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『激震のアンティークショップ』
満月・美華8686


 店が、揺れた。
 地震ではない。足音だ。
 力士のような巨体が、よろよろと店内に入って来たところである。否、力士どころではない。
 二足歩行をしているのが信じられないほどの肥満体である。
 人間が、ここまで肥満して生きてゆけるものなのか、と私は他人事ながら心配になった。
 客ならば、いらっしゃいませ、とでも言わなければならないのだろう。
 だが私はつい、そうではない言葉を口にしていた。
「ここは産婦人科じゃあ、ないんだけどねえ……産まれそうで苦しいなら、救急車を呼んであげるけど」
「……噂通りの、失礼な接客……商売をする気、あるのかしらねえ……」
 辛うじて聞き取れる声を、その女は発した。息も絶え絶えで、喋るのも辛そうだ。
 この身体では、何をするにしても生半可な消耗では済まないだろう。よくぞここまで歩いて来た、と私は誉めてやりたくなった。
 実際、自力でこの店を探し当てて訪れた客である。ただの太った女であるはずがない。
 ここは、そういう店なのだ。
 くるりと煙管を弄びながら、私は言った。
「その丸々としたお腹の中身……胃袋と皮下脂肪だけじゃあないだろう? 誰に何を孕まされちまったのか知らないが、産み落とした方が楽になれるんじゃないのかい」
「冗談……誰が、産み落としたりするもんですか。これは全部、私の大切な命……ここから出すわけには、いかないの」
 巨大に肥え太った己の腹を、女が愛おしげに撫でる。その太い指先が、へその辺りにはもう届かない。
 私は、小さく溜め息をついた。
「ここへ来るのは皆、いわくつきのお客ばっかりだけどね……あんたは極め付けかも。まあいい、お茶でも淹れようか」
「要らないわ。あなたにはね、すぐにお仕事をしてもらいたいのよ」
 私の『仕事』を、女が差し出してくる。
 1冊の、古臭い書物である。
 肥え太った五指でそれを保持し、私に差し出して来る、その動きだけでも女は苦しそうにしている。
 気の毒なので、私は早急に受け取ってやった。
 手にした瞬間、私は息を呑まずにはいられなかった。
「っと……これは、やばいね。普通の人間なら、触っただけで発狂しかねない。これを……あたしに、鑑定しろと?」
「鑑定料、表の看板に書いてなかったわね。これで足りるかしら」
 女が、札束を取り出した。金には困っていないようである。
 私は、受け取らなかった。
「鑑定は無料だよ。あんまり儲けようって気はないんでね……それより、これは……」
 受け取った書物を、開いて確かめるまでもない。
 普通の人間ならば、これを開いただけで身体の中身と外側がひっくり返るだろう。私でも、正気を保っていられるかどうかは自信がない。
「何で……どうして、これが……この世界に……」
 私は、ちらりと女を見やった。
「あんたの名前、聞いてもいい?」
「満月美華」
 丸々と肥満した巨体が、満月に見えない事もない。
 そんな事を思いながら、私は鑑定結果を伝えた。
「じゃあ満月さん、この書物は1日も早く手放した方がいい。そこら辺に捨てられたら大惨事になりかねないから、ちゃんとした処分か封印の手段を……知り合いに、そういう業者が何人かいる。紹介してあげるから」
「……それは出来ない。そういうわけには、いかない」
 満月美華の両眼が、ぎらりと光を帯びた。
 欲望、あるいは執着、妄執……そんな言葉ではとても表せないほど、おぞましくも真摯な眼光。
 それが、じっと私に向けられている。
「私、命が欲しいの。もっともっと、命が欲しい……何回死んでも大丈夫な、もっとたくさんの命を手に入れる方法……その魔道書に、書いてあるかもしれない。だから、あなたに……うっぐ……!?」
 美華が、臓物を裏返したような声を発した。
 何が起こったのか、私には朧げにわかった。
 魔道書が、臓物の如く脈動しているのだ。
 悲鳴か、歓喜の叫びか、判然としない声を美華は発した。おかしな絶叫が、店内に響き渡る。
 閉店間際、客が1人もいない時間帯で本当に良かったと私は思った。この店が客で賑わう事など、まずあり得ないのだが。
 それはともかく。美華の腹が、僅かながら膨らみを増していた。
 何かを、彼女は孕んだ。
 この魔道書に、孕まされた。そのようにも見える。
 1日も早く手放した方がいい、と私は言った。
 あれから数秒後の現在、私は考えを変えざるを得なかった。
 もはや遅い。満月美華は、この魔道書と繋がりを持ってしまったのだ。迂闊な手放し方をしたら、美華本人のみならず、この世界そのものに滅びがもたらされかねない。
「返して……」
 美華は呻いた。
「その本を……私に……」
 今の彼女に、卓上の書物を手に取るなどという重労働が可能であるはずはなかった。
 私が魔道書を手渡すと、美華はもはや手放すまいとするかのように、それを胸に抱いた。いや、腹に抱いた。
 そして、歩いて店を出ようとする。
 だが今や、彼女の歩行能力は限界に達していた。
 またしても店が揺れた。美華の巨大な肥満体が、床に倒れ込んだのだ。
 陶器の壺が、陳列棚から転げ落ちそうになった。まあ物理的衝撃で壊れるような品物ではないのだが。
 人影が複数、まるで働き蟻のようにぞろぞろと店内に入って来た。
 服装のみならず、可愛らしい美貌も魅惑的な体型も全て同じ、メイドたちであった。量産品の疑似生命、の類であろうか。
 彼女たちが手際良く、美華の巨体を運び出して行く。
 蟻が、芋虫か何かを食料として拉致して行く様にも見える。
 そんな状態でも、美華は殊勝な事を言った。
「迷惑をかけて、ごめんなさいね……」
 店外に運び出された美華の身体が、大型車に収容される。
 さすがに、あの身体で自宅から歩いて来るわけはなかった。まあ車を降りて徒歩で店に入って来ただけでも見上げたものだ。
 メイドの1人が、軽やかな運転で大型車を走り去らせる。
 見送りながら、私は煙管を咥えた。
 哀れんでみても仕方がない。満月美華自身は、己の様を哀れむべきものとは認識していないのだ。
 たくさんの命があって幸せ、だがもっと命が欲しい。そう思っているだけだ。
「あの車が事故ったら、少しは命が減って……ダイエット出来るかもね」
 哀れむ代わりに、私はそんな事を呟いてみた。


登場人物一覧
【8686/満月・美華/女/28歳/魔女(フリーライター)】
東京怪談ノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2018年08月03日

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