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『闇の剣が虚無を断つ』
剱・獅子吼8915


 人は何故、生きるのか。
 物事を突き詰めて考えてゆくと、最終的にはどうしても、そこに到達してしまう。
 足りぬ頭で、私は幾度も考えてみた。何年も、考え続けてきた。
 自分自身のために、生きている。私は、1度はそう思った。他人の喜びのために生きているのだとしても、それは結局のところ自己満足でしかないからだ。
 しかし、私は知ってしまった。もう1つ先がある、と。
 この世に生まれてしまったから、生きている。
 この世がいかなる場所であろうと、生まれてしまった以上は生きなければならない。
 だから、世の人々は生きている。生まれてしまった事を呪いながらだ。
 近年、自ら命を絶つ若者が増えているという。
 彼ら彼女らは、気付いたのだ。生まれてしまったからと言って、別に無理に生きてゆく必要はないと。
 まさしく悟りの境地だ、と私は思う。肉体的な生命を捨て去る事で、新たなる霊的進化の道へと至る。その事を、誰かに教えられたわけでもなく自力で悟った若者たちが、増えているという事だ。
 自力で悟れない人々には、我々の手で霊的進化へと導くしかない。
 それが『虚無の境界』の使命なのである。
 大いなる『虚無』への祈りを唱えながら我々は今、霧の中を歩いている。進軍している。
 街全体が真っ白に染まってしまうような、霧深い朝であった。
 霧の白色が、やがて鮮血の赤色に塗り潰される事になる。
 この先の大通りで我々は今から、未だ悟りの境地に近付けぬ人々を霊的進化へと導く。
 呪わしい日々の労働に心をすり減らしながら生きている人々を。
 ただ生まれてしまったから何となく生き続け、無為に苦しみ続ける人々を。
 我らは、救うのだ。殺戮という手段を用いて。
「これから出勤? 御苦労な事だね」
 声を、かけられた。若い女の声だ。
「私は勤め人じゃないからねえ。時間通りに仕事に出なきゃいけない、キミたちの苦労がわからない」
 霧の中に、人影が1つ佇んでいる。我らの行く手を阻む形にだ。
「君たちが、どれだけ哀れむべき存在なのかも……本当にわかってあげる事は、出来ないと思う」
「何だ、貴様は……」
 IO2が、我らの動きを掴んでいたのか。
 だが、目の前にいるこの奇妙な女は、IO2エージェントには見えない。無論、見た目で容易く判断出来るような者たちではないのだが。
 いくらか癖のある金髪に、彫りの深い美貌。外国人、であろうか。眉間を断ち切って走る傷跡が、禍々しい。
 豊かな胸の膨らみを閉じ込める感じに白のブラウスを着こなしてるのだが、その左側の袖はひらひらと垂れ下がっている。
 隻腕の女が、不敵に微笑んだ。
「上から目線で、せいぜい哀れんであげようか?」
「……IO2の犬か!」
 私は叫んだ。
 私の部下たちは、すでに戦闘態勢である。
 各々、人間である事をやめ、衣服を破きながら装甲を隆起させてゆく。
 霊的進化。その崇高なる理想のために改造手術を受け入れ、人の身体を捨て、栄えある虚無の戦士へと生まれ変わった者たち。
 人体を引きちぎる機械の五指を蠢かせながら、彼らは隻腕の女に迫り寄って行く。
 女はしかし怯えた様子もなく、悠然と名乗った。
「姓は剱、名は獅子吼……しがない何でも屋さ。IO2は得意先でねえ、ここ最近こういう仕事を多めに回してくれるようになったんだけど」
 左腕の入っていないブラウスの袖が、風もないのにフワリと舞った、ように見えた。
「……要するに、人手不足という事かなIO2も。そのくせ、キミたちのような輩は増える一方。まあ商売繁盛で実に結構な話、という事にしておこうか」
 女の戯れ言など聞かず、虚無の戦士たちが一斉に襲いかかる。機械の五指で引き裂きにかかる。
 隻腕の女は、腕どころではない、全身あらゆる部分をちぎり取られて原形もとどめなくなる……はずであった。
 何やら、滑らかなものが見えた。
 虚無の戦士の、断面であった。銃撃にも耐える装甲が、紙の如く切り裂かれている。
 ことごとく両断され、真っ二つの屍に変わってゆく虚無の戦士たち。
 その死の光景の中を、剱獅子吼は悠然と歩む。
「キミたちの言う霊的進化とやらは、こんな死に方でも成し遂げられるのかな?」
 いくらか悲しげな口調で、剱は言った。
「……これなら、辛い思いをしながらでも生き続けた方がマシじゃないか。生まれてしまったこの世の中で、いくらかは無理にでも」
 悠然たる歩みに合わせて、凹凸のくっきりとした身体の曲線が微かに捻転する。左腕が入っていない、はずの白い袖が舞う。
 斬撃が生じ、虚無の戦士がまた1人、斜めに両断されていた。
 女の、存在しない左腕が、存在しない剣を振るっている。私は、そう感じた。
 存在しないはずの刃が、襲撃する虚無の戦士たちを薙ぎ払う。いくつもの、滑らかな断面が見えた。
 私は目を凝らした。幻視か、錯覚か。
 黒い刃が見えた、ような気がしたのだ。
 剱の、この世に存在しないはずの左手が、黒色の長剣を握っている。そう見えたのだ。
 この世に存在してはならない剣。私は、そう感じた。


「何だ……貴様は一体、何者なのだ!」
 虚無の境界、の部隊長と思われる男が、人間の姿を脱ぎ捨てた。
 衣服が、皮膚が、ちぎれて飛散し、金属装甲が体内から盛り上がって来る。
 虚無の戦士たちよりも一回り巨大な異形が、そこに出現していた。
 機械の両腕、だけではない。ムカデの如く節くれ立った金属の触手が無数、全身各所から生えてキチキチと蠢き、鋭利な先端部を獅子吼に向けている。
 元々は人間だったのであろう、その機械の怪物を見据えたまま、獅子吼は言った。
「しがない何でも屋。そう言ったよ……私からも訊こうか。キミたちは一体、何者なのかな?」
「栄光ある虚無の使徒よ!」
 機械の怪物が叫ぶ。
 獅子吼は、存在しない左腕を振るった。本来この世にはないはずの黒い刃が、一閃した。
 その一閃が、超高速で襲いかかって来たものたちを斬り払う。
 ムカデのような、金属の触手。
 無数のそれらが、伸び群がって来たところで切断され、蠢きながら飛散・落下し路上で跳ねる。
 それらを蹴散らし、獅子吼は踏み込んだ。
「無理矢理、何者かに成ろうとする……人間まで、やめてしまう。その執念にだけは敬意を払うよ」
 呟く獅子吼を、機械の剛腕が迎え撃つ。右腕は電光を散らす超大型スタンガン、左手は轟音を立てて回るドリル。
 襲い来る2つの凶器の間で、獅子吼は身を翻した。
 力強いほどにくびれたボディラインが超高速で捻れ、純白のブラウスを豊かに膨らませた胸が猛々しく揺れる。
 それに合わせて、癖のある金髪が横殴りに舞う。光が、幾重にも弧を描く。
 斬撃の光であった。
 存在しない左手によって保持された暗黒の剣が、螺旋状に閃いていた。
 巨大なドリルが、大型スタンガンが、それらを両手の形に生やした機械の異形が、滑らかに切り刻まれて崩壊する。
「私は……無理をしてまで、何者かに成ろうとは思わない。たまに仕事をするだけの、自堕落な隠遁者で充分さ」
 キミも、そう思うだろう?
 この場にいない同居人に、獅子吼はつい語りかけてしまうところだった。
 あの同居人は、少なくとも自分よりは働き者である。
 1つ息をついてから、獅子吼は呟いた。
「次は……キミも、一緒に来てみるかい?」


 登場人物一覧
【8915/剱・獅子吼/女/23歳/隠遁者】
東京怪談ノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2018年07月13日

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