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『尋常の柳 』
不知火あけびjc1857)&不知火藤忠jc2194
 夏の午後をひとすじの風が吹き抜けていく。
 不知火あけびはふとその風の軌跡を追い、振り向いた。
「どうした?」
 と。庭のただ中に建つ東屋、そこにひとつ置かれた床几に座す日暮仙寿之介がやわらかく問う。
 越後上布の薄物をゆるく着流していながら、彼にだらしなさや隙はない。常在戦場ではないが、彼がいつでも佩剣を抜き打てる“心”を構え、“技”を“体”に備えているからだ。
「なんでもないです!」
 思わず見惚れてしまう目を無理矢理引き剥がし、あけびは頭を左右に振った。
 心技体、どれもまだまだかなわないなぁ。思いながら、彼女は結城紬の小袖の襟を正し、仙寿之介の左に腰を下ろした。いざとなれば彼の死角を埋めて戦う覚悟。それはすでに考えずとも据えられるまでになっていて。だからこそ仙寿之介も受け入れ、左を預けてくれる。
 そんなあけびを流し目で見やった仙寿之介はなにを言うこともなく、冷やした茶を口に含む。こちらから重ねて問うつもりはないぞ。
 そう示されれば、後ろめたいあけびは口を開くよりなくて……
「ほんとは、少しだけ、あります」
「ああ」
「本家の見張りが来てるんじゃないかって」
 仙寿之介はかすかに眉をしかめた。この住まいは、彼がこの世界で唯一友と呼ぶ不知火藤忠――あけびの親族でもある男が用意してくれたものだ。忍が手を尽くした対忍の空間に、おいそれと他者が侵入できようはずはない。加えて、そう。仙寿之介がいる以上は。
「さすがにわけを問わねばならんな、藤忠」
 仙寿之介が声音を放てば、東屋を囲む隠蓑――ウコギ科の常緑亜高木。夏に花をつけ、その葉は捧げ物の器としても使われた――の影から、潜んでいたらしい藤忠が姿を現わし。
「本家から連絡があった。俺とあけびに見合をしろってな」
 見合?
 舌先で疑問を転がして、仙寿之介はもうひと口茶を飲み下し。
「――見合だと?」
 あ。アディーエ、今すっごく動揺したー!
 あけびは彼女だけが知る仙寿之介の本名を胸中で唱え、吊り上がりかけた口の端をはっしと指先で押し止めた。
「そんなことでうれしがってるときじゃないんだから!」の奥から「でも、こういうとき動揺してくれるんだぁ」が染み出してしまうのはしかたないこと。普段は完璧な沈着を保つ恋人が垣間見せてくれた真意に浮き立たない女子なんて、この世に存在するはずがないのだから。
「……俺はおまえが思うほど泰然自若ではないぞ? おまえのことになれば容易く動じ、心を乱す」
 きちんと弱さを晒してくれる信頼に、平然とうなずき返せるはずも、なかった。
「私、仙寿様だけですからね?」
 仙寿之介の腕に体を預けるあけび。こうすれば、たとえ仙寿之介の耳が塞がれたとしても腕を、肩を、首筋を伝って思いは届く。
「……で、おまえらのなかよしぶりを見せつけられた俺はどうすればいいんだ?」
 藤忠があきれた顔でため息をつく。
 あけびは彼に驚いた目を向けて。
「姫叔父いたんだ!?」
 藤忠はもう一度ため息を漏らし、芝居がかったしぐさで両手を拡げてみせた。
「聞いて驚くなよ? 不知火藤忠26歳、不知火あけび殿の見合相手を仰せつかった者だ」
「それは知ってる。あ、私にはもったいない人だからお断りするね?」
「ばっさりだな! せめて仲介人を通して言え! 尻尾巻いて実家に帰らせてもらう……って、その実家というか、本家に呼び出されてるわけだがな」
 あけびと顔を見合わせ、同時に深いため息をついた。

 仙寿之介の当座の住まいである母屋の一室。
 三人は不知火に伝わる除虫香――平たく言えば香料を加えた蚊取り線香の粉末だ――の薫香に顎先をくすぐられながら、無言である。
 これでは埒が明かぬと肚を据えたのは藤忠だった。
「あけびは知っているな。俺が本家への立ち入りを禁じられていたのは」
 あけびはうなずいた。なんと言っていいのかわからなかったのだ。藤忠を遠ざけたのは他ならぬ彼の姉であり、現在病に伏せっているあけびの父の弟嫁なのだから。
「気づかってくれなくていい。俺はあけびについた身だからな。姉からすれば煙たかろうよ」
 のんきに南瓜餡の月餅を頬張った藤忠がふと眼をすがめ。
「問題は、この段になってなぜ俺なんぞを呼び戻したいのか、だ」
 庭へ目をやっていた仙寿之介が、その視線を藤忠に向ける。
「知れていることは語っておけ。後出しに足されてはなにがしかの腰を折ることになる」
 観念した顔で藤忠が言葉を継いだ。
「姉がしたいのは俺を売りつけることじゃあない。逆だ。あけびの買い取りだよ」
「おいくらで!?」
 思わず声をあげたあけびに、仙寿之介と藤忠がなんとも言えない顔を向ける。ちがう、そういうことじゃない。
「わかってるけど! ちょっとだけ気になるでしょー」
 むぅと唇を尖らせるあけびはさておいて、藤忠は説明を続ける。
「現当主はすでに高齢、いざとなれば次期の“繋ぎ”を務めることになるだろうあけびの親父さんは病が長引いている。ようするに、繋ぎがどうなるかわからない現状を利して次期当主を決めてしまおうということだ」
「私が姫叔父のお嫁さんになると、不知火の本家じゃなくて分家筋へ入ることになるから次期当主じゃなくなる、よね?」
 指先で家系を描くあけびに、藤忠は苦い顔をうなずかせてみせた。
「そういうことだ。あけびという邪魔がなくなれば、もっとも当主の血を濃く引く姉の息子があっさり当主の座へ収まるわけだな」
 あえて甥とは言わなかったのは気づかいか、それとも含むものあってのことか。いや、どちらもなのだろう。単なる姉と弟、叔父と甥と言ってしまえる関係ではなかったから。
 どうしてこうなっちゃったんだろ。万感を飲み下すあけび。
 そんな彼女に仙寿之介が声をかける。
「あけびはどうしたい?」
 自宅にあるときには刀掛けへ預けているはずの剣。それが今も仙寿之介の傍らにある。つまり仙寿之介は、いつでもその刃を携え、斬り込みに行くと示しているのだ。
 藤忠もそれなり以上の手練れではあるし、本家には当然、あけびを支持する者たちもいる。たとえ藤忠と仙寿之介が義叔母から疎まれていようと、乗り込んで“話し合う”なら陥れられぬ程度の陣は組めるだろう。
「戦うよ」
 応えたあけびが手にしたのは、月餅を切るための柳楊枝だった。
「刃じゃなくてこっちで、尋常に勝負!」
 柳の樹皮にはサリシンという解熱・鎮痛効果を備えた物質が含まれる。その知識はそもそも、応急手当を心得える藤忠があけびに伝えたものだ。
「なるほど。そういうつもりか」
 藤忠が仙寿之介に目線を送れば、仙寿之介はことさらに音を響かせて鯉口を切り。
「これ以上聞いたところであけびは揺らぐまい。帰って主に伝えるのだな」
 庭に流れ出た香煙がふわりと逆巻き、かき消えた。
「やはりいたか」
「まったく、忍とは勤勉なものだな」
 したり顔を付き合わせるふたりに、あけびが納得いかない顔を割り込ませて。
「仙寿様、まさか本家の見張りって初めから?」
「ああ。俺たちが庭に出る前から潜んでいた。が、話を聞くなら藤忠のほうが楽だろう? どうせ来るものと思っていたしな」
「だから見逃したんです!?」
「どう声をかけるべきかと考えてはいたんだが、おまえに害意がないならいいかと」
「いいわけないですよね!? だってあの――なとことかも見られて――」
「俺の目はどうでもいいのか……それよりあけびはなんで仙寿之介の家にいる? まさか、婚前の娘が居続けなどしていないだろうな!?」
「通い! 通いだよ! 居続けなんてそんなはしたないってなに言わせるのーっ!!」
 などと場は騒然と沸き立ちつつ、舞台は暗転。次の場面が幕を開けるのだった。


「見なくても知ってることばっかり……」
「どれだけ俺があけびの世話をしてきたと思っているんだろうな……」
 あけびと藤忠は仲介人を通してそれぞれへ届けられた身上書、家族書、そして写真を見やり、げんなりと顔を見合わせた。
「それより姫叔父、なにこの写真。王子様?」
 ラメを散らした白スーツに下から風を吹きつけてはためかせ、見下ろすように顎を逸らした藤忠が前髪を押さえて決めている。
 写真集なら表紙を飾れる一枚だが、見合い写真にはあまりにもそぐわない。
「写真担当が中国の業者だったんだよ。あっちはほら、結婚のとき新郎新婦のドラマチックな写真集作るからな」
 とりあえず今後のネタにはなるからそっとしまっておいて。次はあけびだ。
「で、おまえはなんだ? 100年前の再現写真か? デモクラシーの再臨か?」
 いつものように縮緬の矢絣に行燈袴、編み上げブーツで決めたあけびが、クラシカルな椅子に腰かけて固い薄笑みを傾げている。カラー写真のはずなのに、どこかセピア色に見えるのはどうしてだろう?
 ちなみに大正時代、美人はせっかく入学できた女学校を卒業できないのが定番であった。在学中に方々から縁談が舞い込み、あっさり嫁がされてしまうからだ。
「せっかくの機会、正装を経験しておくのもよかっただろうがな」
 あけびの写真をのぞき込んできた仙寿之介。
 彼女はそれをわーっと押し退けて。
「いいんですー! あと二年は学生ですからっ!」
 私の初めては全部、あなたのためにとっておきたいんです! 言えなかった言葉を無理矢理に飲み下し、憮然と顔をしかめれば。
 その頭に仙寿之介の手が置かれ、やさしく髪を梳いていく。
 もう、そういう全部お見通しみたいなの、ずるいです……。
 おとなしく見せつけられていた藤忠は、砂糖の塊をくわえさせされたような、なんとも言えない顔を振り振り。
「俺、この見合が終わったらプロポーズするんだ……海岸で片膝ついて……」
 と、愛しい女の姿を思い描く藤忠に、あけびはごくごく冷静な顔を向けた。
「そういうフラグ立てちゃうと後で大変だよ?」
「いやいや、おまえとの見合で死ぬようなことは――ないと言い切れないのが怖いところだな」
 これはそう、しかけた相手の意に沿わないことが決まっている戦いなのだ。なにが起きるものか知れず、生還もまた約束されたものではない。
「いろいろ慎重に進めていかないとだね」

 通例であればこの段階で見合を受ける、受けないを決めるわけだが、今回は断る選択肢がないので訊かれもせずに話は進む。
 互いに釣書を交わし、不知火縁の旅館の離れに案内され、鹿威しの響きなど聞きつつ庭を眺め――る暇もなく、華やかな振袖ならぬ無地の小紋に身を包んだあけびが深々を頭を下げて。
「今日はとても楽しかったです。ありがとうございました」
 あけびの同志であるはずの藤忠が、予想外すぎるスピード感に思わず「は?」。
 あけびはかまわず、仲人……その後ろにいる義叔母へ宣言する。
「せっかくのお話ですが、私にはあまりにもったいない方かと思います。お断りしていただけますでしょうか?」
 ここまで来れば藤忠も肚を据える。
 あけびは今、鋼ならぬ柳の剣を抜き打った。尋常の勝負はもう始まっているのだ。
 まったく、惚れてしまいそうだな。俺が月の光に魅せられず、明ける日が暮れる日を追っていなければ――
 浮きかけた皮肉な笑みを収め、藤忠はダークスーツの襟を正し、ネクタイの位置を確認した。
「俺も同じことを思いました。わざわざこのような場を整えてきただいて恐縮ですが、先方にはお断りをお願いいたします」
 あっけに取られた仲人を置き去り、あけびと藤忠は離れを後にする。
「準備のほうが長かったな。というか、慎重はどこにいった?」
 ため息をつく藤忠の背をぱしんと叩き、あけびが一歩進み出た。
「いいの! それよりこれからだよ! 全部これから始まるんだから!」
 その会心の笑みを追いかけて、藤忠もまた足を速めた。
 庭園の外に至れば、小千谷縮に襠高袴という完全武装を整えた仙寿之介がふたりに並び、歩を合わせる。
「正式に使者を送るつもりはないのだろう?」
 あけびは仙寿之介にうなずき、持ってきた風呂敷を見やる。内に収めたものは、仙寿之介とそろいの襠高袴である。
「どうせ連絡はすぐ行くだろうし、待ってるだろうから」
 スカート状の行燈袴ではなく、道着等に用いられるこの袴を携えてきたのはもちろん、戦うがため。
「藤忠はそれでいいのか?」
 ネクタイをゆるめてシャツの第一ボタンをはずした藤忠はふと笑んで。
「立ち回りがあるならおまえに丸投げだ。今日、俺が振るう得物は口先だからな。それもまあどれだけ必要かわからないが」

 かくて三者は不知火本家へ向かう。
 なにが待ち受けるとも知れぬ、敵の本陣をさして。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【不知火あけび(jc1857) / 女性 / 20歳 / 明ける陽の花】
【不知火藤忠(jc2194) / 男性 / 26歳 / 藤ノ朧は桃ノ月と明を誓ふ】
【日暮仙寿之介(NPC) / 男性 / ?歳 / 天剣】
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エリュシオン
2018年07月10日

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