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『烟る香に寄せて 』
氷雨 柊ka6302


「うーん……」

 雨。
 ここ数日ぐずついた天気の日が続いている。
 濡れ縁に面した部屋で針仕事をしていた氷雨 柊(ka6302)は、仕上げた簪袋の出来に満足できず小首を傾げる。

「ここの縫い目、ちょっと粗いでしょうかぁ……飾り紐は朱色の方が良かったかしらー?」

 目の高さに掲げて、しげしげ。
 憂鬱を誘う長雨のせいか、どうも集中力を欠いている気がする。
 キィ……と、どこからともなく今日何度目かの家鳴りがし、傍らの猫が鬱陶しそうにしっぽを振った。
 柊が暮らす木造の日本家屋は、雨が続くと家も建具も湿気を吸って、時折こうした音がする。普段の柊なら『おうちになっても木は生きているんですねぇ』なんて微笑ましく思えるのに、今日ばかりは物悲しい音に聞こえて。
 癒えたはずの胸の傷が、しくり、と疼いた。

「ふーむ、悩むくらいなら一旦解いてしまいましょうー。飾り紐も取り替えてぇ……」

 気を取り直し、握り鋏を出そうとしたが、その時またキシィ……と家鳴り。苛立つ愛猫。呼応したようにしくしくと疼く胸。

「うー……これではいけませんねぇ」

 柊はすっくと立ち上がる。愛猫が驚いたように彼女を仰いだ。

「ちょっと気分転換に、お散歩に行ってきますねぇ。雨の中のお散歩も悪くないかもしれませんよぅ、一緒に行きますかー?」
「…………」

 猫は箱座りに座り直すと、いってらっしゃいとばかりに尾を一振りして目を閉じた。釣れない同居人(猫)にふふっと笑って、柊は部屋を後にした。




 新調したばかりの紫色の和傘を供に、柊は屋敷を出た。
 門を出れば森はすぐそこだ。ひとまず森の中の散策路を辿ってみることにする。
 銀糸のように細い雨は、ぱりっと張った油紙に当たるとさらさら優しい音がする。地面から立ち上る雨の日独特の匂いを、胸いっぱい吸い込んだ。

 雨。
 少し前まで、柊は雨が苦手だった。
 それは、多くの人が言う『何となく気落ちする』『出かけるのが億劫』といった理由とは違っていて。
 "あの日"降った雨は、柊が大事にしていた白猫の痕跡も、歪虚が振るった爪痕も、一切を流し去ってしまった。
 あの子が精一杯生きた証も、助けられなかった自分の罪も、何もかもなかったようにしてしまった雨が好きにはなれなくて。

 けれど、共に歩んでくれる彼のおかげもあって、罪の意識から解き放たれてきた今。

 こうして歩いてみると、悪くないなぁ、と柊は思う。
 雨の森は静かだ。
 人々も動物も住処に篭り、羽を持つ虫達は葉の裏でじっと晴れ間を待っている。
 一方、夏の色濃い葉をつけた木々は、雨を得ていよいよ盛んに生い茂り、葉や蔦が伸びる音が聞こえてきそうな気さえして。
 濡れて輝く森の美しさに、ほうっと吐息が零れた。

「紫陽花はもう終わってしまいましたよねぇ……あ。あっちの小さな池の傍に、梔子の木がありましたねぇ。そろそろ咲いているでしょうかー」

 ふと思い出し、足を向ける。
 玉めく雫をつけた下草を踏みしだき進むと、何とも言えない甘い香りが漂ってきた。

「良かった、咲いているみたいですー」

 香りに誘われた蝶のように、とてとてと足を速める。そして、開けた池の畔に、白い花をつけた木を見つけた。

「今年もいい香りですねぇ……」

 背伸びして花弁に顔を寄せる。遠くにあると甘いばかりだけれど、間近で嗅ぐとほのかな酸っぱさを感じた。
 柊の父がいた蒼界の日本では、梔子は三大香木のひとつに数えられているという。
 紅界の森に咲くこの梔子と、父が故郷で楽しんでいた梔子が、全く同じものかは分からないけれど。

「甘酸っぱくて、遠くまで届く華やかな香り……三大香木っていうのも納得ですねぇ」

 目を瞑り、匂いを存分に味わっていると、胸の中に立ち込めていた靄が少しずつ薄らいでいくような気がした。
 あるいは――目を逸してきた靄の向こうへ、向き合うための気力が湧いてきた、と言うのが近いだろうか。


 何をしても今ひとつ集中できない理由。
 雨のせいでも家鳴りのせいでもないことを、実のところ柊はよく知っていた。

 このもやもやの原因は、先日の結界防衛戦にあった。
 結界を構築する要石を破壊せんと迫って来たのは、追放龍騎士や契約者――つまり『人』。
 ハンターオフィスに舞い込む依頼には戦闘を伴うものが多いが、『人』を殺傷する依頼はごく一部と言っていい。何故ならハンターは法の執行者ではないからだ。相手が盗賊でも暴徒でも、裁きを受けさせるために捕縛を目的としたものが殆どで、討伐を目的とするのは地域の統治者などからの直々の依頼でしかない。
 堕落者を討伐する依頼もあるが、彼らは何らかの理由で人としての生を終え、歪虚として偽りの生を与えられた死者であり、人に似て人ではない者だ。
 なので、ハンターと言えど"人を殺傷すること"に慣れていなくても何ら不思議はない。
 柊の場合は人を相手取ることも初めてだったし、何より、人の形をしたものを傷つけることへ強い抵抗があった。

(だから……あの時、私は……)

 柊の脳裏に、侍の契約者と対峙した時のことが蘇る。
 彼は負のマテリアルを発していたものの、堕落者ではなく契約者。まだ人としての生があり、厳密には歪虚じゃなく人の側にいる者だった。
 そんな彼が纏っていたのはくたびれた着物。柊は彼が東方の出であることがすぐに分かった。
 こんな出会いでなければ、着物の話などが聞けただろうか。
 ここから遥か遠い東方に、彼を待つ家族はいるのだろうか――
 相手が『人』であるからこそ、馳せる思いもあって。

 だから柊は、首や胸ではなく脚を狙った。
 移動力を奪い無力化することで、彼の命を奪わずに済めば、と。

 しかしその想いは、数十秒後に裏切られてしまった。
 脚を奪われた彼は、柊の後ろへ腕で這い寄ると、無防備な背へ刃を突き立てたのだ。
 その怪我が元で、柊は戦線離脱を余儀なくされた。そうして最終的に――要石も砕かれてしまった。


(……甘かったのかしら……殺した方が良かった、の……?)

 足許の小石をコツンと蹴る。小石は池にぽちゃんと落ちて、雨粒で波紋だらけの水面へ一際大きな輪を描いた。
 結果から見れば、彼の命を奪っておくのが正解だったろう。
 それは柊も分かる。

 けれど、それでも、思う。

(仮に、相手を殺す覚悟をして……実際その場で殺した時に、私は後悔してしまわないかしら……?)
(しない私を、私は想像できる……?)

 優しい雨音に満たされた傘の内。
 艷やかな唇から溢れる、灰色の吐息。
 慰めるように肌に寄り添う、梔子の香り。
 ――と。

 ボタボタボタッと、突然傘へ大量の雫が降ってきた。

「はにゃぁ!?」

 びっくりして振り仰ぐ。どうやら梔子の葉に溜まっていた雫が、まとめて落ちてきたらしい。
 雫なんかに驚いて、飛び上がってしまった自分が可笑しくて、柊は思わず吹き出した。
 戯れに、下駄をつっかけた爪先を傘の外へ出してみる。
 爪皮をつけた雨下駄も持ってはいるけれど、あえて普通の下駄を選んできた。火照った爪先に、雨の冷たさが心地よい。

「ふふ。塞ぎ込んでいても、仕方ないですよねぇ」

 呟いた途端、今度は柊のお腹が慎ましく鳴った。

「そろそろお八つですねぇ、帰りましょうかー」

 鮮やかな和傘を、くるりと回して。
 水溜りを子供のようにぴょんと跳ね越え、柊は家路に着いた。






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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ka6302/氷雨 柊/女性/20/縁を絆へ】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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いつも以上にお時間頂いてしまい申し訳ありません! 柊さんの雨の日の一幕、お届けします。
行動はお任せで、というお言葉を頂いたので、めいっぱい詰め詰めさせていただきました。
梔子の花が出てきますが、こちら、時期の花ということもありますが、
『喜びを運ぶ』という花言葉があることから入れさせていただきました。
どうか、柊さんのもやもやが晴れますように。
イメージと違う等ありましたら、お気軽にリテイクをお申し付けください。

この度はご用命下さりありがとうございました!
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2018年07月17日

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