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『 地平線の向こうに 』
ユリアン・クレティエka1664)&エアルドフリスka1856

 とある宿の二階にある小さな薬局。空気を入れ変えようと窓を開けたユリアンは周辺で一番高い時計塔の上に一匹のグリフォンをみつけた。
 先端だけ黒い純白の羽根、ピンと伸ばされた背筋の堂々たる体躯。
 薬局の主であり師匠でもあるエアルドフリスと縁を結んだグリフォン――スキヤン。
「師匠が悪さしないか監視とか?」
「冬の間外へ出してみたが、どうやら不首尾のようだな……」
 あまり雪が降らんからかな、気温も高いし――植木鉢と睨めっこをしていたエアルドフリスが「後ろめたい所はないがね」とシレっと返す。
「チアクをグリフォンに乗せてやりたいな」
 ユリアンにも友誼を交わしたラファルというグリフォンがいる。白隼に似た白地に淡い茶色の斑点の少しふわっとした羽毛の年若い雄だ。
 チアクたちが暮らしていた辺境にも間もなく春が訪れるだろう。なら今年も彼女を連れて。今度は空の旅で。
「あぁ、でも……。まだこういうの喜んでくれるのかな? 村についてきてくれるかも……。女の子は本当にあっという間に大人っぽくなるから……」
 柔らかな春色の唇――妹と同じ年頃だと思っていたのに……いつの間にか脳裏には別の少女の面影。
「難しいよ……ね、師匠」
「なに匙加減さえ覚えれば。薬の調合と似て……」
 無言の抗議には咳払いで答えられた。
「師匠、あの村に一緒に――」
「……花を咲かせん鉢たちを連れて行かねばね」
 ささやかながら祭りも行おうか。片目を瞑った師に、まだまだ敵わないと思う。

 二人は村への滞在許可を貰いにアメノハナの民の居住地を訪れた。
 チアクが旅支度をしている間、エアルドフリスは族長と茶飲み話し。
「いずれ子供たちは選ばねばならんのだろうね」
 村に戻るか、新しい世界で生きていくか。だから――
「外の世界についても教える学校を……?」
 思わぬ言葉にエアルドフリスは聞き返す。
「どちらを選ぶにせよ知識は必要だろうて。ただ困ったことに教師役がねぇ」
「……もしも子供たちが戻ることを選ばなかったら?」
 余計な事だと知りながらも敢えて尋ねたのはとうに滅んだ一族、そして己に科した生き方が頭の隅にあったからかもしれない。
「それはその時。子等が外を選んだとしても嘆いたり恨んだりはせんよ。そりゃあ寂しくは思うがね」
 広場でユリアンと遊ぶ子供たちを見つめる老婆の瞳は優しい。
「子等が元気であれば十分。それにいずれこの地にもアメノハナが咲くのであろう? ならば種を撒きながら各地を回ればどこもかしこも私らの故郷となる寸法さ」
 悪戯を思いついた童女のような笑みにエアルドフリスも笑う。「なんともスケールの大きな話だ」と。

 ユリアンはチアクにラファルを紹介する。
「チアクよ。よろしくね、ラファル。撫でても良い?」
 返事代わりにラファルが羽を少しだけ浮かせる。
 恐る恐る手を伸ばすチアクは身長も伸び、長い髪は短く切り揃えられていた。
「髪を短くしたんだ」
「おかしくない?」
「似合っている、お姉さんぽくなった。可愛いよ」
 年頃の娘のようにチアクが頬を染める。
 本当に大きくなったもんだ――とエアルドフリスはしみじみ思う。
「留まらない事こそが生と知るつもりだが……感慨深いね」
 さて――思考を切り替えるようにエアルドフリスはパンと手を鳴らした。
「そろそろ出発しよう。チアクはユリアンに乗せて貰うといいぞ」
 チアクの荷物はスキヤンの背に。多少荷が増えたところで意に介した様子はない。
「良かったら空へどうかな、お嬢さん?」
 やっぱりこういうの子供っぽくて嫌かな、とユリアンが頬を掻く。「全く何を言っているの」膨れっ面は見慣れた少女のままで露骨にユリアンが安堵したのが見て取れた。
「もちろん喜んで」
 満面の笑みでチアクが差し出された手を取る。

 久しぶりに訪れた村は雪に埋もれてはいたが酷く荒れている様子はない。
 修繕作業の間、ラファルは用が無ければ木陰で昼寝をし、スキヤンは村の上空を旋回していた。周囲を警戒しているのだろう。
「わ、わわっ!」
 屋根から雪を下ろしていたチアクが足を滑らせ雪の塊と共にユリアンの目の前に落ちて来た。
 慌ててユリアンが引っ張り上げる。
「初めて会った時みたい」
 犬のように頭を振るって雪を落とすチアクの屈託のない笑顔に「確かに」とユリアンも笑う。
「無理をせんでくれよ。今回は人が少ないからできる範囲でだね」
 でも色々やりたいことがあるの、と指折り数えるチアクの頭にエアルドフリスがポンと手を置く。
「なにまた暑い時に皆で来ればいい」
「……そうだ、ね」
 ユリアンのぎこちなさにチアクが何か言いただったが気付かないふりをした。

 村に滞在し数日、ユリアンたちが持ち込んだアメノハナは小さな蕾をつける。
「今年も薬局で咲かせてあげられなくて、ごめん……」
「私、ハンターを目指そうと思うの。勿論村には戻るわ……」
 俯くユリアンにチアクが声を掛ける。
「沢山旅して、色々知りたいの。そしてユリアンたちみたいに困っている人を助けたい。それにアメノハナの咲かせるお手伝いだって」
 あの小さかった子が……。
 世界の為に――そんな掴みどころのない大きなもののために戦えるほど自分は強くはない。
 自分は物語の英雄ではない。すべてを救おうなどと思ってもいないし思えない。思う資格もない。
 嫌というほど思い知った……。
 でもこの少女の未来が、少しでも笑顔の多いものになって欲しいと思う。

 力の無い俺が戦い続けるには――……

「ありがとう、チアク……」
 少女が成長し、夢を語ってくれる――ささやかなそれでもユリアンにとって何事にも代えがたい報酬。
 だから自分も来年こそはと思う事ができる。
「どうしたのユリアン?」
 チアクが不思議そうに首を傾げた。「ありがとう」もう一度繰り返す。

 祭壇に火が灯される。
 祭主を務めるエアルドフリスの肩に掛けられた布の刺繍は一つ増えた。今年結婚したという新しい家族のもの。

 少し重くなった……な

 積み重なっていく時間の重さ。
 故郷を離れ、祖霊花のない土地で彼らはその先を進もうとしている。

 その先か――……

 ハンターとしての役目を終えたその先……。エアルドフリスが敢えて考えぬようにしていた。
 風にかつて祭りの始まりを告げた弓の弦が放たれる音を聞いたのは気のせいか。
 口に馴染み始めた祈りの言葉。それでもまだ族長の朗々たる声には敵わないとは思うが。
 祈りの余韻が雪に解けて消えたのを待ち、エアルドフリスは大きく息を吸い込んだ。
 冷たく澄んだ空気に微かに宿る雨の気配。
 謡い始める。
 春になり外で遊ぶ子供たちを歌った童謡。離れてなお村人たちは貴方達を抱いて生きている――祖霊花に届くよう。
 童謡にチアクの声も重なった。

 テーブルに並んだ料理。
「頑張ったと思うよ」
「味は悪くないはず」
「まあ、避け得ない結果ではあったがね……」
 蒸した肉、茹でたユリアンの実家特製ハーブソーセージ、乾燥させたマッシュポテトを戻したサラダ、形が不ぞろいな焼き菓子……以前仲間が作ってくれた料理に比べると圧倒的に華やかさに欠けるのだ。
「ラファル、おいで」
 ユリアンに手招きされたラファルが近くに降り立つ。「色々ありがとう。お疲れ様」労いの言葉と共に差し出されたソーセージを器用に嘴で挟み満足そうに飲み込んだ。
 スキヤンは少し離れた場所で焼き菓子を突いている。
「気難しそうなのに甘いものが好きなのね」
 耳打ちしてくるチアクに「お酒に強そうなのに実は弱い師匠と似てるね」とユリアンは返した。

 夜更け師匠と助手は二人で焚火を囲む。
「師匠、ありがとう」
 祭りを任せたこと、一緒に来てくれたことへの感謝を込めてユリアンは頭を下げた。
「礼を言われるほどのことはしとらんよ」
 エアルドフリスから渡されたカップを両手で包む。薬草茶の仄かに甘い香りにユリアンは鼻を鳴らした。
「来年の花の時期までには落ち着いて向き合えると良いんだけどな……」
 落とした吐息に薬草茶の表面がさざ波立つ。
「……花の事だよ?」
 向けられた視線にユリアンが口を開く。だが暫しの沈黙の後、ユリアンは続けた。
「俺と同い年だって――」
 楽士の少女、妹のような存在だと思っていたはずだったのに……。あの日以来どう接していいのか戸惑っている。
 今更そこか、という言葉をエアルドフリスが飲み込んだことを知らないユリアンはぽつぽつと語り始めた。

 途切れ途切れに、時に前後しながら助手の話は進む。
「俺が選んだ口紅をつけてくれたのも嬉しくて……」
 その少女への感情がユリアンの中で形になってきていることは言葉の端々で感じることができる。
 そしてだからこそ戸惑っているのだろうということも理解できた。
「彼女に甘えて……。俺は狡いなって自覚したんだ」
 そう言った助手に大きな進歩じゃないかと場違いな安心も覚える。
 此処までくればあとは自分でやるべきことを見出すだろう。
 己は師として、いや少しばかり経験を積んでいる友人としてか――彼が選んだ結果を祝福するなり慰めるなりすればいい。
 時に挫折し、時に悩み――でも前に進んでいく若人。
 彼等の前には広がる未来。では自分は――……。
「……近頃『その先』の事を考える」
 祭りの前に過ったことを改めて言葉に乗せる。
「俺はいつか……そう、役目を済ませたらまた巡り流れる暮らしに戻る」
 雨のように。揺れる焚火に重なったのは、あの日村のあちこちで上がった火の手。
 生き残った己の誓い――……。
 「筈だ」と絞り出した声は苦い。
 エアルドフリスは吐き出した紫煙が夜空に消えるのを見届けた。
「だけど……どうも重くなっているというか……」
 ぐしゃりと掻き回す髪。
「本当にそれで良いのか、という……」
 歯切れの悪い言葉はそのまま己の胸の内でもあるのだろう。
 思考の流れとも言えぬ、心情の欠片を吐露した気まずさもあり、ユリアンが何か言う前に「つまらん話をしたな」と手を軽く振る。
 この話はこれで終い、とでもいうように。
「スキヤンの様子をみてくるよ」
 おやすみ、と立ち上がったエアルドフリスに「俺も、少しは大人と言うか成長してる、かな?」ユリアンが声を掛けた。
「ふむ、甘え上手になったんじゃないか」
 冗談めかせば「それは……」と助手が真面目な顔で考え始める。
「悪かった。言い方を変えよう。人を頼ることができるようになってきた」
 物わかりの良いふりをし一歩引いていた頃の頼りなさに比べ、自分が一人ではないことを知った青年の背は頼もしくなったと思う。
 この旅も青年が自分を同行者に選んでくれたことが密かに嬉しかったのだ。
「師匠はね……。人間臭い部分、前より自然に見せてくれるのが嬉しいよ。うん、全部知る必要なんて……な、 い け……師匠?」
 込み上げてきた笑いを噛み殺すことに失敗する。師匠と助手、二人して似たような事を思っていたなどと。
「いや……似てきたと言われるのも否定はできんな……とだね」
 確かこの村で祭りをした時だったか。「似てきた」と指摘されたのは。
 「だから言ったでしょ」と少し得意そうに笑う顔が浮かび、胸に下げた半分に割られたコインのペンダントを服の上から握っていた。
 重い、しかしそれは執念のように妄執のようにまとわりつくものではなく。
 己をこの地に繋ぎとめてくれる重さだ。そうして己の足で立つことによって見えてくるものも沢山あった……。
「俺は祭司や師匠としての威厳のある姿も勿論好きだけど、こういう師匠も両方好きだよ」
 考え込んでしまったエアルドフリスの背をユリアンの声が軽やかに叩く。
 肩を竦めてみせればユリアンも同じようなポーズをしてみせた。

 居留地へチアクを送り届けユリアンたちはリゼリオへと出立する。
「チアク、また来るよ」
「今度は皆も連れてきてね」
 ラファルの手綱を引いてユリアンが空へと飛び立ち、エアルドフリスが続く。
「チアクはああ言っているが……」
「……善処するよ」
「その言い草……。大人は大人でも駄目な大人への一歩を踏み出したんじゃぁないかね?」
「師匠の背を見てるから大丈夫」
 速度を上げたラファルがスキヤンを追い抜いていく。
「言うようになったもんだ」
 助手の成長を喜ぶべきか嘆くべきか……。エアルドフリスは顎を撫でた。

 二頭と二人の前方に広がるのは地平線。

 その先は――……



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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ka1664 / ユリアン】
【ka1856 / エアルドフリス】


【NPC / チアク】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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ご依頼ありがとうございます、桐崎です。

ユリアン様が村を訪れてから何度目の春だろうか、そんな感慨深さとともに執筆させていただきました。
少しずつでも皆さまが未来に向かって進んでいければと思っております。

気になる点がございましたらお気軽にリテイクを申し付け下さい。
それでは失礼させて頂きます(礼)。
WTアナザーストーリーノベル(特別編) -
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ファナティックブラッド
2018年06月12日

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