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『せめて一睡の手向け 』
狒村 緋十郎aa3678

 ――これは、ある男の希望である。
 ――これは、可能性の一つである。
 ――これは、泡沫の断章夢である。

 ――叫べど呪えど、世界は変わらぬと知れ。







 恋は盲目、とは、正に。

 今の狒村 緋十郎(aa3678)に見えているのはH.O.P.E.の仲間達ではない。自分の邪魔をする障害物であった。
「お気持ちは分かります、ですが」
 言葉も、体も、一閃に断ち切る。氷雪剣『雪姫』。ヴァルヴァラを想い想い想い続けて研ぎ澄ませた巨大剣。冷え切った刃に赤いモノが着いた。容赦はない、そんな刃で峰打ちなどできるはずがなく。

「約束……したんだ。命に代えても……ヴァルヴァラを護ると」

 かねてより、緋十郎はあまりにヴァルヴァラに対して盲目的すぎる、と注視されてはいた。その懸念が現実となる。ヴァルヴァラ討伐任務に対して待機を命じられた緋十郎は、文字通りの暴走――単身、激戦が繰り広げられている会議室へ乗り込もうとしたのだ。
 なぜですか、やめて下さい――相対した名も知らぬエージェントが涙ながらに叫ぶ。緋十郎は名の知れた歴戦のエージェントだ。その勇猛はH.O.P.E.の誇りだ。何より、同じ組織の仲間だ。深い友好こそないとはいえ、支部で見かけ、会釈や挨拶をする、すれ違うなど、縁のある存在だ。

 そんな男が、自分達を殺そうとしている。愚神を守る為に。

「ヴァルヴァラの言葉を聴かなかったのですか!?」
 名も知らぬ障害物が叫ぶ。“それ”曰く、ヴァルヴァラは人間を嗤い、馬鹿にし、見下し、死ねと言い、敵意を露わにした。洗脳された人々を元に戻す為のCGW作戦を阻害しようとしている。明確に人類の敵だ。
 そんなヴァルヴァラの味方になるということは……緋十郎は人間を嗤い、馬鹿にし、見下し、死ねと言い、敵意を露わにすることを是としているようなものだ。人間は愚神に洗脳されてしまえ、と謳っているようなものだ。……明確に人類の敵だ。

 なぜ。世界を人類を殺してでも。
 なぜ。仲間を殺してでもと。
 なぜ。罪もない人を殺してまで。

「……其処を退け。退かぬならば……斬る」
 緋十郎が剣を構える。爆発的に迸るライヴスは、文字通りの暴力。怒涛乱舞の剣戟が、瞬く間に五つの障害物を木っ端にした。壁に、床に、天井に、赤、欠片、内容物。

 ――最早、擁護は不可能だ。
 かつてどれほどの武勇を積み上げていたとしても。
 狒村緋十郎は殺人者であり、人類破滅を望む者であり、人類にとっての悪である。
 たった今、緋十郎はエージェントとしての全てを剥奪され、ヴィランとなった。
 罪である。全ての誇りを踏み躙る悪である。
 決して、決して、赦されない。赦されるべきではない。

 青ざめた顔の障害物は、しかし、下がることはできなかった。「正気ですか」「愚神の洗脳では」と口々に塵芥共。その悪逆なる数の暴力を、緋色の猿王は力強く一瞥した。

「……俺は正気だ。俺の……ヴァルヴァラへの想いに……洗脳など……入り込む余地もない……!」

 再び緋十郎が剣を構え、冷たく振るった。――刃の温度とは対照的な、熱い命の証拠が散る。
 男は強引に先へ進もうとしていた。されど障害物は無尽蔵に湧いてくる。室内戦がゆえに戦力の大量投入ができぬからと、廊下で待機していたヴァルヴァラ討伐第二隊・第三隊までもが出て来たほどだ。

「邪魔だッ……貴様らなどに……ヴァルヴァラは――!」

 たとえそれが、誰かの友達でも。
 たとえそれが、誰かの恋人でも。
 たとえそれが、自らの知り合いでも。
 たとえそれが、昨日笑顔を向けてくれた者でも。

「まだ……退かないのか」
 まだ障害物が並んでいる。それでも先ほどよりは、会議室へと近づいていた。人垣の向こう側に、もう目的地が見えている――なのに。障害物共が邪魔をする。焦燥と苛立ちに緋十郎は牙を剥いた。
 と、その時である。微かに確かに聞こえたのは、ヴァルヴァラの声だった。非道としか言いようのない愚神の悪意。緋十郎は目を見開いた。圧倒的な害意に、言葉を失い、俯いた。それでも――罵倒の数々に熱いモノが体の真ん中で屹立せんほど感じ入った。
「……嬉しいぞ、ヴァルヴァラ。やっと……お前に会えた。そうだ。その物言い……それでこそ……我が愛しき……ヴァルヴァラだ……ッ」
 されどその笑顔は、途端に塗り潰される――ヴァルヴァラの悲鳴を以て。

 彼女に手を出すな――!

 憤怒の咆哮は、最早人の言葉にもならず。
 緋十郎はライヴスソウルを握り潰す。リンクバースト、起動。
 襤褸外套が絶望の夜の如く靡いた。暴力性を、獣性を、全て全て解放する。
 全ては愛の為に。全ては恋の為に。一方通行でもいい。約束をしたから。愛しているから。理不尽なほどに。
 殺劇の幕を上げよう。ハッピーエンドに一千億の殺戮が要るのなら、喜んで殺し尽くそう。
 彼女と共に居られるなら、全ての誇りに唾を吐こう。全ての友情に中指を立てよう。全ては愛の為に。

 だから斬った。潰した。斃した。殺した。殺した。ヴァルヴァラを愛しているから殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。男も女も子供も大人も関係なく。殺した。ヴァルヴァラを愛しているから殺した。

 嗚呼。

 こんなに努力したんだから――
 こんなに全てを棄てたんだから――
 こんなに苦しい想いをしたんだから――

 せめて―― せめて――

 最後ぐらい――
 最期ぐらい――……





    遅い。




 遅い。遅い。遅すぎた。
 間に合わなかった。遅すぎた。
 約束をまた破った。遅すぎた。
 無駄だった。無為だった。水の泡。何もない。何も残らない。何もない。何もない。もう何もない。

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 共鳴も解け、力も尽き、歩くこともできず、ただ跪き、打ちひしがれ、緋十郎は慟哭した。

「ヴァルヴァラ……俺が心配していたのは……お前が……無理やり人間を好きにさせられていたのでは……ということだ。ゆえに……こうなった今……お前が洗脳されているなどとは……俺は……微塵も思わぬ……。その上で尚……俺は……お前にならば……肉壁として使い捨てられても……本望……だった」

 何を言っても届かない。

「すまん……俺は……この二ヶ月……散々好きだの、護るだの、言っておきながら……結局……お前を護れなかった……お前との約束を……俺は……果たせなかった……」

 何を言っても届かない。

「せめて……この命は……誓った通り……お前に捧げよう。あの世で……お前が人々を殺した罪の半分でも俺に背負わせて貰えぬか……地獄で閻魔に……掛け合ってみる」

 何を言っても届かない。

「お前は嫌がるかもしれんが……お前独りでは……逝かせぬ。俺も……今逝く」

 何を言っても届かない。

「私のこと好きなら死んでと……言っていたな」

 何を言っても届かない。

「……好きだ。……ヴァルヴァ……ラ」

 何を言っても届かない。
 男は、氷雪剣『雪姫』の刃を自らの首に当てがった。
 背中に、数多の批難と数多の憎悪と数多の敵意と数多の失望と数多の絶望を受けながら。

 一閃。







 ――これは、ある男の希望である。
 ――これは、可能性の一つである。
 ――これは、泡沫の断章夢である。

 ――全ての者に敬意を込めて。これは真の歴史でないと知れ。



『了』




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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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狒村 緋十郎(aa3678)/男/37歳/防御適性
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2018年06月13日

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