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『マボロシ ノ イタミ 』
セラフィナaa0032hero001)&真壁 久朗aa0032


 風が窓ガラスをゆすって吹き抜けていく。
 セラフィナは少し背伸びして、ガラス越しの空を見上げる。
 寒そうに震えるはだかの枝越しに、冷たく澄んだ青い空が広がっていた。
「今日も良いお天気ですね」
 笑顔でつぶやくその言葉に、同意するものは誰もいない。
 だが気にする様子もなく、どこか楽しそうな足取りで部屋を横切る。
 そこまでは軽やかだった足取りが次第にゆっくりになり、最後はほとんど忍び足のようになって、やがて止まった。
 目の前にはすべてを拒絶するように閉ざされたドアがある。

 しばらく中の様子を窺う。声にならない抑えた声が、微かに漏れ聞こえてきた。
 セラフィナは握った細い指の節でドアを2度、間隔をあけてそうっと叩く。
「あの、大丈夫ですか……?」
 返事はない。聞こえていた声も途切れた。
「入りますね?」
 それにも返事はなかった。セラフィナは慎重にドアを開く。
 部屋は暗かった。正面に窓があるのだが、分厚い遮光カーテンが引かれたままで光はほとんど入らない。
 そのすぐ近くにあるベッドにはひとりの若者が横たわっている。
 左の肩を右手で抱くように押さえ、パーカーのフードをすっぽりとかぶり、まるで外界の全てを拒絶しているようだった。
「何か食べませんか? お水でも持ってきましょうか?」
 セラフィナの声が聞こえないかのように、若者は何の反応も見せない。
「……何かあったら声をかけてくださいね?」
 そっと扉を閉めながら、翠の瞳は若者を見つめ続けた。


 ボタンを押すと、画面が切り替わる。
 老若男女さまざまな人種、色々な表情をした顔が、次々と映る。
 セラフィナは今、使い方を覚えたテレビに夢中だった。
「わあ、とっても綺麗です! 桜ですね!」
 薄いピンク色の雲を絡めたように花を咲かせた木が、画面を彩った。
 嬉しくなって別のボタンを押す。
 そのたびにトマトがスパスパ輪切りになり、おじさんたちが握手し、鉢巻をした若者たちが苦しそうな顔でひたすら走っている。
 次に切り替えた画面では、ビルの窓から炎が噴き出していた。
 セラフィナは翠の瞳を見開いた。
 若者に出会ったあのときと、よく似た光景。
 伸ばした指先をとらえた瞬間、彼の顔に広がった表情。
 セラフィナは自分に向けられたその表情を、美しい夢のように思い出す。
 けれど一瞬の夢は、幻と消え去った。
 それ以来、彼はセラフィナにまともに顔を見せることすらない。

 けれどセラフィナは他に行く場所もなかった。
 仮に行く場所があったとしても、ここを離れることはないだろう。
 セラフィナがこの世界にいるのは若者のためなのだから。
 彼はときどき、ドアを開けて出てくる。 
 声をかけても返事が返ってくることはない。
 だがその行動を目で追っていると、この部屋にある色々な道具の使い方が分かってきた。
 セラフィナが特に興味を持ったのは、テレビとパソコン、そして洗濯機だ。
 身につけていた服を入れ、洗剤を入れ、ボタンを押せば水がジャージャー出てきて、中身はグルグル回る。
 いつの間にかグルグルは塊からふわふわになり、最後には乾いた服が出てくるという仕組みだ。

 待っているだけの時間は長い。
 セラフィナは若者の家を隅々まで見て回った。
 それで分かったことは、若者が一人で住んでいること。部屋には必要最低限の物しかないこと。
 そしてセラフィナがそれらに触れること、この部屋にいることを、若者が拒否するわけではないということだった。
 より正確に言えば、おそらく若者はセラフィナに拒否という感情をぶつけることすらできないでいたのだろう。
 だがセラフィナは少しずつ、この世界の「生活」に関する知識を吸収していった。


 今はいったい何時だろう。
 真壁 久朗はベッドの中で体を小さく縮こまらせる。
「ツっ……」
 痛む腕を押さえようとして、そこにあるべきものがないことを思い知る。
 何度繰り返しても、慣れることはない。そこにもう左腕はないのに、強い痛みだけは本物なのだから。
 ファントム・ペイン。日本語で幻肢痛と呼ばれる症状だ。
 脳がそこに体の一部が「ない」ことを理解できず、痛みを感じさせる。
 久朗は自分のポンコツな脳を恨む。
 なぜ忘れないんだ。なぜ理解しないんだ。なぜ幻にとらわれているんだ。
 こんなにも苦しいのに――。
 思わず洩れるうめき声は、身体の痛みによるものだけではなかった。

 あの日、久朗は最も大事な存在を失った。
 たった一人の理解者。たった一人の心の拠り所。
 自分の左腕よりもっと大切な幼馴染を、愚神は奪い去ったのだ。
 いっそ忘れてしまえたら。
 初めからいなかったことにしてしまえば。
 勿論、それは久朗の本心ではない。だが心はときに、辛さから逃れるためならどんな嘘も吐き出す。

 久朗はゆっくりとベッドの上で体を起こした。
 片手で起き上がるのには、ずいぶん慣れたと思う。
 時計を見るともう夕方だった。
「あー……洗濯ものを片付けないと」
 そして今朝の忌々しい「事件」を思い出し、わずかに顔を歪めた。
「……洗剤も、買わないと」
 久朗は左手に加えて、左目も失った。
 たかが片目、腕に比べれば……などと思っていたが、これが想像以上に不便だった。
 痛みでまともに生活できない久朗がひきこもるのは仕方がないが、そのために平衡感覚がまだつかめないでいたのだ。
 昨日も着替えが必要になったので洗濯機を使おうとして、距離感をとらえそこねて、洗剤を床にぶちまけた。
 どうにか洗濯機に衣類を放り込むところまでは済ませたが、そこで気力が尽きた。
 なにしろろくに食べることもできていないのだから、気力なんてもともとないに等しい。
 というわけで、そのままベッドに戻ったのである。

 ドアに手をかけた久朗は、ふと床に置かれたものに気づいた。
 屈みこんで確かめると、確かに洗濯機に放り込んだはずの自分の衣類である。それがきちんと畳んで置かれていたのだ。
「……?」
 一瞬、何が起こったのかわからなかった。
 あの後、洗濯物を取りに行ったのを忘れたのだろうか。
 眠って起きてを繰り返しているので、たまにそういうことはある。だが自分でやったなら、こんなところに畳んだ衣類を置いたりはしないだろう。
 そこで思い浮かんだ顔。美しく長い銀髪を編んだ、宝石のように輝く翠の瞳。穏やかな笑顔。
 久朗の喉に苦いものがこみ上げる。
 いっそ消えてくれたほうがマシな幻。その最たるもの。幼馴染に似た面影の、久朗が契約した英雄。

 ドアを開けてリビングに出る。いつもの通り、セラフィナはテレビの画面を見つめていた。
 おそらくこちらの気配を、全身で窺っているのだろう。久朗はそれに気づいていながら、見ないふりをして通り過ぎた。
 セラフィナが悪いわけではない。それは分かっている。
 だが失った幼馴染にあまりに似た面差しは、大きすぎる喪失に耐えかねた久朗自身が作り出した幻のようだった。
 まだ18歳の若者にとって、受け止めるにはあまりに過酷すぎる現実。
 だが久朗自身が、受け止められない自分自身を許せなかった。
 だから、まだセラフィナの顔をまともに見ることができないでいる。
 そのまま洗濯機の置いてあるスペースへ向かう。
 どうせいずれは自分が片付けるからと放置していた洗剤まみれの床は、すっかり綺麗になっていた。
 久朗はしばらくの間、その床を見つめ続けていた。


 窓を開けると、みずみずしい香りの風が吹き込んでくる。
 眩しいほどの緑の葉に覆われた枝が、誇らしげに揺れて木漏れ日を振りまいていた。
「旬の食材、ですよ!」
 セラフィナの笑顔が、いつもよりいっそう輝く。
 昨日、テレビで見たのは「旬のアスパラガスと新ジャガイモのパスタ」である。
 画面の女性は『皮をむいて茹でたパスタとあえるだけ! 電子レンジ調理でとっても簡単ですよ!』と言っていた。
「旬の食材は、体にもいいのです!」
 若者がろくに物を食べられず、何やら不思議なゼリーだのドリンクだのに頼っているのが気になっていたのだ。
 若者は相変わらずセラフィナを見ようとしない。
 だが、洗濯物を畳んだり、ちょっと掃除したりと試してみたところ、特に怒ったりもしなかった。
 セラフィナは、少しずつ部屋を整えるようになっていた。
 若者が部屋を出てきたときに、少しでも気分が良くなるように。
 フードを深くかぶって伏せた顔を、ほんの少しでも上げてくれるように。

 キッチンで悪戦苦闘し、パスタをお皿に盛り付ける。なかなかに良い出来のように思えた。
 セラフィナはパスタのお皿をお盆に載せて、閉ざされたドアの前に立つ。
 軽くノックし、返事がないのを確認し、そっとドアを開いた。
「あの、ちょっとだけいいですか?」
 さっと心地よい風が流れてくる。
 若者は珍しくカーテンを開いて窓を開け、ベッドの上に体を起こして外を見ていたのだった。
(よかった! こんなにいいお天気ですからね)
 セラフィナの表情がゆるむ。
 なんだか今日はとてもいいことが起きそうな予感がしたが、本当だった。
「あの、これ、作ってみたんです。旬の食材は体にいいってテレビで言ってたので」
 若者が窓から目を離した。壁を見ているし、フードの陰で表情は見えないが、セラフィナの言葉に反応したこと自体が事件だ。
 セラフィナがベッドの脇にお盆を置くと、若者は素直に座りなおす。
 しばらく、息を呑むような時間が過ぎる。実際はほんの数分、あるいは数十秒だっただろうが、セラフィナには長い長い時間に思えた。
 若者はゆっくりとフォークを取り上げ、パスタを絡めると、口に運んだ。
「……ぐほっ!!」
「だ、大丈夫ですか!?」
 料理初心者のセラフィナの技量は、想像以上に酷いものだった。
 ジャガイモはごりごりで、アスパラガスはくたくた。パスタは固いのと柔らかいのが半々。おまけにくっついている。
 調味料の区別もついていないし、オイルも何か適当なのを使ったらしい。
「げほっ、ごほっ、ごほっ!!」
「お水もってきます!!」
 半泣きで駆け戻ってきたセラフィナから水を受け取り、ようやく落ち着く。
 そこでセラフィナは出会いの日以来、初めてまともに彼の言葉を聞いた。
「……次はうまく作れ」
 ――次。
 これきりで終わりではない、という言葉。
 セラフィナは大きく目を見開き、慌てて言葉を継いだ。
「あのっ……あの、がんばりますね! それと僕、セラフィナっていいます!」
「………久朗だ。真壁、久朗」
 セラフィナは耳慣れない響きを、口の中で繰り返す。
「くろさん、ですか?」
 久朗はそれには答えず、再びベッドにもぐりこんでセラフィナに背中を向ける。

 セラフィナはお盆を片付けて、静かにドアを閉めた。
「くろさん。……くろさん」
 覚えたばかりの名前を繰り返すたびに、セラフィナの笑顔が輝く。
 きっとこれから、たくさんいいことが起きる。
 いつかきっと、綺麗なものを一緒に見られる日がやってくる。
 セラフィナは嬉しくなって、窓の外に目を向けた。
 「その通りだよ」と頷くように、緑の葉に覆われた枝が揺れて、木漏れ日を振りまいていた。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【 aa0032hero001 / セラフィナ / 不明 / 14歳 / バトルメディック 】
【 aa0032 / 真壁 久朗 / 男性 / 24歳 / アイアンパンク・防御適性 】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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長らくお待たせいたしました。現在より少し前の、おふたりのエピソードをお届けします。
時間の経過が感じられるようにというご指定でしたので、冬から初夏へ、明るく元気になっていくイメージにしてみました。
お気に召しましたら幸いです。
ご依頼、ありがとうございました。
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2018年06月01日

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