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『鬼道 』
水嶋・琴美8036
 空気に潮が混じり始める。
 先の集積場を見てもわかるとおり、この地下道は非常時の脱出口というばかりでなく、物や人の搬入口をも兼ねていたのだ。
 むしろ運び込むほうが主だったということね。少なくとも、複数の死人(しびと)が戻ってきているのだから。
 戦国の隠し通路は城主と限られた重臣のみが存在を知るもの。他国の武士やら所属の知れぬ忍やらを潜めておく道理がない。そもそも彼らはつい最近どこからかやってきた、招かれざる客人なのだから。
 裏で糸を引く者がいるわね。この地に縁のある、でもけしてこの地の者じゃない誰かが――数度に渡る死人の襲撃を、文字通りに切り抜けてきた水嶋・琴美は胸中でうそぶいた。
 一歩ごとに潮のにおいは強まっていく。鼻を殺されれば人外の臭いを嗅ぎ取ることもかなわなくなるが、琴美も人である以上、大自然に抗うことはかなわない。
 ナイフの切っ先を前へ伸べ、刃に触る空気を読み、一歩、また一歩、進む。
 果たして彼女がたどりついた先は、口を岩礁で巧みに偽装した、洞窟内の船着き場であった。もっとも新たな船がここへ滑り込んでくることはあるまい。なぜならそう、朽ちた小早……戦国の世から江戸の世にまで使われた、小型の関船によって口を塞がれていたからだ。
 黒くくすんだ船の木肌に波が弾け、たぷりと音を立てる。たぷり。たぷりたぷり。たぷりたぷりたぷり。
 琴美はとっさに大きく飛び退いた。
 繰り返し鳴らされる音はすべてが同じ音質であり、音量。自然のものではありえない以上、何者かが意図的に重ねていると考えるよりない。
 ごぼり。宙にある琴美へ、海中より飛びだしたものが疾く迫る。
 彼女は前に残しておいたナイフを振ることなくただ合わせ、迎撃したが。
「!?」
 勢いにそぐわず軽すぎる手応え。いや、確かに飛んできたものは両断していた。だとすれば。
 視線のみを振り向けて確かめれば、左右に分かれて散ったものは和紙の符である。だとすれば、海中に潜む敵は陰陽の業(わざ)を使うものか。
「出てきなさい」
 符の軌道を遡らせて念動の風刃を叩き込む。が、海水は派手に泡立てど、敵の姿は見えず。代わりに幾枚かの符が返されるばかりである。
 和紙が水に強いことは広く知られた事実だが、どうやら符の主もまた水に強いようだ。あの小早に乗ってきたのだとすれば、戦国の者であることはまちがいないのだが。
 出てきてくれないなら、会いに行くしかないわね。正体を知らなければ戦いようもないし。
 符を斬り飛ばした琴美は意を決し、風をまとって海へとその身を躍らせた。

 薄青い海底にそれはいた。
 とうに朽ち果てた衣でかろうじて身を飾る、太り肉(ふとりじし)の男。十全な姿ではあったが、生者でないことはひと目で知れた。
 死蝋――!
 外気から遮断されることで腐敗菌の汚染を免れ、体内の脂肪を蝋状に変じさせた死体を指す。そして死蝋を育む環境と言えば、土中や水中が一般的だ。
 男は海中に没した船の内に閉じ込められ、魚に食まれることもなくゆるやかに変じていったのだろう。
 帰ってきたのか、それとも攻め寄せてきたのかは知らないけれど、ね。
 どうあれ、琴美がすべきことは死人を黄泉路へ蹴り返すことだ。
 水底をたゆたう死蝋はぬらぬらと唇を蠢かせ、刻む。
 急急如律令。
 和紙の符が鬼へと変じ、金棒を琴美へ振り込んだ。
 ナイフの峯を軌道にあてがい、殴撃をいなす琴美だが、その手はただならぬ重さに痺れた。
 いや、そう思い込んでいるだけなのだ。
 人の体は自らの思い込みにより、氷を押しつけられて火ぶくれを成す。紙であるはずの金棒が真に迫っていればこそ、琴美は“受けるべき衝撃”を自らに課してしまった。
 水の抵抗を無視して襲い来る鬼の金棒を、まとった風で巻き上げながらかわす。が、その回避は鈍く、彼女は徐々に押し込まれていった。
 私があの虚の鬼を実と思い込んでしまっているせいね。
 鬼は生臭い息を吐き、嗤う。紙からそんなにおいがするはずはないのに。それほどまでに琴美は自分を騙してしまっているのだ。このままでは、思い込みによって自死しかねない。先の符――式神を斬り払えたのは、符が摸した形を認識していなかったからに他ならない。
 だとすれば、ここを切り抜ける方法はひとつ。
 跳びかかってきた鬼に琴美は指先を向ける。
 その指を軸に螺旋を描いた風が鋭い刃を為し、そして。鬼をずたずたに引き裂いた。
 同時、浮力を喪った琴美の体が沈み込んだ。息を保つためにまとった空気を、今の斬撃でほとんど使い切ってしまったのだ。
 もう長くは保たない。早く勝負をつけないと――
 だがしかし。
 琴美の体が唐突に硬直した。
 死蝋がぬらぬらと唱える言の葉は、呪禁(じゅごん)。死霊封じの法を転じ、生者封じへとすり替えた呪いである。
 せいじゃがいきけしたまへ。生者が息消したまへ。
 重圧に締め上げられた琴美の口からごぼり、大きな泡が立ちのぼる。息のすべてを奪われれば、思い込みならぬ死がその身を侵す。そしてそれはもう眼前にまで迫っていた。
 呪句はあくまで引き金! 呪願(じゅがん。術の土台となる念)を宿す依り代がどこかにあるはず!
 死蝋は自らを一点に据えつけ、動かない。
 そここそが術を発する適所だから……地相というものは玄武・青龍・朱雀・白虎、すなわち“四神相応”が望ましいとされる。死蝋が生者たる琴美を封じるに足るだけの力持つ地相を作りだしているのだとすれば……
 見立てている、ということ!
 琴美は残された風を逆巻き、自らが吐いた泡を追わせた。錐のごとくに鋭く巻く螺旋が目ざす先は、洞窟の口を塞ぐ船。
 果たして。船底の一部を抉り取られた船はごぶごぶと音をたてて沈みゆく。
 同時、琴美の体が重圧から解かれた。後方に山、前方に水、左右に砂(さ)という四神相応を見立てるため、山の代わりに置かれたものこそがあの船だ。その地相を崩したことで、結界の素であった呪願が失せたのだ。
 琴美は錐としていた風を再び呼び戻す。船に含まれていた空気を巻き取った、太い風を。
 すぐに複数の式神を配し、身を護りにかかる死蝋だったが、琴美は風刃を放つことなく、ただやさしき風を彼へと吹き込んだ。
 どれほどの固い護りを敷いたところで、隙間から滑り込む風を抑える術はない。抗うこともできぬまま、死蝋は水から引き剥がされた。
「死者が息したまえ、よ」
 琴美の念動が死蝋を包む風を回転させる。
 外気から隔絶されていたからこそ保たれてきた蝋が削がれ、ぼろぼろと解けていく。
 舌、歯、唇、すべてをこぼした死蝋は呪句を刻むことかなわぬまま、藻屑と成り果てて海底に撒き散らされた。


「首尾は?」
 琴美を回収したタクシーの運転手があきらめを含んだ声音で問う。
「殲滅しました」
 琴美は運転手の予想どおり、こともなげに答えた。
「できれば敵の出自や正体を知りたいところだったんだがな」
 そして彼女はまたも運転手の予想どおりの言葉を返す。
「それは私の仕事ではありませんので」
 運転手のため息を聞きながら、琴美はウインドゥの外へ目をやった。
 ――私は刃。人ならぬ敵に対するためにこそこの身を研ぎ澄まし、そして斬るだけの道具。それだけが私の“分”で、ただひとつの目的だから。
 彼女は薄笑み、目を閉ざした。
 胸に喜悦を燃やし、斬るべき次の敵の訪れを待つ。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【水嶋・琴美(8036) / 女性 / 19歳 / 自衛隊 特務統合機動課】
東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2018年06月18日

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