『詭道 』

水嶋・琴美（8036）

　ゆるやかな下りを描く地下道はやがて開けた場へと行き当たる。
　元は集積場だったというが、発見されたときにはなにも見当たらず、そもそも物資や宝物が運び込まれたことがあったのかどうかも不明である。
　つまり、この数十メートル四方の集積場はただの空き地であり、手勢なり兵器なりを展開するにはもってこいの場所ということだ。
　……数で押し込んでくるか、それとも大砲かなにかを撃ち込んでくるかと思ったのだけれど。
　水嶋・琴美は腰のホルスターに収められたナイフの柄を握り、呼気を絞る。
　人は息を吸う間、とっさに動くことも激しいアクションを為すことも不可能となる。さらに言えば空気中に毒を流されていないとも限らないのだ。なにが待ち受けているものか知れない場へ、のんきに息を吸いながら踏み込む者は相応の対価を支払わされることとなるだろう。
　ゆえに琴美は息を吐く。この息が肺から抜けきるまでおよそ１分といったところだが、息という燃料をすべて失ってしまっては本末転倒だ。40秒を限界と定め、気配を探る。
　１、２、３……25、26、27……34……
「ふっ」
　琴美は広場の口から左へ転がり、その間に新たな息を吸い込んだ。そして右へ、左へ、もう一度右へ、そこから上に跳び、真下に落ちて身構えた。
　なにが飛来したわけでなく、なにが迫り来たわけでもない。しかし、彼女の本能がささやいたのだ。来る――逃げ切れない。
　ざわり。
　ラバースーツに鎧われた腕を鳥肌がはしり抜け、琴美は“それ”にナイフを抜き打った。
「！」
　空を裂いたナイフに手応えはなく。
　背後に灯った殺意に延髄を裂かれる寸前、琴美は我が身を前へ投げた。
　その上をぬるりと行き過ぎるものは、半ば以上風化した忍装束の脚。
　武士の次は忍者ってわけね！
　脚をスイングして弾みとつけると共に足払いをかけ、うつ伏せていた体を一気に引き起こして向きなおる。
　乾ききった肉をどのように動かしているものか、バックステップで琴美の蹴りをかわしたミイラが苦無を投じてきた。
　反射的にナイフで受け止めようとした琴美だが、途中で無理矢理アクションを止め、体を翻す。
　その背を食み損なった苦無はまっすぐ飛び去り――突如軌道をＶの字に引き曲げ、さらに琴美へ襲いかかった。
　手裏剣なら騙されたかもしれないけどね。
　今度は待ち受けていた琴美が下から上へ弾いた苦無、その瞬間に散った火花が、苦無の柄に結ばれた糸を照らし出した。
　忍は先の武者と同じ時代に生きた者なのだろう。ならばその糸も錆び落ちる鋼などではあるまい。おそらくは女の髪を結ったものか。今なお十全を保つ髪を死者が繰る……なんとも皮肉なものだ。
　感傷を追い越し、琴美が闇に紛れようとする忍を追った。距離を開けられることはすなわち、相手に業（わざ）を使う時間を与えることに他ならない。こちらの間合である近距離を保ち、忍の打つ手を狭めるべきだ。
「っ！」
　押し詰めた息と共に、下がる忍へ前蹴りを伸ばす。
　忍は蹴りに逆らうことなく腹で受け止め、その勢いを借りて大きく距離を開けたが。
　これであなたはまっすぐ飛ぶことしかできない！
　蹴り足を下ろした琴美はそのまま駆け、忍へ跳んだ。上からヒールを突き下ろし、縫い止める――
「!?」
　飛ぶしかなかったはず忍が、がくりと動きを止めた。
　先の糸つき苦無を地に放ち、錨とした。それに琴美が気づいたときには、新たなる３本の苦無が彼女目がけて投げ放されていた。
「ちぃっ！」
　眉間、喉、鳩尾の３点を狙う切っ先を、空で体をねじってかわす。急所を縦一列に狙われたからこそしのぎきれた。
　そのまま闇へ逃げ込んだ忍を追わず、着地した琴美は正中線をナイフと肘とでカバーした。
　わかったことは、忍が人差し指、中指、薬指のそれぞれに苦無を縛りつけているということ。そしてそれは右手ばかりでなく、左手にもだ。
　計６本の、自在に繰られる苦無。切っ先には当然毒が塗られているでしょうね。糸を断てればいいのだけれど、斬ることに拘れば逆に絡め取られる危険が大きいし。
　あの髪糸、備えは施しているとしても火には弱いだろうが……おとなしく燃やされてくれるわけがないし、そもそも６本以上の苦無をストックしていないとも限らないのだ。
　やるなら６本全部を一度に燃やす必要があるわね。それも次の手を打たせないよう、あの乾いた体ごと。
　肚は刹那で据わった。
　琴美はガードを解いて棒立ち、待つ。
　と。頭上から苦無が降り落ちてくる。
　その切っ先をナイフでななめに受ける琴美。ナイフの刃が苦無の刃を削る耳障りな音が響くが、かまわない。
　横合いからカーブを描いて、斜め下から跳ね上がって、まっすぐ喉元へ伸びて、背後から蛇行して――次々と投げつけられる、苦無。
　それらを空気の動きで読み、琴美は受け止める。かすられるだけでもこちらの負け。それでも彼女はその場に立ち続け、受け続けた。

　忍に脳が残っているものか知れないが、彼は確かに感じていた。苦無の切っ先がすり減らされていると。受けることでこちらの苦無を損なおうというならとんだ浅知恵だ。代わりはまだ、数十もあるのだから。
　新たな苦無の操糸を指にはめ換え、忍は一気に放った。

　角度を変え、タイミングをずらして飛来する６本の苦無を肌に感じ、琴美は薄笑む。
　ああ、待っていたわ。
　中空にある苦無５本、その操糸をナイフではなく、その四肢で受けて絡め取らせる。
　忍は訝しく思いながらも６本めを琴美の首に絡ませた。なにやらもぞもぞと抵抗しているようだが、どのみちもう逃げられない。
　理想的な顛末に、彼は喪ったはずの心を躍らせる。生前からそうだった。敵を嬲り、最後にくびり殺すことを悦ぶ性は。
　勝利を確信した忍が操糸を引き絞った、その瞬間。
　６本の糸に炎がはしって遡り、彼の両手に至る。――この操糸は水薬が含ませてある。火で炙った程度で燃えるものか。
「糸が燃えにくいなら、熱を保つ火種を刺せばいい」
　琴美の言葉で忍は気づいた。
　彼女の手にあるライターと、糸の随所に突き立った赤熱の針を。
　……鉄は燃える。
　いや、正確にはごく細く、薄く削がれた鉄は火にかざすだけで簡単に燃えるのだ。
　琴美はナイフで苦無を受けて削ぎ取り、それを作り続けてきた。受け損なえば最期という重圧の中で、ただ黙々と。
　あとはその鉄を突き立てるため、糸を固定する必要があったわけだが……攻勢に酔った忍は罠を疑うことなく琴美へ糸を巻きつけてしまった。
「嬲ってくれたおかげで手間が省けたわ」
　忍は新たな糸を探ったが、炭化した指はぼろりとこぼれ落ち、そして。
　琴美の投じたナイフで眉間を突き抜かれ、朽ちた衣に点けられた火にまかれてきりきり舞いを演じて燃え尽きた。
　そして。
「そこね」
　琴美から噴き上がった風が地を滑り、背後へはしる。
　これまで静かに闇奥へ潜み、必殺の機を窺っていたもう一体の忍は風に裂かれ、裂かれ、裂かれ――その体を微塵に刻まれて散った。
　この空間の広さは、伏兵という隠し球を紛れ込ませるためのものだった。しかし、相手が忍であることが知れていれば、なにかをしかけてくるだろうことは容易に予想がつく。しかも最後まで手を出してこないとなれば、どのタイミングを狙っているかも。
　そして琴美にも隠し球があった。念による風刃は、まさに彼女の切り札である。それを確実に決めるため、刃を手放して誘いをかけた。
「騙し合いは私の勝ちよ」
　追悼代わりの冷めた言葉を残し、琴美は踵を返した。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【水嶋・琴美(8036)　／　女性　／　19歳　／　自衛隊　特務統合機動課】

東京怪談ノベル(シングル)

電気石八生

東京怪談

2018年06月18日