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『愛しのコール 』
ジェーン・ドゥ8901

 ふわり、とよく知った焦げ茶色の髪が男の視界の端をかすめた。休日の昼のショッピングモールは人が多い。けれど、遠目で見ても柔らかいであろう事が分かるふわふわとした髪を揺らしながら、誰かを探すように視線をさ迷わせるその横顔は男の恋人のものに間違いなかった。
「ジェーン」
 考えるよりも先に愛しい名前が口からこぼれ落ち、一拍置いてから振り返った彼女と男の目が合う。葡萄酒色の瞳が日の光を反射してまるでガラス玉のようにきらりと輝き、その美しさに男は思わず見惚れそうになった。しかし、どういう事か彼女の視線はすぐに逸らされてしまう。恋人は再び誰かを探すような仕草に戻ると、人混みの中に紛れて行ってしまった。
 確かに目が合ったと思ったのだが、気のせいだったのだろうか。慌てて彼女の姿を探すが、雑踏の中に迷い込んでしまったらしく見つからない。
 ふと、次の瞬間、男の袖を誰かがくいっと引っ張った。いつの間にか近づいてきていたらしい、今しがた男が必死になって探していた恋人が、愛らしい笑みを浮かべそこには立っている。
「どうやったらあなたに会えるのかと思って……ふふ、びっくりした?」
 いつも以上にご機嫌な様子の彼女、ジェーン・ドゥのその笑みは、見ているこちら側まで気分が高揚してしまう程に晴れやかだ。彼女の機嫌が良い理由が、久々に自分とデートするから故だと思うと、恋人である男がつい笑みを浮かべてしまうのも無理もない話であった。

「どこか行きたいところはある?」
 ふんわりとした穏やかな笑みを崩さず、ジェーンは恋人へと問いかける。常におっとりとし、のらりくらりと自分のペースで生きているような彼女だが、相手への気遣いを忘れる事はない。今まで彼女と一緒にいてストレスを感じた事など一度もないと男が言い切れる程、ジェーンは存外気が利いて献身的だ。
 お互い特に希望はなかったので、手近な店から回る事になった。普段も訪れる店なのに、ジェーンという恋人と一緒だと全く違った景色に見えるから不思議だ。そんな事をしみじみと考えていたら、自分の腕にぎゅっと何かが当たる感触がし男の心臓はカエルのように跳ねる。
「ふふ、隙あり。……なんちゃって」
 ジェーンが抱きつくように恋人の腕を掴んだのだ。冗談めかした言い方で誤魔化そうとしながらも、子猫のようにジェーンは体を擦り寄らせてくる。普段は恋人に対して年下を相手にするような態度をとるジェーンが、ふとした瞬間に見せるこういった甘えた仕草が男は好きだった。甘い空気に照れてしまい、少しだけ頬を染めてはにかむ顔も含めて。

 ◆

 久方ぶりのデートをたっぷりと満喫し日も暮れてきた頃、突然ジェーンがまるでその場に縫い付けられたかのように立ち止まった。葡萄酒色の瞳が、じっとある一点を見つめて離さない。
 何か欲しいものでもあったのだろうか、と恋人は彼女の視線を追う。しかし、その先にある陳列棚には様々なものが並んでおり、ジェーンの視線がいったいどれに注がれているのかは分からなかった。
 服屋や雑貨店など、あちこちを巡ったわりにジェーンが購入したものは少ない。「ウインドウ・ショッピングも楽しいものよ」と彼女はおっとりとした様子で笑っていたが、荷物になるからと恋人に対して気を使っている可能性も捨てきれない。
「どれが欲しいんだ?」
 男が尋ねると、ジェーンはハッとしたように恋人の方を振り返った。急に夢から現実に引き戻されたかのように、どこかぼんやりとした顔をしているのが珍しくて可愛らしく、男は少しだけ笑ってしまう。
 何でも一つ買ってやる、と宣うと、ジェーンはしばらく迷う素振りを見せたが、何かを贈りたいという恋人の気持ちも汲んでくれたのだろう。
「……あの子」
 ゆっくりと、その精巧に作られたアンティークドールのような細い指は、並べられった品の一つを示す。可愛らしいカラフルな小物に混ざって、場違いのようにその飾り気のない人形は鎮座していた。
「あの子が欲しいわ」
 もっと可愛らしいデザインのやつにした方が良いのでは? そう提案しかけたものの、ジェーンがあまりにも真剣にその人形を見つめているので恋人は口をつぐむ。
「……だめかしら?」
 少しだけ不安げに瞳を揺らし小首を傾げるジェーンに、「駄目なわけがない!」と彼は咄嗟に返した。普段ワガママを言わない彼女の、珍しいおねだりだ。男がそれを無碍に扱う理由など、そもそも最初からどこにも存在していなかった。

「今日はとても楽しかったわ。新しいオトモダチも出来たし」
 夕焼け色に染まる世界で、ジェーンは買ってもらったばかりの人形を頬に寄せて嬉しそうに微笑む。人形を友達扱いする意外と少女らしい一面に、どきりと胸が高鳴ったのを誤魔化すために男は咳を一つ。
 そして、家に帰ろうとする彼女を引き止める言葉を用意する時間稼ぎのためにもう一度だけ喉を鳴らしてから、送っていくと口にする。だが、彼女は首をゆるりと左右へと振った。
「ごめんなさい。まだ少し寄るところがあるの」
「買い物? さっき言ってくれたら付き合ったのに」
「ううん。お世話になっている人への捧げ物だから、間違いがないようにじっくり準備したくて」
 その言葉の最後に「それに、あなたとのデートの時は他の用事は忘れて、あなたとのデートを楽しみたかったの」と小声で付け加えて、ジェーンはまた男の好きな穏やかな笑みを浮かべる。
「じゃあ、また……」
「また遊びましょう。約束よ」
 ――また近い内に会おう。そう告げようとした男の声に、彼女の柔らかな声が重なった。ちょうど同じ事を考え同じ事を言おうとしていたのだという事実に、どちらともなく吹き出してしまう。
 その上、帰路へとつくジェーンがまるで赤子やペットでも抱きしめているかのように、大事そうに男が買った人形を抱えているものだから、今しがたデートが終わったばかりだというのに、男はもう彼女の事が恋しくなってきてしまった。
(あんなに喜んでくれるなら、人形などいくらでも買ってやるのに)
 どうせなら、人形よりももっと良いものを。そうだ、次のデートまでに指輪を買って、それから――。
 柔らかな笑みを浮かべ喜ぶジェーンの姿を脳裏に浮かべ、男は愛しげに目を細めるのだった。

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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【8901/ジェーン・ドゥ/女/20/人形】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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ご発注いただきまして、誠にありがとうございます。ライターのしまだです。
恋人達の一見ほのぼのとした日常の一幕……、大変楽しく執筆させていただきました。ご希望に添えていましたら幸いです。何か不備等ありましたら、お手数ですがご連絡くださいませ。
それでは、またいつか機会がございましたら、よろしくお願いいたします。
東京怪談ノベル(シングル) -
しまだ クリエイターズルームへ
東京怪談
2018年08月01日

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