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『悲しみの魔女 』
松本・太一8504

「女の子?」
 聞いたことをそのままに返し、松本・太一は会社のデスクの上で傾げかけた小首をあわてて引き戻す。いけない。最近しぐさが夜宵に引きずられているようだ。
「Definitely」
 部長がぶるるっと震えてみせた。見た目豆狸だが、実はこれで結構神経質だったりする。
「総務の小林君がね、Lobbyの自販機でCoffee買おうとしたら、なんかうちの制服着た女の子が泣いてたんだって」
 この会社、時折発動する営業のおかげで激烈にいそがしくなる周期がある。その都度「みなし残業だ!」とか「裁量労働制だ!」とか騒ぐ社長を、もれなく労働組合という名の女性社員の互助会がシメ上げていたりなんだり。
「ほら、うちの会社って女の子残業しないでしょ? で、なんかあったのかなぁって声かけたら、すっごい綺麗な泣き顔がこっち見て、その後すぅ〜って」
 消えたわけだ。
「実は何人も見てる怪現象で、最近Rumorになってるのよ。弊社の泣女……悲しみの魔女ってね」
 どうして私は知らないんだろう? 理由はシンプル、基本的に残業をしないからだ。地道に効率よく業務をこなし、無茶な仕事を押しつけられる歳でもなくなった彼は、毎日が定時上がりなのである。
 その割になぜか最近疲れ気味なのは、やはりこの暑さのせいなんだろうか? 今日も早く帰ってゆっくり休もう。
「魔女ですか。まあ、私は遭わずにすみそうですけど」
 弊社の泣女はあれなので、悲しみの魔女のほうを採用することにした太一は、息をついて今日の業務の資料へ手を――
「あの、部長?」
 ――太一の資料にこっそりコピー用紙の束を重ねる部長。
「松本君も見ようよ泣女! そんで写真撮ってReportして? だってボク、そういうの苦手だし!」
 部長のせいで残業が確定した瞬間だった。


 押しつけられた仕事をようやく片づけて、太一は職場の壁にかかる時計を見上げた。現在の時刻は23時。
 正面出口は当然閉鎖されている。外へ出るには裏口へ回る必要があるのだが、それだと部長から言い渡されたミッションが実行不可に……
 とりあえずロビーで写真を撮って、すぐ出てしまえばいいか。そのくらいの時間なら、きっと魔女が出る暇もないだろうし。
「悪魔さんはなにか感じ取れること、ありませんか? 私のほかの魔女がいるとか」
 彼の内に棲まう女悪魔に訊いてみるが、返る言葉はそっけなく。
『さてな。この会社とやらには、そなたのほかの気配は感じぬよ』

 う――う――う――
 二階と一階の間の踊り場に着いた直後、ロビーから聞こえるすすり泣き。
「あー、うん。空耳ですよね?」
『そなたがそう思うのであればそうなのであろう。そなたの中ではな』
 と、一度太一を突き放しておいて、悪魔は薄笑み。
『で、どうする? 松本・太一がこの状況に対処できるものと、そなたはそう思うのか?』
 悪魔は先に断言した。この会社に太一以外の魔女はいない。しかし、それはあくまでも魔女限定で、怪異的存在は含まないということなのだろう。いかにも悪魔らしい言い様だ。そして怪異であればもちろん、“魔女”が普通の人間だとしても、おじさんが寄っていくよりは同性に語りかけられるほうが問題にならない気もする。
 太一はそっと階段を駆け上がり、ロッカールームへと駆け込んだ。


 というわけで、夜宵となった太一は去年の11月からロッカーに吊されたままとなっていた女性社員用制服に身を包み、あらためてロビーへと向かった。
 空気に溶け出した泣き声の情報を探れば、そこにあるものは感嘆と怨嗟。さらにはそれによって歪められた、強い念。
 怨念? でも、死霊のものにしては重さがありすぎる。むしろ肉体を保ったまま生霊化しているのかしら?
 少なくとも目に見えぬ怪異ではない。夜宵はロビーへと踏み込んだ。
「うう……う……うう」
 自販機の横にうずくまり、泣いている女性社員発見。今は後ろ姿しか見えないが、スレンダーな体にゆるふわネオソバージュヘア。まるで覚えのない姿である。
 怨念に精神を引きずり込まれないよう自らに“言い聞かせ”、夜宵はそっと声をかけた。
「あの、どうしました?」
 う。女が振り向いた瞬間。
 心を鎧っていたはずの防壁は消し飛び、夜宵は意識を失った。


 これは、夢。
 社長が強く語りあげる。
「ケチくせぇ取引先とかに工作員送り込もうぜ! あいつら女に弱ぇーし、女だ女!」
 社長の片腕たる秘書室長(室長しかいない)は困り顔で。
「しかし弊社の女性社員が納得するとは思えませんが」
 話を持ちかけた瞬間、凄絶な反撃をくらうことは確実だった。
「じゃあ男でいいじゃん! あ、前にそういうのやってた奴いんじゃん? 残業代もカットしてぇーし、そいつで決まりな!」
 そして立ち上げられた極秘プロジェクト。健康診断と偽って呼び寄せた催眠術師やら特殊メイクアーティストやらやにやらかにやら。総力を結集し、ひとりの男を女工作員に仕立て上げ、業務終了後に商工会へ送り込んだのだ。

「社長、すごくお酒お強いんですねぇ! 私、すぐ酔っちゃうからぁ」
「ええやんええやん! 酔うたったらええやん! シータクつこたらええやんけ!」
「でもぉ、これって一応接待ですしぃ、私は楽しいですけどぉ……」
「そんなんガバっと契約するやん! シータク乗り放題やでぇ!」
 数々の営業部員が当たっては砕け散った某企業の創業者、三度の接待によって弊社との大口取引を決定。

「御社のプロジェクトはおよそ現実味がありませんね。弊社は乗れませんよ」
「ファンタジーだからこそおもしろい。大学時代のあなたが経済学部の教授に切った啖呵でしょ?」
「っ! それをどこで!?」
「――ファンタジーの先にリアルがある。それを誰より知るあなただからこそ、味方にしたいのよ」
 完全であることを尊び、自社他社問わず数多の企画を叩き斬ってきた某社の企画部長、四度の業務外会議を経て、弊社の企画への全面協力を確約。

「これが次の会議でうちが出す見積もりですわ」
「本気のやつじゃねぇか。ほんとにこいつを撒いちまってもいいのか?」
「ええ。それでも同業他社に負けないだけの企画がありますので。これはそう、宣戦布告ですもの」
「おっかねぇ女だな……うっかり味見してぇとか言い出さなくてよかったぜ」
 業界の情報屋、思惑どおりに業界を騒がせ、弊社の勝利に貢献。

 業界の夜で魔女が情報を繰る。
 その噂はすぐに広まり、恐れられると同時にときめかせることとなった。語られるほどの美女なら、たぶらさかれてみるのも一興と。
 問題はそう、当の魔女が強力な催眠状態から醒めかける瞬間があって、それがまた深夜ということだ。


「私が悲しみの魔女だったんですね……」
 ロビーで泣いていたのは、催眠状態にあった太一が自我から切り離していた「なにしてるんだ私」の念、それが凝り固まってできた生霊だった。
 生霊は宿主と会えばその内に戻らなければならない掟がある。結果、太一は記憶を取り戻し、その忌まわしさにぶっ倒れてしまったわけだ。
『なかなかに見事な女ぶりであった。人とは慣れていくのだな』
「そういう問題じゃありませんよ! 私、どんな顔して部長に報告すればいいんですか!?」
『とりあえず残業代でも請求してみてはどうだ?』
「あ」

 後日、労働組合を通して法外な残業代が社長に請求されることとなる。
 その内の一部は組合の慰労費という名の宴会代に回され、そしていくばくかのボーナスを得た太一はなぜか新品のコスメを買いそろえるはめに陥るのだった。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【8504 / 松本・太一 / 男性 / 48歳 / 会社員/魔女】
 
東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2018年08月07日

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