたりはクリムゾンウェストへと戻ってきた。
 賑やかだが、時には馬や牛もみかける、色々な服装の人が行き交う大通り。
 低い建物はそれぞれの窓辺に、季節の花を咲かせている。あちこちからは煮込み料理のにおいが流れてくる。
 見慣れたクリムゾンウェストの光景だ。

 尻に振動が伝わる馬車に揺られて誠一の家まで戻り、クィーロはいつもの服に着替えた。
「服をありがとう」
「どういたしまして。結構似合ってたぜ」
 誠一はにやりと笑い、熱いコーヒーをクィーロに勧める。
「もう落ち着いたか?」
「うん。でも……何も思い出せなかった……かな……」
 ソファに背中を預けると、クィーロは目を閉じる。その顔は静かな笑みを浮かべていた。
「ふふ、でもそれで安心してる僕がいるんだ。記憶を取り戻す為に行ったのに、取り戻せなくて安心するなんて……可笑しいよね」
 誠一は向かいに座り、黙って耳を傾ける。
 クィーロは自分自身に語り掛けるかのように、静かな声で続けた。
「前を向くと決めたのは本当なんだ。昔のことを思い出すことに恐怖は無い。でも……」
 以前に読んだ、記憶喪失に関する記述が頭から離れない。

 ――記憶喪失の患者が記憶を回復した際には、記憶喪失だった期間の記憶が失われることがある――

 行き倒れの自分を助けてくれた人も、クリムゾンウェストで関わったたくさんの出来事も、何もかもなくしてしまう。
 それは過去を取り戻せないという漠然とした恐怖よりも、ずっと生々しく恐ろしかった。
 リアルブルーの市街を歩きながら、今この瞬間にも頭の中の霧が晴れて、代わりに一緒に歩いている誠一のことを忘れ去ってしまうかもしれないと思うと、頭の中がめちゃくちゃになり、疲れ果てた脳が考えることを拒否したのだ。

 クィーロはそのことを正直に告白した。
「……皆の記憶が消えてしまうかもしれないと思うと、これ以上踏み出すことには躊躇してしまうんだ」
 静かに目を開けると、穏やかな表情の相棒が黙って自分の言葉に耳を傾けてくれている。
 それがとても有り難かった。
「付き合ってもらったのに、ほんとごめんね」
 クィーロが頭を下げる。その頭を誠一が押さえて、くしゃくしゃと撫でまわした。
「それでも。一歩前進、しただろ」
「前進……?」
「ああ。お前にとって大事なものが確認できたじゃないか、クィーロ」

 クィーロは誠一の顔をまともに見返す。
 名を呼ばれたことで、大事なことが改めて浮かび上がる。
「うん。僕はやっぱりクィーロ・ヴェリルでいたいな……」
 それが生まれたときの名でなくとも。
 今、周りの人々とともにある自分を表す名は、クィーロ・ヴェリルなのだ。
「じゃあきっと、ここがお前の生きる場所なんだよ」

 相変わらず、クィーロの記憶には霧に覆い隠された部分がある。
 蒼の世界に繋がるはずの濃い霧に、今のクィーロは無理に踏み込もうとは思わない。
 ある日突然、その霧が晴れて何かが姿を現す日が来るかもしれない。
 それでも彼はクィーロだ。
 相棒はきっとそう言ってくれるだろう。
 だからこそ――。

「そうだね。だからこの世界でしっかり生きなくちゃね」

 微笑むクィーロの顔から、陰りは消えていた。


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【 ka2086 / 神代 誠一 / 男性 / 32 / 人間(リアルブルー)/ 疾影士(ストライダー)】
【 ka4122 / クィーロ・ヴェリル / 男性 / 25 / 人間(リアルブルー)/ 闘狩人(エンフォーサー)】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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長らくお待たせいたしました。縁あって相棒となったおふたりのエピソードをお届けします。
台詞などを当方で解釈した部分もあり、ご依頼のイメージを損なっていないことを祈るばかりですが。
もしお楽しみいただけましたら、幸いです。
なお、リアルブルーの光景は当方の解釈でかなり好きなように書かせていただいています。
大きく間違ってはいないと思いますが、リアルブルーにもいろんな地域があるだろうということでご容赦くださいませ。
この度のご依頼、誠にありがとうございました!
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2018年05月28日

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