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『暴食の堕天使』
影山・狐雀jb2742


 たい焼きがスイスイと楽しげに美味しそうに泳ぎ回り、海底ではタコ焼きが蠢き這い回る。
 本日最後の授業を受けながら、影山狐雀は天国のような海を夢見ていた。
 もちろん、授業中に居眠りなどしない。する事もあるが、今日はしない。真面目に先生の話を聞きながら、狐雀はしかし夢見心地であった。
(わふぅう……せっ先生ごめんなさぁい……主よ、今日ばかりはどうかお許しをおぉ……たい焼き屋さんが、新しいたい焼き屋さんがオープンするのですぅぅううう)
 狐雀は祈り、許しを希った。
 少年の細い腹部の中で、胃袋はすでにブラックホールと化している。
「では、今日はここまで」
 先生のその言葉が、今の狐雀にとっては福音であった。
 起立・礼を済ませると同時に、背中から翼が広がる。
 そのまま窓から飛び出して行こうとする狐雀に、しかし触手の如く絡み付いてくる、いくつもの細腕。
 クラスの女子数名が、背後から狐雀の身体を捕らえにかかっていた。
「はい影山くん、お掃除当番。逃がさないよぉお」
「駄目だよ! キミは他の男子みたいな事しちゃあ」
 魔物たちに地獄へと引きずり込まれる罪人のように、狐雀は泣き叫んだ。
「はわわわわ……主よ、こっこれは罰なのですかぁ……天使でありながら暴食の罪を犯した、僕が受けなければならない罰なのですかぁああああ」


 教室の清掃を終えた頃には、狐雀の中にいる暴食の悪魔ベルゼバブが、もはや手の付けようもないほど荒れ狂っていた。
「わふうぅう……た、たい焼きが、たい焼きが僕を、天国へ呼び戻してくれるのですぅう」
 天使の翼を生やして飛び回るたい焼きたちを幻視しながら、狐雀は教室の窓から飛び出して行った。
「あい、きゃん、ふらぁあああい……はわ、はわわわわわ」
 向かい側の校舎の壁が、眼前に迫る。激突寸前だった。
 能力の一つを、狐雀はとっさに解放した。
 物質透過。
 校舎の壁が一瞬、無かった事になった。
 その一瞬の間に狐雀は、壁の向こうの教室内にふわりと着地していた。
「あ、危なかったですよぉ……わふ、はわわわわわ」
 狐雀は、またしても悲鳴を上げる事になった。
 それを圧倒する凄まじい悲鳴が、迸り響いた。
 何人もの女子が、部活のために着替え中であった。
 天国へ導かれた、事に違いはないのか。
 などと考えている暇もなく、狐雀は逃げ出していた。
「ご、ごめんなさいです〜!」
 背後から、様々な凶器が飛んで来た。


 年配の警察官が、狐雀を誉めてくれた。
「いやあ、お手柄だねえ。お嬢ちゃん」
「……僕、男ですぅ」
 幼い女の子が、迷子になって泣いているのを見つけたので、交番まで連れて来たところである。
 色々とあって、母親を見つける事は出来た。
「本当に、ありがとうございました……」
「……おねえちゃん……ありがとう……」
 迷子だった女の子が、泣きじゃくりながら、母親と一緒にお礼を言ってくれた。
 狐雀としては、困ったような笑みを浮かべるしかなかった。
「……じゃ、僕はこれで失礼するです」
「あ、待って下さい。どうか、お礼をさせて……」
 若い母親の言葉を聞かず、狐雀は交番を飛び出していた。
 背中では翼がふわふわとはためき、可愛らしい尻からは豊かな尻尾がふっさりと伸びて踊りなびく。
 頭にピンと立った獣の耳は、先程からずっと、空飛ぶたい焼きの天使たちの呼び声を聞き続けていた。
「たい焼き……新しい、たい焼き屋さぁあああん」
 ベルゼバブは猛り狂う。胃袋は、食欲による重力崩壊を引き起こして、今や狐雀の正気をも吸い込むブラックホールと化していた。
 翼あるたい焼きを幻視する少年の目が、しかしその時、幻覚ではない光景を捉えた。
 老人が1人、重そうな荷物を背負って歩道橋の階段を上り、だが1段目か2段目で息を切らせ、死にそうになっている。
 狐雀は、微笑みながら涙を流した。
 天使でありながら暴食の悪魔に取り憑かれてしまった少年に、神はどこまでも試練を与えようとする。
「試練を、乗り越えた後で食べる……たい焼き……とっても美味しいに違いないのですぅ……おっお爺さん! お荷物、僕がお持ちするです」


 初日の売り上げなんて、ご祝儀みたいなもんだと思え。
 2日目からは、死にたくなるくらい客足が落ちるぞ。そこを乗り越えられるかどうかが勝負だ。頑張れよ。
 俺に独立を許してくれた、大手たい焼き屋の社長が、そんな言葉をくれた。肝に銘じておこうと思う。
 ほぼ完売である。
 抹茶でもカスタードでもない、オーソドックスなたい焼きが1つだけ売れ残った。
 複数のお客が来たら、いくらか気まずい事になる。だから今日はもう閉店にしようと思っていたところへ、その少女は来店した。
「……たいやき……くださぁい……」
 まるで、砂漠で水を求める遭難者のようだった。
 弱々しく、痛々しく、だがどこか神々しい。何か宗教的な苦難を乗り越えてきた、聖女のようでもある。
 この売れ残りの1つがなかったら、そのまま力尽きて殉教・昇天してしまったかも知れない。
 そんな事を思いながら俺は、たい焼きを紙に包んで手渡し、小銭を受け取った。
「わふぅ……美味しいですぅ……」
 本当に天に召されてしまいそうなほど幸福感に満ちた声を発しながら少女は、可愛らしい口でたい焼きをかじっている。
 天使だ、と俺は思った。
 社長の言う通り、明日からの営業は過酷なものとなるだろう。
 だが大丈夫。この店は、初日に天使の祝福を受けたのだ。
 俺は、嬉しくなって声をかけた。
「気に入ってくれたかい? お嬢さん」
「はい……最高の、たい焼きですぅ……」
 たい焼きを食らいながら、少女は泣いた。嬉しそうに、悲しそうに。
「あとね、僕……男なんですぅ……」


「駄目よ。君はね、しばらく女の子になるの」
 少女たちが、手際良く狐雀の衣服を脱がせ、女物を着せてゆく。
「はわわわわ……お、お許しをぉ……」
「まぁったく、上手に忍び込んだものねえ。いつの間にかいて、あたしたちの生着替えバッチリ見ちゃってるんだもの」
「み、見るつもりは、見るつもりは」
「あら、なぁに? 嫌なものでも見たって言うの?」
 少女の1人が、狐雀の柔らかな頬をむにっと摘み引く。
 今や、狐雀も少女と化していた。化けていた。化けさせられていた。
「こっ、これは……こんなに、ここまで可愛くなるなんて……」
「……私たちより、可愛い? 許せないからセクハラの刑っ」
「わふぅ……や、やめて欲しいのですぅ……」
 愛らしく泣きじゃくる狐雀の姿が、少女たちの欲望を燃やし続けるのだった。


登場人物一覧
【jb2742/影山・狐雀/男/11歳/陰陽師】
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小湊拓也 クリエイターズルームへ
エリュシオン
2018年06月07日

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