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『人魚姫になってみた』
松本・太一8504


 便利に使われている。
 社会人として、勤め人としては、ある意味、名誉な事なのだろう。松本太一は、そう思っている。
 役に立つ人間、と思われている。そういう事だからだ。
 松本さんは、営業のために生まれてきた人ですよ。年下の上司が、そんな事を言っていた。お得意さんの大抵の無茶振りに応えてくれますからね、とも。
 確かに、出先で「人魚姫になれ」と注文され、それに応える事が出来る人材となると、自分以外にはいないのではないかと太一も思う。自慢する事ではないのだが。
 太一が勤める会社の、重要な商談相手である某水族館。
 この度、夏のイベントとして「人魚姫体験」なる企画を実行するらしい。今、行われているのは、その実験である。
 企画の担当者である女性が、太一に鏡を見せながら言う。
「いかが? この夢見心地な体験をね、是非お客様にもと思いまして」
「……いいんじゃ、ないでしょうか」
 そんな言葉を発するのが、太一は精一杯だった。
 ス一ツの似合う、きびきびとした若い女性。見るからに有能そうな、若手の女性社員である。対して松本太一は、冴えない熟年サラリーマンだ。
 鏡の中にいるのは、しかし48歳の万年平社員・松本太一ではない。
 1人の、若く美しい人魚姫が、巨貝のソファーに腰掛けている。
 48歳・男の貧相な肉体は、瑞々しく膨らみながらも綺麗にくびれ、すらりと伸びた左右の美脚は、優美な曲線を維持したまま魚類の下半身と化していた。
「えっ……と、これ……穿き物、ですよね」
 己の太股の辺りに、太一は手を触れてみた。作り物とは思えない、鱗の手触りだった。鱗の上からも、嫋やかな指の動きが感じられる。
「この髪も……ヘアピース? ですよね……」
 さらりと伸びた髪と、貝殻の髪飾りにも、手を触れてみる。
「この顔だって……メイク、なんですよね?」
「作り物をね、作り物と思わせない。そこが私どもの技術の見せどころでございまして」
 担当の女性が、太一の、30年ほど若返ったとしか思えない美貌をそっと撫でる。
 その手が、太一の胸に滑り寄る。
 帆立貝のビキニブラをまとう豊麗な膨らみに、優美な五指がさわさわと這い触れて来る。
「ね……? 本物としか思えないでしょう? 松本さん」
「……そうですね。凄い特殊メイク、だと思いますよ」
 その手をやんわりと振り払いながら、太一は確認した。
(えっと私、今……夜宵の魔女、じゃないですよね?)
『……どうかしら。知らず知らずのうちに外から引き出されている、という可能性も無くはないけれど』
 太一にしか聞こえぬ声で、その女性は言った。
『貴女の中の「夜宵の魔女」が、この女の手で』
(そ、そんな事が出来る人って……)
「ふふっ。いくら私でも、そんな事は出来ません」
 女性担当者が、事も無げに言う。
「私のこれは、あくまで特殊メイクですから。まあ幻覚系の魔法をかなり応用はしてますけど」
『そんな事が出来る上に、私たちの会話まで聞こえる……私の存在を、知覚する事が出来る』
 太一の中にいる女性が、剣呑な声を発した。
 太一にしか聞こえない、はずの声。だが、この女性担当者には聞こえている。
『そんな何者かが、人間の社会に紛れ込んで普通にお仕事をしている。何を企んでいるのか、ついつい興味を抱いてしまうわ』
「私はただ、自分の技能を活かして普通にお仕事がしたいだけ。結構、多いですよ? 私みたいな人」
「た、確かに。『女装してみた』『させてみた』系の動画、上げてる人多いですよね最近」
 太一は言った。
「お笑いorホラーにしかなってないのが、ほとんどですけど。中にはね、凄いのもあるんです。プロレスラーみたいな男の人が、ちょっとメイクしてカツラ被ってセーラー服着た瞬間、文句つけようのない美少女戦士になっちゃって。あれ絶対、画像加工とかしてあるって私、思ってましたけど」
「ああ。それ多分、私が上げた動画です。CG加工なんてしてませんよー」
「……でしょうね」
 人魚姫である自分の姿を見下ろし見回しながら、太一は認めるしかなかった。
「こんなレベルの『特殊メイク』が、動画上がるくらい普通になっちゃうのは……恐いです。あの、これ、元に戻れますよね? もちろん」
「その貝殻の髪飾りを外せば戻れますけど、せっかくですし色々試してみません? 今の松本さんなら本物の人魚姫みたく、水中活動だって出来ますよ」
「つい最近ね、お腹いっぱいになるほど満喫したんです。それ」
 太一は苦笑した。
「……とにかく、恐いですよね。動画上げるにしても、そのうちメイクや女装じゃなくて、生体改造みたいな事やらかす人たちが出て来そうで」
「私たちが、それは止めて見せます。そう、動画と言えば……松本さん! 今回の人魚姫メークアップ、使ってもいいですか? 当水族館の広報動画として」
「それは御自由に……冴えない中年男から可愛らしい人魚姫へ、劇的なビフォアーアフターですよね。いい宣伝になると思いますよ」
「うふふ。女装前の松本さんって、凄くいい素材だと思うんです。顔にも身体にも特徴が無くて、もう何にでも成れるっていう」
 誉められているのかどうかは、わからない。
 それはともかく。太一の中でずっと黙り込んでいた女性が、ようやく言葉を発した。
『女装の、動画……貴女も、上げてみる?』
「人間社会の! 他の種族の方にはあんまり真似して欲しくない部分に! ……何か染まってきてませんか貴女、最近」


 登場人物一覧
【8504/松本・太一/男/48歳/会社員・魔女】
東京怪談ノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2018年07月18日

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