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『みにくいかぐや姫』
満月・美華8686


 力士が普通に歩けるのは、鍛えているからだ。
 自慢になどならないが、生まれてから今まで28年間、まともに身体を鍛えた事などない。
 根っからの文系である。
 幼い頃、祖父に黒魔術を教わった。魔法は、文系なのか、理系なのか。
「体育会系……じゃ、ないわよね。少なくとも……」
 そんな事を呟きながら満月美華は、森の中を歩いていた。
 この身体である。鍛えてもいない自分の脚力で、しかも足場の悪い自然林を、こんな真夜中に歩き回るなど不可能だ。
 だから、魔力で身体を動かしている。
 それでも息が切れる。
 力士のような身体のあちこちに、固い枝がビシビシと容赦無く当たって来る。
 夜闇が実体化したかのような、暗黒色の樹木が、あちこちに生えて鋭い枝を伸ばし、美華の行く手を阻んでいた。
 いや、と美華は思う。自分は、行く手を阻まれているのか。そもそも自分は今、どこへ向かおうとしているのか。
 この森を、こんなふうにでたらめに歩き回ったところで、家に帰りつけるとは思えない。
 息を切らせながら美華は、苦しげに微笑した。
「魔法でごまかすのも、限界……やっぱり、少し身体……鍛えないと駄目なのかしら? ふふっ……この身体じゃあ、ジョギングだって出来やしない……」
 先程、この森の中で目が覚めたところである。
 ここがどこなのかは、わからない。何故こんな場所で眠っていたのかも、思い出せない。
 でっぷりと丸く膨らんだ腹に、またしても枝が当たった。
 当たり方が悪ければ突き刺さってしまうのではないか、と思えるほど固く鋭い枝。
 それらを巨体で押しのけながら、美華は夜空を見上げた。
 暗黒の空の中央で、満月が太陽のように輝いている。
 木漏れ日ならぬ、木漏れ月光が、冷たく降り注いで美華の巨大な肥満体を照らす。
 皓々たる月明かりの中にあって、森の樹木は鮮やかなほどに黒い。月光の白色に抗うかのようでもある。
 暗黒の森を天空から嘲笑うかのように、満月は白く輝き続ける。
 月とは、これほど自己主張の強い天体であったのか。ふと、そんな事を美華は思った。
 太陽を必要とせず、自力で発光しているかの如き巨大な満月。
 巨大で、丸い。今の自分と同じだ、と美華は思った。自分のこの満月という姓が、悪い冗談のように思えてくる。
「私が……お月さま? ふふっ……数ある、月をイメージしたキャラクターの中で……一番、無様……」
 月のイメージがあるキャラクター。美華は今、かぐや姫くらいしか思い浮かべる事が出来なかった。
 かぐや姫は、大勢の男たちに求婚され、貢がれた。この先もはや一生、男性とは縁がないであろう自分とは大違いである、と美華は思う。
 自分のような醜悪なかぐや姫が、大勢の男たちを振り回す。そんな話でも書いてみようか、とも思う。フリーライターだが、小説を書く事に興味がないわけではない。
 そんな事を思いながら、美華は立ち止まった。
 森が、開けていた。
 ちょっとした球技が出来そうなほど広範囲に渡って、土が剥き出しとなっている。所々、草が生えていて、それらも黒い。
 そんな森の中の広場に、白く冷たい月光が、照明の如く降り注いでいる。
 その照明の中に、人影が佇んでいた。
 女性である。
 豊かな胸と、優美に引き締まった胴、そこから尻と太股にかけて魅惑的に広がってゆく下半身のボディライン。美華が、すでに失ってしまったものを持っている女性だ。
 顔は、よくわからない。月明かりによる陰影が、何やら奇怪な凹凸を成している。
 仮面、のようであった。
 風もないのに揺らめく髪と、それを掻き分けるように伸びた角も、仮面の一部なのだろうか。
 硬直している美華に、その女性はゆらりと歩み寄って来る。
 おかしな靴が、地面に足跡を穿つ。
 いや、靴ではない。蹄であった。
「ここまで来るとは、ね……」
 仮面の下で、彼女は微笑んだ。
「貴女、自分が特別な存在である事に気付いている? 普通の人間なら、ここへ辿り着く前に今頃……暗黒の樹木に切り刻まれて、森の肥やしになっているところよ。森が、貴女を受け入れたのね」
 美華の膨らんだ腹に、彼女がそっと手を触れる。
 でっぷりとした丸みをなぞる、その手も、蹄であった。
「……いいわ。貴女をね、もっと特別な存在にしてあげる」
「…………!」
 美華は息を呑んだ。悲鳴が出そうになったが、その前に息が詰まった。
 体内で何かが膨張し、心肺を、気管を、圧迫していた。
 力士のような、妊婦のような腹部が、さらに巨大に膨らんでゆく。
「身体なんて鍛える必要はないわ。魔法で、何でもごまかしなさい。魔力で、何もかもを押し通しなさい……貴女は太陽要らず、自力で輝く満月になるのよ」
 彼女の言葉を、美華はすでに聞いてはいない。
 巨大な肥満体が後ろへよろめき、尻もちをつく事も出来ぬまま、落ちてゆく。
 闇の、中へと。
「貴女は1度、私を召喚した事がある……また会えるのを楽しみにしているわ」
 彼女の声が、聞こえたような気がした。


 闇の中を転げ落ちながら、美華は目を覚ました。
 自邸の寝室。特注品の、巨大なベッドの上だった。
 あの森の中を歩いていた時のように息を切らせながら、美華は呻く。
「…………夢……?」
 すぐに美華は、その思いを否定した。
 自分の、丸く膨張した腹の上に、あの暗黒の森から持ち帰ったものが載っているからだ。
 黒く、固く鋭利な、枝の一部であった。
『暗黒の森は、貴女のもの。好きにお使いなさい』
 またしても声が聞こえた、ような気がした。
『醜悪な、月の姫君……貴女のこれからの物語を、楽しみにしているわよ』


登場人物一覧
【8686/満月・美華/女/28歳/魔女(フリーライター)】
東京怪談ノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2018年06月13日

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