▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『君が咲くを待つ 』
ファルス・ティレイラ3733)&シリューナ・リュクテイア(3785)
 シリューナ・リュクテイアは書斎のプレジデントチェアにその身を投げ出し、うんと伸びをした。
 そろそろお茶にしようかと思ってみたのだが、今日はなかなかに暑く、キッチンまで用意をしに行くのは面倒で。
「そういえば、ティレはどうしているのかしらね?」
 彼女の魔法薬屋唯一の従業員で、魔法使いとしての弟子、さらには妹分であるティレイラが、個人で引き受けている配達屋の仕事へ出かけてすでに一週間。
 そちらには関わらないようにしている――シリューナが手や口を出してしまえば、ティレイラの成長に障るからだ――ことがあり、スケジュールなどは細かく確認していない。ゆえにここまで忘れたふりなどしてきたのだが。
 さすがに寄り道しているのかもでは済まない時間よね。
 シリューナは息をつき、チェアから体を起こす。
 どうせ我慢ができなくなるなら、もう少し涼しい日に思い立つべきだったわ。


 人間が張り巡らせた電波網――Wi-Fiというやつだ――に探知魔力を乗せて放ち、どこかにあるパソコンや誰かの持つスマートフォンなどを中継させてさらに探知の網を拡散させる。
 環境を活用するのは魔法の基本だが、それをここまで応用できるのは、尋常を超えた魔力量とそれを自在に式として編む業(わざ)とを併せ持つシリューナならではだろう。
 一時間余りでシリューナは、ティレイラが世界に刻んだ魔力痕を見つけ出した。魔法は世界の理から外れたものであるため、整然と収められた理に歪みや傷を生じさせる。やがてそれは修復されて消え失せるのだが、かさぶたのように残る痕は数ヶ月もの間そこに在り続けるのである。
 そしてティレイラの使う魔法は主に飛行。ゆえに痕は線を描く。見つけてしまえばもう、より新しい痕のほうへ向かうだけでいい。
 と、唐突にティレイラの痕が消えた。代わりに空間をやわらかく満たす清々しい気配がシリューナの肌を洗い、鼻先に芳醇な香を感じさせた。
 木のにおい。これは……神木だわ。
 見てもいないうちになんとなく知れてしまった。ティレイラはきっと、神木に捕らわれているのだと。


 こうしてたどりついた山林の内、シリューナは見事としか言い様のない巨木と対峙した。
 ひび割れた外皮に苔を這わせ、大きく広げた枝に青々とした葉を湛えたその木は、深い叡智と強固な頑なさを併せ持ち、傲然と彼女を見下ろしてくる。
「話せばわかってもらえるものと信じたいところだけれど」
『汝が言の葉が我に届かば伝わろうよ』
 こちらが理解できるよう、かなりの“倍速”で応えてくれている。どうでもいい話なら会話になるでしょうけど、いろいろ考えてもらって図ってもらうにはこれじゃだめね。
 シリューナは術式を編み、自らの知覚速度にブーストをかける。ただし加速ではなく、減速の方向にだ。
 樹木の寿命は長く、その生は受動的である。ゆえに思考速度は本来、非常に遅いのだ。きちんと交渉しようと思うなら、こちらの速度を合わせる必要がある。
 シリューナを越えていく風が速度を増し、忙しなく揺れる葉が甲高い倍速音を響かせる。
「これで落ち着いて話せるかしら?」
『ぬ、人とは思えぬ――いや、人ならぬ身ゆえの業か。して、何用だ?』
 おもしろげに問う神木へ、術式を加えてさらに思考速度を落としたシリューナが問いを返した。
「あなたのところに私の身内がお邪魔していないかと思うのだけれど、どこかしら?」
『汝と同じ形を持つ者ならば、我が形をもって今は千年の生を過ごし始めたところよ。いや、我が形をもって千年の呪縛を課した者か?』
 話が見えないことこの上もなかったが、「過ごす」と「課す」を別に語ったということは、少なくともふたりの人型生物がいて、なんらかの理由で神木に捕らわれたということなのだろう。過ごしているというほうは、何倍速かで急ぎ動いた神木の縛めの巻き添えを受けたと考えるべきか。
「そのどちらもを見せてもらえない? 私が探している身内が“過ごしている”ほうなら返してほしいのよ」
『うむ、彼の者、神威を示すがための尊き犠牲であった。放てるものならば放つにやぶさかならぬとも。が、千年の生を――』
「私は二百年以上、あなたの数百倍の速さで生きているけれど、特に千年の生を求めたことはないわ。そういうものよ。地に根を張るあなたたちとちがう、根無し草の私たちは」
 シリューナの言葉を噛み締めるように枝葉を揺らし、神木は低く唸り。
『知れぬが、知れた。根有りと根無しが有り様を違えることばかりは』
 神木は地に張った根の一本を蠢かせる。
 その先に繋がったものを、引き寄せる。
 数分をかけて――実際は一昼夜だが――シリューナの前に現わしたものは、二本の低木であった。すっかり神木の霊力と同化し、どちらがティレイラかなど見分けがつくはずもなかったが……シリューナは確信を持って一本を指し示し。
「こちらは過ごしているほう? それとも課したほう?」
『過ごせし者なり』
 ひと息ついて、シリューナは重ねて問うた。
「放してもらえるかしら?」
『内の根を抜くに時がかかる。疾くなることはできぬぞ』
「ゆっくり時間をかけてくれてかまわないわ。ティレが傷つくほうが困るもの」
 ふと、神木が根を揺らし。
『……なにゆえに笑う?』
 シリューナの口の端に浮かんだ笑み、その波動を指して解せぬ声音を発した。
 対してシリューナは、なにを隠すこともなくあっさりと。
「美しいものを愛でることは、私にとってなによりも尊いものだから」
 神木はなにを言い返すことなく、おののいたように根をすくめてみせた。
 根無しの思惑、根有りの我にはとても計り知れぬわ。

 作業のすべてを神木に任せ、シリューナはティレイラへじっくりと視線を這わせる。
 あの、騒がしいほどに瑞々しい魔力こそ感じられないが、そうと知って見れば、拡げた翼、ぴんと立った尾、のけぞった顔と、その頭部から伸び出す角……木となる直前の様を映しているのだろうその曲線のフォルム、まさにティレイラであった。
 どんな鑿でも削り出せない、まさに自然のみが生み出すことのできる造形美だわ。
 風に揺れる鬚根は翼の皮膜だったのだろう。土の守りも雨の潤いも受けていないはずなのに、たっぷりと水気をはらんでいて重い。神木から十分な滋養が与えられている証拠だ。次いで鼻先を近づけてみれば、なんとも青臭い。
 そうね、今のティレは若木なのだものね。
 木肌に指を触れてみれば、神木のような罅が一切ない、ざらりとしていながらすべらかな触感が味わえる。これから年輪を重ねていけば、外皮は固さを増しながら罅を刻み、苔や虫にその身を食ませることとなるはずだ。侘びた佇まいと寂びた風情――それはそれで心躍らせられるが、できることならばこのままで、そうも願ってしまう。
 どちらも欲しいなんて、私は本当に我儘で困るわね。
 苦笑したシリューナは、腕の全部を使ってティレイラを抱きしめた。いつもこうしてしまうのは、美とは五感のすべてで味わうべきものだと思っているからであり、我慢ができないからでもある。まあ、正直に言ってしまえば後者の欲が大分強い。
 腕を通し、木肌の内を辿る水や液の気配がシリューナへ流れ込んでくる。不動であるはずの木の内で、忙しいほどに生命が動いている……その当然な営みがやけに不思議でおもしろく感じられて、シリューナはつい笑んでしまった。
 と。彼女の行為になにかを感じたのか、少しずつ慎重に細根をティレイラから抜き出している神木が『うぅむ』、唸った。
「邪魔だったかしら? 別におかしなことを考えていたわけじゃないのだけれど」
『いや、我にはまるで知れぬ情動に、とまどいを隠せぬばかりのこと。根無しとはまこと恐ろしい……疾く放ち、我が平穏を取り戻さん』
「あら、急がなくていいのよ。むしろもっとゆっくりで」
『否、否、否』
 舌打ちをしかけてシリューナは木、もとい、気を取り直す。
「そういえば呪縛されたほうの子は何者?」
『さて。我には汝らの差異が知れぬものなれば』
 一端ティレイラから離れたシリューナはもう一本の低木へ、編み上げた探知の術式を送り込む。木肌に染みこんだ魔力の形から、魔族の女子であることが知れた。
 魔族は体を動かすにも魔力を消費する。侵食の深度はティレイラよりも深刻だ。
 ――なのに、さっきまではまるで感じられなかった魔力が読み解けるなんて。
 まあ、今は疑問に捕らわれるよりも観賞だが、その前に。
「ああ、この子たちの外皮を少し削らせてもらってもいいかしら? 研究用に持って帰りたいの。代償は私の魔力結晶で払うわ」
『思うままにせよ。ただし代償はいらぬ。縁を残されるは本意ならぬがゆえに』
 ずいぶんと嫌われたものだが、許可は取れたのでよしとする。
 ティレイラと魔族から、失われた後にも問題とならぬ程度の端を削り取ったシリューナは、落ち着いて観賞を再開した。

 全身に食い込んでいた細根が抜けていくにつれ、ティレイラの体から魔力が漂い始める。
 思えばこれほどまでに“生き返る”過程を観測した経験、初めてかもしれない。いや、生き返るのではなく、ひとつの生の有り様が別の生に有り様へと移りゆく様を観測するのは、か。
 木肌が息を含み、やわらかさを取り戻していくにつれ、期待と高揚で心が高く弾む。そうでありながら、同時に心は引き絞られて落ち、低く蠢くのだ。
 いつもそうだ。力の限りに生きるティレイラをこの上もなく愛しく思うのに、その生を阻まれ、固められたティレイラをなによりも美しいと感じてしまう。だから、早く戻ってきてほしくて、このままであってほしくて、シリューナの心は揺れるのだ。
 でも、それでいいのよ。私の抱えた相反するふたつの願い、ティレに裏切られるからこそティレに叶えてもらえるのだから。私に痛みと喜びのどちらも味わわせてくれるのはティレ、あなただけ。
「……このままにしておいたら、いつ花が咲くのかしら?」
『万日を経ればあるいは。よもや待つなどとは言わぬだろうな?』
「待ってみるのもいいかしらね――でも、今回はやめておくわ。きっと待ちきれなくて泣いてしまうでしょうから」
『汝が人のように泣く?』
「ええ。人のように浅ましく、人よりも醜く、泣きわめくから」
『……』
 沈黙の内に想いを重ね、シリューナは待つ。
 神木の霊力にすら負けず、芳しく匂い立つティレイラの命が花開くそのときを。

「ひっどい目にあったー! ちっくしょー、憶えてろよー!」
 すごい勢いで逃げていく魔族の少女の背を見送り、シリューナが神木に問う。
「千年の呪縛はどうなったの?」
『我に根無しの別は知れぬがゆえな。それにまあ、汝を見て思うたわ。根無しは根有りならぬがこそによいものだ』
 先に少女の魔力を感じ取れたのは、結局のところ神木がティレイラの縛めばかりでなく、少女の縛めをも解いていたからか。まあ、私にはどちらでもいいことだし、それよりも。
 くつくつと根を揺らす神木に苦笑を返し、シリューナは歩を踏み出した。
 縛めを解かれ、ぼんやりとした目をさまよわせるティレイラの前に、立つ。


「木になるのは難しいです」
 帰路の途中、ティレイラがぽつりと漏らした。
「いろいろ考えようとするんですけど、お日様は気持ちいいですし、風も気持ちいいですし、なんだか後でいいやーってなっちゃって。結局お姉様どうしてるかなーとか、繰り返すばっかりでした」
 きゅっとシリューナの手を握って、ティレイラは笑んだ。
「またお姉様と逢えました」
 なにか茶化した返事をしようと思ったシリューナだが、ふと思いなおして。
「――そうね。私もまたティレと逢えたわ」
 その応えにティレイラは何度もうなずき、シリューナの手を振り回して。
「帰ったらお茶淹れますね!」
 いつもどおりの日常が戻ってきたことを確信して、シリューナは静かに山を返り見る。
 あなたもいつもどおりの日常を楽しんでちょうだい。そのうちにティレがまた騒がせにいくときまで、ね。


 後日、シリューナとティレイラはテレビに映るあの山を見ることとなる。
 そこでは山伏が、神木の傍らに立つ不可思議な低木の話と、それを見つめるように佇み続けた正体不明の人影の話を語っていたりして。
『我々は遭難者かと思ったのですが……まるで動く気配がなく、なぜか近づくこともかなわなかったので、結局正体はわからずじまいでした』
 忽然と消えてしまったそれらの真実を知るふたりは、ただただ顔を見合わせるばかりであった。


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
【ファルス・ティレイラ(3733) / 女性 / 15歳 / 配達屋さん(なんでも屋さん)】
【シリューナ・リュクテイア(3785) / 女性 / 212歳 / 魔法薬屋】
  
東京怪談ノベル(パーティ) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2018年07月17日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.