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『闇を照らす標 』
勇者・パステナ8914

 近道だ、と思い喧騒からは逸れた人けのない道を選んだのがいけなかったのだろうか。少女は、突然自らへと襲いかかってきた奇妙な影を、震えながら見上げる。
 暗い夜道に、猫背で大柄な影は不気味に身体を揺らしながら佇んでいた。頭上に獣の耳のようなものがはえているが、しかし何の動物化は分からない。野生動物……にしては、それはあまりに大きすぎた。闇の中に溶けるように漆黒の身体をもつその巨躯は、目だけはそれでも爛々と怪しげに光り輝いている。まるで、獲物を見つけて歓喜しているかのように。
 その獲物が自分自身である事など、平和な世界で安寧した毎日を送っている少女にもすぐに分かった。
 うめき声をあげて、巨大なその化け物はその手を振るう。鋭い爪という凶器が、哀れな少女に向かい振り下ろされた。突然の事に足がすくみ、逃げるどころか避ける事すら叶わず固まっている彼女に、出来る事といえばくるべき衝撃に備え本能のままに瞼を閉じる事くらいだ。
 ――しかし、くるはずの衝撃は、いつまでたってもやってこなかった。
 恐る恐る、少女は目を開ける。視界に入ってきたのは、銀色の鎧をまとった後ろ姿。長い金髪を風に揺らし、剣を構える女の姿。
 その格好は、本やゲームの中に出てくる勇者の姿を彷彿とさせる。けれど、少女の目を何よりも引いたのはその腹だ。大きく膨らんだその腹は、中に新たな命がある事を語っていた。今この状況じゃなかったとしたら、少女は彼女の身体を気遣う一言をかけていたかもしれない。
「下がっていてください! ここは私に任せて!」
 凛とした勇ましい声が、少女の鼓膜を震わす。彼女をかばうように前へと立ち剣を構えているのは――身重の女勇者だった。

 ◆

 迷う事なく魔物へと対峙した勇者・パステナは、剣を振るう。破邪の聖剣、彼女が勇者として選ばれた証の剣を。
 怪物は、突然の乱入者に怒っているのか、狙いをパステナのほうに定めたらしい。少女が魔物の視界から外れた事に、パステナはまずは安堵する。
 そして、おぞましいその姿を、金の瞳は睨むように見据えた。奴の武器は己の身体だ。ナイフのように牙に、そして何よりその巨大な身体。腕を振り上げ、奴はパステナへとその武器の一つを振るう。
 衝撃。咄嗟に剣で受け止めたが、その一撃は思った以上に重く、噛み締めきれなかったうめき声がもれた。
 ようやく弾き返せたというのに、間髪入れずに二撃目が振るわれる。今度は剣で受け止めきれず、嫌な音をたて身につけている鎧にヒビが入った。与えられる衝撃に、衣服は悲鳴をあげるかのような音をたてながら切り裂かれる。
 鎧の守りを失ったパステナに、魔物が容赦などするはずもない。彼奴は本能のままに、ただ目の前の獲物である彼女へと鋭い爪を振るった。パステナの小麦色の肌を、いくつもの赤い線が走る。焼けるような痛みに、こらえきれない悲鳴が彼女の口からは絞り出された。けれど、勇者に逃げるという選択肢は存在しない。思わず歯噛みしながらも、パステナはグリーブに包まれた足に力をこめ相手の攻撃を受け流す。
 こちらもやられてばかりではいられない。だが、次いで振るった剣は惜しくも空を切った。
(くっ、速い――!)
 巨大な体躯の割に、モンスターの動きは素早い。なかなか隙を見つける事が出来ず、パステナの体力だけが削られていく。たった一人で立ち向かうには、厄介な相手に違いなかった。
 モンスターの猛攻はその後も続く。パステナが傷つき、悲鳴をあげる事などお構いなしに、彼女のその肌を血で彩っていく。

 反撃の機会を見いだせないまま、いったいどれほどの時間が経っただろう。身体の傷は増え、体力も削られ、パステナの呼吸は荒い。
 とうとう、彼女はその場へと膝をついてしまう。じくじくと痛む傷跡に、彼女の顔からは苦悶の色が抜けない。
 闇夜の中で、怪物が笑ったような気がした。弱りきった勇者の身体を、その生命を貪り食おうと奴は牙を見せる。
 瞬間、辺りを支配したのは、光だ。圧倒的なまでに、強大な力。パステナが最後の力とばかりに振るった破邪の聖剣の切っ先が、空を切り裂き空間に亀裂を入れる。勝利を確信していたであろう怪物は、自らの身体を包む光の力に惑い暴れる。
 放たれたのは、彼女の身に宿った勇者の力だ。反攻の剣は劣勢を覆し、モンスターの命へと突き立てられる。
 悲鳴すらあげる事なく、倒れ伏す巨躯。化け物は、まるで闇へと溶けるかのように砂となり消えていった。

 自分が勝利した事を自覚すると、自然と手が腹の方へと伸びていた。伝わってくる胎動。我が子が無事である事を確認し、安堵に肩の力が抜ける。
 いっそこのまま、この場所で眠ってしまいたい。それほどまでに、彼女の身体は傷つき、疲労していた。しかし、その前にやる事がある。倒れそうになる身体を叱咤し、パステナはゆっくりと立ち上がると振り返った。「……大丈夫ですか? 怪我は?」
 そして、怯えた顔のまましゃがみこんでいる少女に、そう問いかける。
「いや! な、何なのよ! 何なのこれっ!? わけわかんないっ!」
 だが、返ってきたのは悲鳴だ。突然化け物に襲われ、鎧をまとった女性に助けられる……そんな、彼女の世界ではありえないはずの非現実的な光景を見て、混乱してしまったのだろう。
 逃げるようにその場を去っていく彼女を追い立てる気はなく、パステナは一人取り残される。
 今回の事があの名前も知らぬ少女のトラウマになってしまっていたら申し訳ない、と思う。……それでも、彼女の命を助けられただけでも良かったとパステナは安堵の息を吐いた。少しでも魔物の注意が彼女の方に向いていたら、恐らく彼女の命はなかっただろう。
(早く、元の世界に帰る方法を見つけなきゃ……)
 この世界は、本来彼女がいるはずの世界ではない。見慣れぬ街の、見慣れぬ場所。誰も彼女を知る者はいない世界。
 それでも、魔物に対抗する術を持たない民を守るため、パステナは剣を振るう。戦う。戦い続けるしかない。異世界へと飛ばされ元の世界への帰り道が分からなくなってしまった彼女にとって、自らの身に宿った勇者の力だけが自らの行動の指針であり道標だった。
 パステナはもう一度自身の腹へと手をやる。優しき母の手で、ゆったりとそこを撫ぜる。この愛しき命と共に、元の世界に早く帰りたい、と願いながら。

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【8914/勇者・パステナ/女/28/勇者】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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ご発注ありがとうございました。ライターのしまだです。
勇者様のシリアスなバトルのお話、このような感じになりましたがいかがでしたでしょうか。お楽しみいただけましたら幸いです。
口調間違いや設定の勘違い等、何かご不満な点が御座いましたらお手数ですがご連絡くださいませ。
それでは、いつか機会がございましたら、その時はよろしくお願いいたします!
東京怪談ノベル(シングル) -
しまだ クリエイターズルームへ
東京怪談
2018年08月07日

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