▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『菩薩眼 』
剱・獅子吼8915
 街の片隅に建つチェーンの喫茶店。
 客層はおじさんとおじいさん、そして主婦という、近所の人々ばかりである。
 店のドアをくぐった剱・獅子吼は、いつもどおりに喫煙席の隅のテーブル席へ通された。
 ドライシガーの箱をテーブルへ放り出して「アイスコーヒー」、いつもどおりの呪文を唱えれば、ブラックのアイスコーヒーが運ばれてくるわけだ。
 ちなみに。彼女は愛煙家ではない。紫煙の排斥が進められる昨今、禁煙席は一見も多く、客の顔ぶれは流動的だ。しかし喫煙席は大概馴染みの客が固まっており、金髪碧眼という異相を備えた彼女を「よく見る顔」だと放っておいてくれる。
 口さがない人々の好奇の目に晒されるのはいろいろと面倒だ。なにせ獅子吼は見た目もさることながら、相続を放棄したとはいえ素封家の末裔でもあるのだから。
 そういえば、その話を聞きつけた週刊誌の記者たちにつきまとわれたあげくゴミまで漁られ、彼女のボディガードが刃傷沙汰を起こしかけたことがあった。彼女的には普通に笑い話なのだが、関わった人々はもれなく口をつぐんでいたりする。
 やれやれだね。ひとつ息をつき、ライオンの鬣を思わせる金の髪を指で梳けば、額に刻まれた刀傷が露われる……ああ、これもボディーガードに注意されていたのだった。人目を引かないよう、傷は隠しておくように。
 まったくもって世界はなかなかに生きにくいものだね。
 まあ、彼女にとって世界などという場所は生きにくいことで満ち満ちているので、今さらもうひとつくらい加わったところで気になろうはずもない。ただし、彼女もまた人である以上は、世界の都合に従うよりないこともわかっている。
 シガーにマッチで火を点し、紫煙をくゆらせる。シガーの煙は肺まで吸い込むのではなく、口の中で転がして吐き出す口内喫煙だ。だからこそ、もともと吸わない獅子吼も吸っているふりができるし、ついでに声も心も甲高い思春期の男子や清楚女子信仰をこじらせたボンボン避けにもなる。
 そんなことを考えなければならない程度に彼女の肢体は豊麗で、とある銀行に管理を委ねた財産は潤沢だった。もっとも、前者はあることを知らせればすぐに収まるだろうし、後者のおかげで彼女は隠遁生活を決め込むことができるのだし、その有り余る余暇を使って多少の労働を楽しむことも――
「いや、どうもどうも。こちらからお呼び立てしておいてお待たせを」
 ぺこぺこと頭を下げながら向かいの席へ滑り込んできたのは、この界隈の土地と建物を取り仕切る不動産屋の社長だった。
「お気になさらず。私も着いたばかりですよ」
 獅子吼は灰皿を社長のほうへ押しだし、薄笑みを見せた。
「これはどうも! でも、勘違いしちゃったら困りますんでね」
 物言いは見た目どおりに好色そうだが、社長の目やしぐさには情欲の気配がない。きちんと公私の別をわきまえ、人を見ているのだ。そうでなければ、獅子吼の喪われた左腕から礼儀正しく目をそらしたりもしないだろう。
 こういう相手には妙な駆け引きをせず、ストレートに切り出すべきだ。
「私にご相談がおありとのことですが?」
 自分の煙草に火を点けて吸い込み、うまそうに煙を吐き出した社長があわてて姿勢を正す。
「ウチが扱ってます物件で、ちょっとまずいモノがありまして」
 社長はガムシロップをたっぷり投じたアイスオレをストローで吸い上げ、ため息をついた。
 声色と表情の動きを見るに、社長は困惑しているらしい。不動産屋といえば幽霊付きの物件を扱うこともあるだろう。だとすれば“出る”だけではないということか。
「神主なり僧侶なりにご相談は?」
 獅子吼の言に驚いた顔を上げる社長。まだなにも言っていないはずなのに、なぜわかる?
 読むまでもなく知れる社長の疑問に、獅子吼はこともなげに。
「すでに扱っているとのお話でしたので、暴力に関係する者よりも霊ないし人外に関わるものかと」
 おお。社長は大きくうなずき、もう一度、力なくうなずいた。
「はい。馴染みの祓い屋に行ってもらったんですが、どうにも歯が立たなかったようでして……」
 口ごもった社長の顔は、その祓い屋がただ失敗しただけではないことを物語っていたが。
「顛末を社長がご存じということは、命を落とされたわけではないということですね」
「それも大当たりです。ウチのパートってことで契約書でっちあげて、病院にぶち込んどきましたよ。社会的身分ってのがないと入院もできませんので」
 あなたのお話もそこで聞いた次第でして。答えた社長は苦い顔で煙草を吹かす。祓い屋を本気で気づかう心が、引き絞った眉根ににじみ出していた。
 ――金で雇われるばかりの輩なんて放っておけばいいのに。好ましく想いはしないけれど、いい男だ。
「わかりました。後はお任せください」
「あ! ああ、ありがとうございます。じゃあ」
 社長の口を指先で封じ、獅子吼は立ち上がる。
「契約書は必要ありませんよ。社長がアンフェアをするような人ではないこと、充分に見せていただきましたから」
 物件の場所だけを聞き出した獅子吼は、狐につままれたような顔を向ける社長を置き去り、店を後にする。
 さて。鬼が出るか蛇が出るか、お代は見てのお帰り……だね。
 なまぬるい風にライオンヘアの先を梳かせ、獅子吼は獅子がごとくの一歩を踏み出した。


 下弦の月に照らされた、造成半ばで放り出された荒れ地。
 獅子吼の鼻先をかすめるものは、掘り返された土のにおいに混じる古い死臭。昔は墓地か処刑地だったのだろう。実にありがちな話ではあるが。
 問題は、死霊祓いで暮らしを立てているはずの術者を返り討つなにかが潜んでいるということだ。
「わざわざ夜が更けるのを待ってから来たんだ。お出迎えくらいはしてくれてもいいんじゃないかな?」
 獅子吼は薄笑みを湛えたまま声音を投げ。
 すでに存在しないはずの左腕を伸べた。
 と。
 切り口の先に闇が押し詰まる。闇は黒となって伸びだし、確かな重さをまといながら己が身を細やかに研ぎ上げて――剣を成した。
「キミにも曰くがあるのだろうけれど、私のこれにも曰くがある。長々語るような無粋はしないけれどね」
 果たして、剣の漆黒に“照らし出された”のは亡霊だった。腰を落とし、左に佩いた打刀の鯉口を切る。
「掘り返されて叩き起こされたんだね。でも、この世界は夢の後だよ」
 構えからして、亡霊が使うものは居合術。なるほど、剣士の高邁を祓い屋がなだめすかすなどできようはずはないか。彼を鎮めるに足るものはただひとつ。
 キミの心を斬る。
 今や漆黒剣と化した左腕をだらりと下げたまま、獅子吼は亡霊へ向かった。
 一歩。亡霊の念が消えた。
 二歩。亡霊の気が消えた。
 三歩。袴の先に隠された亡霊の右足が、かすかに獅子吼へにじり寄った。
 足指でにじる歩法と、それを隠す袴。怨霊がその怨念すらも消してみせる様は見事のひと言だったが。
 それでもキミが望む間合はそこに在る。皮肉だね、血肉を失くした純然なる心は欺瞞なくそれを知らせてしまうんだから。
 四歩を踏み出すと同時、獅子吼の左腕が跳ねた。
 亡霊は刃を抜き打つが、間合と機先を奪われた剣は獅子吼に届くことなく、空を斬った。
「今度こそおやすみ。いつか生まれ変わってきたなら、そのときにこそ尋常の勝負をしよう」
 漆黒を解いた獅子吼は首を飛ばされ、霧散する亡霊に目礼を送り、静かに踵を返した。

 かくて剱・獅子吼の日常、そのほんの少しの時間を綴るささいな話は一度、幕を下ろしたのである。


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
【剱・獅子吼(8915) / 女性 / 23歳 / 隠遁者】
 
東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2018年06月18日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.