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『【任説】氷室詩乃の場合 』
氷室 詩乃aa3403hero001

 遠く海と大地を見下ろす高い山脈に、ボクとお師匠さまは住んでいる。

「シノ」
「あ、お師匠さま」

 雲海に足を浸すようにして遠い街並みを見下ろしていると、今日のおつとめを終えられたお師匠さまがボクを呼びに来てくれた。
 お師匠さまは、切れ長の涼しげな目をついとうごかして、ボクの見ていた方角を透かし見るように目を細める。

「……なにかみえたかい」
「なぁんにも。お師匠さまは? なにかみえますか?」
「そうだね…………。ああ、あの国」

 長い髪を強い風に遊ばせて、お師匠さまは白魚のような細い指を、高い城壁に囲まれた都市に向けた。

「あの国では、反乱が起こったようだよ。乱心した王を廃するために、妾腹の王子が立ち上がったみたいだね」
「ええ?! そうなんですか!?」

 いつも通りの無表情でなんてこと無いようにそんなことを言うお師匠さま。
 全然全くそんな風にはみえなくて、ボクは大げさなほど驚いてしまう。

「あの国って、たしか心優しい王様が治める、とても治安の良い国でしたよね……?」

 以前、お師匠さまに聞いた話を思い出して首をかしげる。
 国民のことを第一に考える賢王が治める国だと言っていたように思う。ここ十数年で、あの国の経済力は飛躍的に上昇した、とも。

 ボクがお師匠さまから聞いた話を思い返していると、お師匠さまは滅多に変わらない表情をうれしそうにほころばせて、ボクの頭をやさしく撫でてくれた。

「そうだね。ちゃんと覚えていてえらいですよ。シノはおりこうさんだね」
「えへへ……」

 体温の低い指先がボクの赤い髪を梳くように動くのが気持ちよくて、猫みたいにお師匠さまの手にすり寄ってしまう。そうするとお師匠さまはとてもうれしそうな顔をするので、ボクは小さな子供みたいなこの仕草がやめられない。
 お師匠さまは、ボクの頭を撫でる手を止めることなく、件の都市を透かし見る。

「…………ああ、王の乱心は、どうやら仕組まれたもののようです。妾腹の王子は、黒幕にいいように操られているようですね。王子はまだ若く、正義に燃えている。そこにつけ込まれた様子……」

 うたうように、語るように、お師匠さまは件の国に起こったことの顛末を口にした。

「それも、『本』に書くんですか?」
「ええ、もちろん。それが、ぼくたちの『使命』だもの……」

 そう言って、お師匠さまはボクの頭から手を離して立ち上がった。
 そのままお師匠さまはボクを置いて家に帰って行くものだから、慌ててその後を追いかける。

「お師匠さま!! ボク、見学してもいい!?」
「もちろんだよ」

 『仕事部屋』に向かうお師匠さまの背中に飛びつけば、お師匠さまはうれしそうにボクを抱きとめて、抱っこしてくれた。
 ボクはお師匠さまの胸に顔を押しつけるようにして抱きつく。
 お師匠さまからは、いつも涼しげないい匂いがするのだ。



 お師匠さまはとてもきれいなひとだ。

 ボクを胡座を組んだ膝の上に抱えたまま、目を閉じて詠唱するお師匠さまのお顔を見ながら思う。
 お師匠さまが呼んでくれたご本に出てくる、勇敢で賢い王子より、美しくて凜とした王女より、精悍でおだやかな騎士様より、お師匠さまのほうがずっとずっときれいですてきだと思う。
 こんなにきれいなひとは、この世界のどこを探したっていないだろう。

 そんなきれいなひとの膝上で、ボクは今からこの世で一番尊いおこないを鑑賞する。

「――【万 象 の 記 憶】」

 地面に書き込まれた陣の上に座って、両のてのひらを天井に向けて膝の上に置いて、目を閉じて。
 ボクには聞こえない言葉で、お師匠さまはこの世界の情報を呼び起こす。

 お師匠さまの長い髪が風もないのにふわりと巻き上がり、陣が輝いて、その光が一冊の輝く本になる。

 万象の記憶。お師匠さまはこの本をそう呼んでいた。
 人には「アカシックレコード」と呼ばれることもあるらしい。この世界の出来事を余すことなく記した、人知を越えた英知の書物、らしい。
 らしい、というのは、ボクにはその「万象の記憶」を読み解く能力が無くて、お師匠さまから教えて貰った話しかしらないから。

 お師匠さまは呼び起こした記憶の「上書き」をするのだ。

「――――」

 ひみつのはなし。
 ボクには聞こえない声と知らない言葉で書物の上書きをするお師匠さまが、実はいっとう好きだ。

 全身がほんのりと光っているみたいできれいだし、このときお師匠さまのかおりが強くなる。まるで清浄な甘い水のなかでたゆたってるみたいな感覚になって、ボクはお師匠さまの膝の上で「お仕事」を見るのがとてもとても好きなのだ。
 お師匠さまは細くてきれいなのにとても力が強いから、ボクがお師匠さまの胸にもたれてもびくともしない。
 体温の低いお師匠さまの胸元から香ってくる、清涼でいて甘やかな香りに全身を包まれながら、ボクはそのうつくしい行いを、ずっとずっと、見つめていた。



「シノはとてもいい子だね」

 お師匠さまは、ボクによくそう言ってくれる。

「でもお師匠さま。ボクはお師匠さまみたいに、遠くで起こっている出来事を見ることも、『万象の記憶』を読み解くこともできません」

 こんなによくしてくださっているのに。
 しょぼんとしてそう言えば、お師匠さまはボクの赤い髪の毛を、細くて白い指でやさしく梳いてくれる。

「シノがここにきてくれてから、ぼくの毎日はとても充実しているんだよ。シノのおかげ。だから、シノはここにいてくれるだけでいい。ぼくの自慢のかわいい子……」

 落ち込むボクを、お師匠さまはそっと胸元に抱き寄せてくれる。
 そうするとボクが安心することを知っているから。

「記憶を上書きするだけの無味乾燥な日々を、シノが変えてくれたんだ。ぼくは『世界』に干渉できない。干渉してはいけないんだ。……だからシノ。おまえはどうか、ぼくをゆるさないでね」
「?」

 お師匠さまの言っていることは難しくて、ボクにはよく理解できない。
 でも、お師匠さまがなんだかかなしそうな顔をするから、ボクはそれをどうにかしたくて、お師匠さまのきれいなお顔に手を伸ばした。

「……シノは、お師匠さまが大好きですよ?」

 お師匠さまのきれいな瞳を見つめてそう言えば、お師匠さまはどうしてか、泣きそうな顔で笑っていた。

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【氷室 詩乃(aa3403hero001)/女/20歳/ブレイブナイト】
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2018年06月12日

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