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『虚実の結論 』
スノーフィア・スターフィルド8909
 冷蔵庫に入っていた牛モモを適当に焼いておろしポン酢でいただくという贅沢で適当な晩ご飯をすませたスノーフィア・スターフィルドは、湯船にその肢体を沈めてげんなり息をついた。
 今日はいろいろあった。いや、実際はひとつしかなかったのだが、そのひとつが濃すぎた。
 ゲームの特性を考えればそこまで不自然なものでもないのだろうが、さすがに現実でそれを体験させられるのは辛い。もっともスノーフィアの中身はおじさんなので、女性から迫られるのは正しい恋愛像なのか。
「だからって流されてしまうのは正しくない、ですよねぇ」
 女神であり、もっとも大切な存在でもあったスノーフィアを穢すような真似は、プレイヤーとしても男としてもしたくない。
 しかしこの世界はゲームの設定に基づいているようだし、だとしたらあまり気にしなくてもいいのかも。
「この世界がゲームなら、割り切って思いきり遊ぶ。それはそれで正しい気もします。最大速度でフラグを立てて、最大効率でイベントをこなして……」
 もう一度深く息をつき、スノーフィアは湯船から立ち上がった。
 いろいろ考えてみても、これという答が降ってくることはあるまい。ならば前世にならって強めの酒で心をごまかし、寝てしまおう。

 そんな彼女をどこからか見下ろすものがあった。
 もったいぶってもしかたないので言ってしまうが、スノーフィアを転生させた例の神様だ。
 確かにスノーフィアと彼女が在る世界は、前世の彼女がプレイしてきたゲームの設定を上書きしたものである。思い入れのある世界なら、思い入れのある器なら、あっさり手放したりはできまい。
 しかし今、スノーフィアは“ゲームだから”という非現実へ逃げ込もうとしている。
 それは非常に危険な兆候だ。万象がゲーム設定の影響下にある世界は、スノーフィアの心ひとつでいかようにも歪むのだから。
 一度心に積ませておくべきか。虚構が誠となる恐怖を。
 神は酒の力で浅い眠りへ落ちたスノーフィアの設定データを呼び出し、書き換えていく――


 買いだしを済ませたスノーフィアは大きく膨れたレジ袋を両手に提げ、マンションのエレベーター前で困り果てる。
 どうして卵をいちばん下にして袋詰めしてしまったんだろう? ボタンを押すために変な置き方をすればぐしゃっと行ってしまうかもしれない。
 と、そのとき。
「荷物大変そうですね」
 大学生と思しき爽やかな青年がエレベーターのボタンを押してくれたのだ。
「ありがとうございます」
 青年の好意を感じ取ったスノーフィアはやわらかく笑み、そして考える。人生とはゲームだ。目には見えない選択肢を正しく選択し、登場キャラクターの心を奪う。それがただひとつのルールで目的。
 だから彼女は選択した。いかにも青年が好きそうな、おっとり清楚を演じることを。
「いつも考えなしにいろいろ買い込んでしまうので……お礼になんてならないこと、わかっているのですけど、よろしければこの中身、減らしに来ていただけませんか?」
 一気に赤くなり、もごもごと「あ、はい」なんてつぶやく青年を見て思う。ここからいくつかフラグを立てて、あとは楽しむだけですよね。

 買い忘れたビールを手に入れるため、もう一度外へ出ようとしたスノーフィアは、タイミング悪く前を横切った運送会社のドライバーに轢かれかける。
「っ! あぶねーだろが!」
 ワイルドで口の悪い、でも純情そうな男子。
 守ってあげたい系の女子を演じるのも悪くないだろうが、このタイプなら……
「危ないのはそちらのほうでしょう。怒鳴るよりも謝罪していただくほうが先じゃありません?」
 気の強い、理知を感じさせる歳上の女を演じてみせた。
 案の定男子は言葉に詰まり、しげしげスノーフィアを見つめて。
「……驚かせちまって悪かったな。なんだったらクレーム入れてくれていいぜ」
 スノーフィアは大げさに肩をすくめてみせ、男子の脇をすりぬける。
「クレームは後日、あなたに直接入れさせていただきます。覚悟ができたらいつでもどうぞ」
 男子のなんとも言えない視線を背に感じながら、スノーフィアはひとり笑んだ。選択肢は正しく選べたようです。

「今日の風、気持ちいいよねぇ。たんぽぽみたいに飛んでいけたらいいのにって、ごめんなさい。オレ、子どもみたいだ」
 リビングの窓を開けて深呼吸したスノーフィアに、横合いから細い声音が投げかけられた。
 いかにも病弱そうな、パジャマ姿の少年。スノーフィアはもちろん、少年のいかにもな言葉と態度が庇護されるための演技であると見て取っていた。
「子どもみたいだなんて思いませんよ?」
 スノーフィアは意外そうな表情を傾げ。
「風の気持ちよさが感じられるのは、大人の特権ですから」
 少年が自分と対等な大人だと強調してやった。
“子ども”をくすぐるには、かわいがるよりも自尊心を刺激するほうがいい。年相応の扱いを受けたことのない少年は、逆に一個人として尊重されることで一気に奮い立つものだ。
「オレ、大人かな?」
「そうですね、ベッドへ戻っていい子にしてくれたら――大人のご褒美をあげましょうか」
 さらには子ども扱いで思わせぶりに突き放してやればもう、少年はスノーフィアを忘れられない。
 最大速度で最大効率。攻略は完了です。

 他愛のない相談を持ちかけたコンシェルジュの女性はすぐにスノーフィアの部屋まで飛んできて、今、片膝をついている。
「突然の無礼な振る舞い、お赦しください――姫」
 スノーフィアは哄笑の衝動を噛み殺し、神妙な顔でコンシェルジュを見下ろした。
 コンセルジュがそのような性を備えていることは五分で知れた。だからそれを刺激するよう高貴さと鷹揚さをもって振る舞い、命じたのだ。本心を晒して見せなさいと。
「どうか私の忠誠と、そして愛をお受け取りください」
 別にそのような性癖は持ち合わせていないが、遊びと考えれば悪くない。だって人生はゲームでしょう? せいぜい楽しまなければもったいないですもの。
「あなたへ報いるために、私はなにを返せばいいのでしょうね?」
 心得ていながら、嬲る。支配されたい女へ素直に命令を与えるのは悪手だ。もっともっと昂ぶらせ、心の芯から服従させなければ。スノーフィアは不可視の選択肢を探り、そして――
 唐突に呼び鈴が鳴り、部屋のドアが開かれる。
「クレームもらう覚悟してきたぜ! その次はこっちも言うことあるけどな」
「すみません、邪魔をしないでもらえますか!? 僕はあの人にご招待いただいて――」
「オレ、ちゃんとおとなしくしてたから! ご褒美くれるんだよね!?」
 先に攻略対象としていた男子、青年、少年が互いを押し退け合いつつ闖入してきて。
「静かになさい! ここは姫のお住まいですよ!? 不敬は許しません!」
 コンシェルジュが加わって大騒ぎに。
 さらにはなぜか、全員の手に刃物が――人生はゲーム。最大速度と最大効率で遊んできたはずなのに、なぜこんなことに?
 答はあっさり導き出された。人生は、スノーフィアだけを主人公にしたゲームではないからだ。この世界もまた、都合のいいゲーム盤などではありえない。
 スノーフィアはこちらへ向かってくる凶刃にうなずいてみせ、意識を途切れさせた。


 果たして目を醒ましたスノーフィアは、今まで見ていた夢の内容を思い出そうとしてあきらめた。まったく思い出せない。ただ、なぜか思うことがひとつだけある。
「ゲームでも現実でも、真面目に生きなくちゃいけませんね……」


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【スノーフィア・スターフィルド(8909) / 女性 / 24歳 / 無職。】
東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2018年06月21日

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