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『分水嶺 』
火乃元 篝aa0437)&紅葉 虎葵ja0059)&ジョージ・ユニクスka0442
 火乃元 篝は歩いていた。
 歩を止めず、脇目を振らず、概ねまっすぐ進んで時折曲がる。
 これがいわゆる散歩というものなのだと気づける者など、彼女の契約英雄くらいのものだろうが……。
 裏路地の真ん中で唐突に篝は立ち止まり、他の通行人の邪魔にならぬよう端へ寄って、仁王立って腕を組んだ。考えるための構えもとい姿勢である。
 散歩とは、歩くだけのものではないんじゃないのか?
 今さら過ぎる疑念ではあったがともあれ。
 彼女は脳に収めた“散歩”の知識を引っぱり出し、検討する。
 どこかに行く――それじゃあ今までと変わらない。
 買い物する――欲しいものはないな。生きてるだけで充分だ。
 おしゃべりはどうだ――今から誰か呼ぶのは面倒だ。
 茶を飲む――うん、これなら私ひとりでできるし、面倒もないな。
 というわけで。横を向けば幸運にも落ち着いた雰囲気の喫茶店があり、だからこそ彼女は迷うことなく踏み入ったのだ。

 カウンターが塞がっていたことから四人掛けのテーブル席へ案内された篝は、どっかと革張りのソファへ腰を下ろし、ふむと息をついた。
 会話の邪魔にならぬよう音をひかえて奏でられる生演奏。テーブルの上に吊り下げられたランプが振りまく青白い光。そして飲料や会話を楽しむ客たち。
 まずもって演奏中の楽器が見たことのないものだ。加えてランプの中では光るなにかがせわしなく動いているし、そもそも客に結構な数の人外が混じっていて、しゃべっている言葉が理解できない。飲んでいるものもコーヒーではないようだし。
 篝は礼儀正しくおしぼりで手をぬぐい、コップの水を一気に呷った。うむ、おしぼりと水だ。メニューも読めるし、マスターは人型で言葉も通じる。
 なんの問題もないな!
 あっさりと落ち着いて、篝は背から小さな羽を伸ばすウエイトレスに注文を告げた。
「ブレンドを頼む」
 ほどなく運ばれてきたコーヒーの香りは芳醇だ。コーヒーミルクに砂糖少々を加えてすすれば、口の内に深煎りの豆の風味とミルクのまろみ、砂糖の甘みがひとつに重なり、拡がった。
 うむ、うまいな。
 耳慣れなかった音楽が、今はそれなり以上に馴染んでいる。奏者の客に対する気づかいが心地よくて……これは生演奏ということもあるのだろう。
 ランプの中身がどうやら命ある存在らしいこともわかったし、客の謎言語も異国のカフェのただ中にいるような、なんともエキゾチックな風情を醸し出してくれる。
 ここがどのような場所なのかわからないし、篝自身は気にすることもなかったが、この居心地のよさは実にいい。
 しかしながら、落ち着くということはある種、停滞するということでもある。
 せっかくこのような不可思議な場所へ来ておきながらコーヒーを飲んで帰るだけなんて、それはさすがにつまらないというものだろう。
 なにか起こるといいな。いや、こうなったらなにか起こすか?


 ――などと篝が物騒なことを画策していたころ。
 紅葉 虎葵は、抱っこひもでがっちりホールドした我が子と共に、スーパーからの脱出を果たしていた。
 エコバッグにはぎっしりどっさり、日曜の晩餐とするにふさわしい食材が詰まっている、量がやたら多いのは、留守番している夫と居候たちの分。
 すぐに帰ろうかな、とも思ったのだが、予定より時間もかからなかったし、久々に得た母と子だけの時間は貴重だし。
 浮いた時間でお茶飲むくらい、みんなゆるしてくれるよね?
 特に反対する声も聞こえなかったし(当然)、ここはひとつ、なかなか入る機会のない路地裏の……と、見つけた。いい感じの喫茶店。
 我が子は機嫌よく「うぶーい」とか言っている。足裏の温度はまだ低く、眠たくなってむずかる心配もなさそうだ。
 時は来た! ってやつだよ。
 虎葵は体内に今なお巣くう病魔に障らぬようアウルを高め、店へと踏み込んでいったが。
「生憎満席となっておりまして」
 なんとも間が悪い! 我が子と荷物を抱え、とぼとぼ後じさりしようとした虎葵だったが。
「相席でよろしければ、とおっしゃっていただいているお客様がいらっしゃいますが」
 知らない人と同席か。うーん……
「じゃあお願いするよ!」
 この店で茶を飲むと決めた以上、飲まなければ気持ちが収まらない。
 そして我が子はかわいい。いつ何時も、どこに置いてもかわいい。相席の場に出しても問題なくかわいい。
 だからこそ、迷う理由はないんだった。

「お邪魔するよー」
 エコバッグはマスターに預け、我が子だけを抱えて席につく。
「うむ、楽にしてくれ!」
 向かいから、威風堂々を絵に描いたような、実に見事な座しっぷりを見せる女が応えた。
「私もこの席に座って長いが、普通の人間が来るとは思わなかった」
 きみはこの席の主(ぬし)か。ツッコみかけて、虎葵はまわりを見やる。確かに人ならぬ者、この世界のものならぬ物品が目に入ってくるが、天魔を見慣れた彼女にとってはそれほどのインパクトはない。
 紅茶を頼み、我が子の腕を取って体操なんかさせていると、女がこちらをのぞき込み。
「それは赤子か?」
「見てのとおりね!」
「ふむ――私はそのころの記憶がないからわからないんだが」
 普通はないだろう。が、女の赤い眼がやけに真剣だったので、次の言葉を待つ。
「母というのは赤子の手を振り回すものなのか?」
「ちがうちがう、これは体操だよ。早く立てー、元気に育てー、楽しく暮らせー、そんなことを願いながらわきわきとね」
 タイミングよく我が子が「えへへ」。
「笑った!? まさか今の話を聞いて……」
 不思議なくらい驚く女に虎葵は苦笑し、うなずいてみせた。
「だといいよねー。僕のお願いを叶えてくれたら最高だよ」
 女は赤子と虎葵とを見比べ、感慨深げに唸る。
「母とは赤子にそんなことを願うんだな」
「お母さんだからね」
 女はまた唸り。
「私には母と触れ合った記憶がない。父とは殺し合ったことしかないしな……。そうか。母とは、そういうものか」
 む。女の言葉に虎葵は引っかかる。
 僕だって産んでみるまでなんにもわからなかった。ちょっと見ただけで全部わかられたら母子の沽券に関わるよ。それに――きみ、今自分がどんな顔してるか見えてないよね。すごくやさしくてすごく悲しい顔、してるんだよ。
「お母さんってね、それだけのものじゃないんだよ」
 む? 顔を上げる女と目を合わせ、虎葵は笑んだ。
 これがライヴス燃やす突貫女子たる篝と、アウルまとう不屈若妻たる虎葵の出逢いだったのだ。


「ここ、どこでしょう?」
 白きフルプレートで小柄な体を包んだジョージ・ユニクスは辺りを見回し、途方に暮れた。
 日課の鍛錬を済ませ、いつもの路を通って帰ろうとした。それだけだったはずなのに、角を曲がった瞬間、まるで見慣れぬ風景の端に踏み込んでしまっていたのだ。雰囲気からして、話に聞く“青き世界”にも見えるが……実際のところは不明である。
 それにしても、先ほどから猛烈な勢いでチラ見されている。誰ひとり武装していないことからして、おそらくはこの場所に甲冑姿を晒していることが問題なのだろう。
 とにかく人目を避けなければ。
 彼はガッシャガッシャと鋼甲を鳴らし、目についた店へと駆け込んでいった。
 そして人外や見たことのないものが詰め込まれた謎空間を目の当たりにし、またもや途方に暮れたのだ。
 リアルブルーってこんなところなんですか……聞いていたのとだいぶちがう感じなんですけど。
 次いで普通の人間であるらしいマスターに満席を告げられた後、切り出されたわけだ。
「相席でしたら、とおっしゃっていただいているお客様方がいらっしゃいますが」
 お客様方? 割り込んでしまって大丈夫、なんですか?
 気後れはあれど、この店を出てまた注目を集めるほうが辛い。甲冑、気にしないでくれるといいんですけど。おずおずガシャガシャ、席に案内されてみれば。
「騎士か!? おまえ、騎士なのか!? それともロボかロボ!? 合体とか分離とかしないのか!?」
 やけに豪快な銀髪赤眼の歳上女性が身を乗り出してきて。
「んー、ちょっぴりかわいい系? よし、とりあえず脱いでみよっか!」
 同年代らしき黒髪銀眼のしとやか系少女が、赤ん坊を抱っこしていないほうの腕を伸ばして彼のバイザーを跳ね上げた。
「いや、この装備は僕の誓いと一念が――」
「席を同じくして語り合おうというんだ。そしたら開くだろう、胸襟!」
「そうそう、素顔じゃなきゃ話せないことだっていっぱいあるんだからね」
 それだったら冑だけ脱げばいいんじゃ……いやいや、そもそも顔だって別に……あ、そこはだめですってばー!


「やっぱりかわいい系だね。ちょっぴりじゃなくてすっごく」
 虎葵が満足げに鼻息をつく。
「はぁ」
 鋼甲のすべてを剥がされた鎧下姿のジョージは、美しく整った顔をうつむけ、居心地悪げに篝のとなりで小さくなる。
「ロボじゃなかったのは残念だけどな! よし、ジュースでも飲むか?」
 うう。ジョージはさらに縮こまりながらもかぶりを振る。確かに小柄ではあるが、彼にも年相応の男子たる矜持があるのだ。歳上の女性の前で無様は晒したくない。
「コーヒーを……ブラックで」
 言った。言ってしまった。これまで何度かタフな男気取りで口にしては撃沈してきた黒き悪夢を、またもや召喚してしまった。
 結果はまあ、これまでと同じく撃沈に終わったわけだが。
「チャレンジ精神、悪くないぞ!」
 篝が新しく頼んでくれたオレンジジュースで口を洗い流し、ジョージはしかめ面を左右に振る。だめですね、僕。なにも変われていない。
 と。僕のせいで空気、悪くしちゃだめですよね。なにかしゃべらないと。
「おふたり……篝さんと虎葵さんはお知り合いなんですか?」
「いや、さっき会ったばかりだ。母とはなにかを教えてもらっているところだった」
 篝が応えれば、虎葵は抱えた我が子をやさしく揺すって苦笑した。
「別に教えるようなことないんだけどねー。だってお母さんって、そうなって初めてお母さんになるんだし」
 ジョージのマテリアルは感じ取っていた。篝と虎葵の不可思議な力に宿る、確かな強さを。その力は戦うための力であり、だとすれば彼女たちとて平和なばかりの世界に生きているわけではないはず。
「子どもを抱えたままでは、いざというとき存分には戦えないんじゃないでしょうか?」
 彼の疑問に虎葵は「確かにねー」。しかし、続けて強くかぶりを振って。
「でもね、この子を護るためなら形振りなんて構わないし、この子を護れなくなるから絶対死なない。僕はね、この子のためならすごい力が出せるんだ」
 迷いも偽りもない、直ぐな目。
「強いな、紅葉は」
 篝の言葉に込められたものは感嘆。
 そうか、護りたいものがあるから生きられるか。母は強しという言葉の意味、ようやく腑に落ちたぞ。
「僕は独りじゃないから。この子だけじゃなくて、家には居候がいる。旦那さんも、あとは旦那さんのお嫁さんたちもね。家族みんなが支えてくれるからこそ、僕はどこにだって突っ込んでいけるんだ」
 ん? 旦那の嫁たち?
「おい、夫の嫁はおまえだけじゃないのか? それはウワキとちがうのか?」
 思わず虎葵に詰め寄りかけた篝の鼻先へ、ジョージのつぶやきが滑り込んだ。
「僕は強くなりたい」
 王国貴族の一端に名を連ねていながら、家を捨てて蒸発した父。そのことがジョージ――いや、ゲオルギウス・フェニケロースと家の未来、そして母から光を奪い去ったのだ。
 必死で剣技を修めたゲオルギウスはジョージ・ユニクスを名乗り、ハンターに身を窶すこととなる。
 強くなりたい。強くならなければ。母を傷つけて逃げた父へ、この刃を打ち込むために。
「暗い目をしてる」
 篝に子を預けた虎葵が、にゅう。ゲオルギウスの頬を両の手のひらで挟む。
「あ、いえ、その、すみません」
 ジョージたることを取り戻した彼は、そのあたたかな手から逃れようと顔を引くが。
「攻めるとか責めるとか、それじゃだめなんだ。考えて。きみにもあるでしょ? なによりも護りたいもの」
 僕が護りたいもの、それは母だ。
 でも、目の前の“母”は家族を護りたいから強くなるんだって言っていて。
 どっちがどっちなのか、よくわからなくて。
「赤子を抱いてみると確かに思うものだな。こうやって誰かに護ってもらって初めて自分の足で立って、未来を選ぶことができるんだって」
 篝の思いを察した虎葵がうなずいてみせて。
 篝は赤子をそっとジョージに抱かせた。
 重量にすれば数キロ。いつもジョージが振り回している聖盾剣に比べればずいぶんと軽いはずなのに、重い。それはもしかすればこの子を護りたいと願う母の心の重みなのかもしれない。
 あのとき、母はもしかして僕を護ろうとしたんだろうか。
 だとしても、僕は――
「僕は弱い。技だけじゃなく、心も体も未熟で……強くなりたいです、本当に」
 と、ジョージにぐわっと篝が迫り。
「強くなりたい。ふむ、その心意気やよしだな! なら私とひと勝負するか!? 考えてたってなにも始まらないし終わりもしない。だからひとつ、ガツンと行こう!」
 鼻息荒く拳を振り回す篝に、ジョージは思ってしまった。この人、いちばん歳上のはずなのにいちばん子どもなんですね。
「いえ、お店に迷惑がかかりますから」
「じゃあ指相撲だ!」
「騒ぐとまわりのお客さんにも迷惑ですよ」
「ぬぅ、いきなり大人ぶるじゃないか……なら、コーヒー早飲み対決だな」
「え?」
「しかも砂糖とミルクは封印だ!」
「ええっ!?」
 大人なんだか子どもなんだかよくわからないものを比べ合う篝とジョージのかけあいに、虎葵は我が子と共に笑うしかなかった。


「今日はお話を聞かせていただいてありがとうございました」
 元のとおりに甲冑をまとったジョージが頭を下げた。
 虎葵の示した「護るための強さ」については、正直まだ思い至るものはない。が、篝の言い切った、「考えているだけではなにも始まらないしなにも終わらない」は驚くほど感じ入るものがあった。
 そうですね。悩んでたってなにも始まらない。終わらせるために、僕は探さなきゃいけないんですよね――本当の強さを。
「僕も楽しかった。近いうちにまた、って言えないのが寂しいとこだけど」
 篝もジョージも、まだ本当の強さを知らない。でもこのふたりならきっと出逢えるはずだ。なによりも強い力、それをもって護るべきものと。
 ほんの少しの間話しただけのふたりにこんなことを感じるなんて不思議だけど、きみたちのことはまるで昔から知ってるような、そんな気がして。だから願っちゃうんだよ。早く出逢え。元気に進め。楽しく暮らせ。ってね。
「じゃあな!」
 ふたりに右手を挙げてみせ、篝は歩き出した。
 よくわからない場所で、本来であれば出逢うはずがなかったのだろうふたりと出逢った。こんなことが起こるなんて、人生とは実におもしろい。
 だから私はさよならなんて言ってやらないぞ。二度と会えないなんて、そんなのぜんぜんおもしろくないだろ?

 ひとつに重なっていた三様の思いを別ち、三人はそれぞれの路へ確かな歩を踏み出し、先をさして行く。


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【火乃元 篝(aa0437) / 女性 / 19歳 / 最脅の囮】
【紅葉 虎葵(ja0059) / 女性 / 15歳 / 堅刃の真榊】
【ジョージ・ユニクス(ka0442) / 男性 / 13歳 / カコとミライの狭間】
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2018年06月29日

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