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『魔女裁判』
満月・美華8686


 幕が上がった。
 舞台上から見る観客席は、暗闇そのものである。
 観客たちの、姿は見えない。だが拍手は聞こえる。
 スポットライトの中で、満月美華はしとやかに一礼した。
 綺麗にくびれた胴体は、清楚な白いドレスに巻かれて引き締められ、形良い胸の膨らみと、尻周りの肉感的な広がりを強調している。そんな優美な肢体を、長い金髪がさらりと撫でる。
 たおやかな腕で、大型の白い書物を携えたまま、美華は観客席に微笑みかけた。
 本日この劇場を訪れた淑女紳士が皆、舞台上の女性の美しさに惜しみない拍手を贈る。
 美華は、まずは言葉を発した。
「お忙しい中、お集まりいただきまして本当にありがとうございます。皆さんの貴重なお時間を今日、ほんの少しだけ私に下さい」
 大きくて分厚い、だが実はそれほど重くはない白色の書物を、美華は細腕で保持しつつ開いた。
「皆さんに、私を裁いていただきたいのです。私は……罪を、犯しました」
 その罪が、白い書物には記されている。
「困った事に、私にはそれほど罪の意識がないのです。悪い事をした、とは思えない……ですが、きっと罪を犯してしまったのでしょう。何故ならば今、私は罰を受けているからです」
 これは、お前が受けるべき罰だ。そう誰かに宣告されたわけではない。
 だが美華には、罰であるとしか思えなかった。
「どのような罪を犯し、どのような罰を受けているのか、それを今からお話ししたいと思います。罰があまりにも重過ぎる、と思って下さった方……どうか、お願いです。私を弁護して下さい」


「私は幼い頃、火災で両親を亡くしました。父と母が焼け死んでゆく様を、私は目の当たりにしたのです。見ていながら、何も出来ませんでした……それが罪だと言うのでしょうか? 確かに、今の私の力があの時あれば、両親を助ける事が出来たでしょうけど」
 あの時の美華は、何も出来ない無力な子供だった。
「その後、私の面倒を見てくれたのは祖父でした。ご存じの方いらっしゃるかも知れませんが、祖父は……黒魔術師です。白か黒か分類するとしたら、黒だと思います。私はそんな祖父から黒魔術を学び、おかげ様で今では魔女として、そこそこは大きな顔が出来るようになりました。ですが……」
 身体の中で、何かが震えた。
「私は……両親のみならず、祖父を守る事も出来ませんでした。それを罪と言われれば、返す言葉もありませんが……とても恐ろしいものが、父と母に続いて祖父までも、私から奪い去って行ったのです。その恐ろしいものの名は……死」
 美華の声も、震えている。
「私よりもずっと強大な魔力を持った祖父でさえ、死に打ち克つ事は出来なかったのです。私なんか……ひとたまりもないに、決まっています。私から父を、母を、祖父を奪った死が、いずれ私自身を……奪う……祖父を失ってからの、私の人生は……遅かれ早かれ確実に来る、その日を……待ち、怯えるだけの日々……」
 身体の中で震える何かが、凄まじい勢いで増殖してゆく。
 美華は、己の腹を押さえた。
「恐怖に耐えられなかった私は……契約を、しました……それが罪なのでしょうか?」
 押さえたその手が、弾き飛ばされた。腹部の、膨張によって。
「私はただ、命が欲しかっただけ……何度、死が襲って来たとしても尽きる事ない命を……それは皆さん、こんな罰を受けなければならないほど……悪い事、なのですか?」
 美華の腹が、丸く、大きく、膨れ上がってゆく。
 優美にくびれたボディラインを急激に失いながら、美華は語り続けた。
「私は、こうして自分の命を孕んでしまったのです……命は、こんなふうに……私の中で、増えていきます。私自身をも、蝕むほどの勢いで……」
 両手は、巨大な風船のようになってしまった腹部を抱え込むのに用いている。
 手放された白い書物は、美華の眼前で宙に浮かんで開いている。
「命は……育まなければ、いけません……栄養を、与え続けなければ……せっかくの命が、死んでしまうから……だから今、こうしている間もお腹が空いて……ああ、誰か私にズッキーニのスープを飲ませて下さい……厚切りのフランスパンを、お願い……私に食べさせて……ポークソテー、白身魚のムニエル……ローストビーフにステーキ……お金ならあるわ、だから食べさせて……もう、この際……カレーライスとかラーメンとかでもいいからぁ……」
 美華は、立っていられなくなった。
 転んだのか、尻餅をついたのか、よくわからぬ格好になってしまった。今の美華の両脚は、巨大な肉の風船から小さく生えて弱々しくばたつく、無様な突起物でしかない。
 舞台上で、とてつもなく醜悪・滑稽な様を晒しながら、美華は息荒く悲鳴を漏らした。
「ねえ皆さん……死にたくないと願うのは、そんなに悪い事ですか? こんな罰を……受けなければ、いけないような事……なのでしょうか……お願いです、私を弁護して……私を、助けて下さい……もう、コンビニのお弁当でいいから食べさせて……」
 呼吸が苦しい。腹部の膨張が、心肺をも圧迫している。
 腹が膨らみ、しかし腹が減る。
 美華は涙を流しながら、客席を見つめた。
 観客席は、相変わらずの闇だ。闇の中に、一体いかなる者たちが潜んでいて、美華の無様な姿を鑑賞しているのか。
「助けて……私を、弁護して……」
 闇の中の観客たちに、美華は助けを求めた。
「お願い……私を、助けて……」
 闇が、近付いて来た。
 蹄が見えた。角が見えた、ような気がした。
 それは暗黒そのもの、でありながら1匹の獣のようでもあった。
「助けて……」
 獣に、美華は涙目を向けた。
「お願い、どうか私に公平な裁きと弁護を……こんなの絶対、ひど過ぎます……私はただ、生きたいと願っただけなのに……」
 美華は懇願をした。
 幾度、死んでも尽きる事のない命が欲しい。そう願った時のように。
「私を、助けて……」
「……まだ、駄目よ」
 獣は言った。
 黒い獣。その姿は、禍々しくも力強い角を生やした、精悍なる雄山羊か。
「それは罰ではないわ。貴女は今、とても幸せな目に遭っているのよ」
 発せられるのは、しかし涼やかな女の声であった。
「千匹の仔を孕む……ねえ、幸せでしょう?」


 自分の悲鳴で、美華は目を覚ました。
 そこは劇場などではなく、自邸の寝室だった。
 生ける風船とも言うべき巨体が、豪奢なベッドを軋ませながら寝汗にまみれている。
 この身体では、バスルームに向かうのも億劫だ。
 メイドたちを呼んで、身体を拭かせよう。
 ぼんやりと、そう決定しながら、ハンドベルを鳴らす。
 今の美華には、それが精一杯であった。


登場人物一覧
【8686/満月・美華/女/28歳/魔女(フリーライター)】
東京怪談ノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2018年05月30日

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