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『アロマティック竜乙女』
ファルス・ティレイラ3733


 仔犬を拾った事がある。
 その仔犬が、実は危険極まりない獣神族の王女で、結果として人死にの出る大騒動となった。
 騒動の鎮圧に尽力してくれたのは、ファルス・ティレイラにとって仰ぐべき師匠であり、姉のような存在でもある、1人の女性だった。
 彼女は言った。
 道端にあるものを無闇に拾うのはやめなさい、ティレ。貴女が、ただかわいそうなだけの仔犬や仔猫に巡り会える事なんて絶対にあり得ないのだから。何かすれば絶対、一番危険なものを引き当ててしまうのがティレなのだから……と。
「それなのに……ああ、それなのに、それなのに……」
 出来損ないの川柳を口にしながらティレは、コーヒーカップ型の燭台に蝋燭を立て、溜め息をついた。
 貰い物の、蝋燭である。
 仕事帰りに、道端の露店をつい覗き込んでしまったのが運の尽きであった。
 人間か、ゴブリンやオークの類かも判然としない、見るからに怪しげな露天商であった。並べられている商品も禍々しいものばかりで、例えばあの女性が一緒にいたら、露天商もろとも焼き払っていたかも知れない。
 中途半端な呪いの品を売りさばく、もぐりの魔法商として。
 そんな商品群の中に、この蝋燭があった。
 強いて言うなら紫色に近い、あまり品の良くない色をした、大型の蝋燭。
 それが、不思議な匂いを発していた。品の悪い色合いからは想像もつかぬ、上品な香り。
 魔法のアロマキャンドルだよ、と露天商は言った。
 お嬢さん、見る目があるね。それはあげるから、持って帰って火を灯すといい。幸せになれるよ、とも。
 幸せになれる香りを発する、魔法のアロマキャンドル。それが本当ならば十中八九、麻薬の類であろう。
 そんなものを、無料だからと言って貰い受け、こうして自宅に持ち帰ってしまった。
 道端にあるものを拾ってしまう自分のこの癖は当分、下手をすると一生、治らないかも知れない。
「お姉様に知られたら……また、何て言われるか……」
 呟きと共にティレは、ふっ……と灯芯に炎を吹きつけた。竜族の炎。
 魔法のアロマキャンドルが、赤々と炎を燃やしながら芳香を発した。
「あっ……うん、確かにいい匂い……」
 ティレは、うっとりと目を閉じた。
「麻薬の類、じゃあないわね。うん、ちょっと嗅いでヤバそうだったら止めるつもりだったけど、これならまあ……うふふ、本当にいい匂い」
「貴女の魂も、とってもいい匂いよ。竜族のお嬢さん」
 涼やかな囁き声が、ティレの耳元をくすぐった。
 ぞっとするほど美しい女性が、いつの間にか背後にいた。人間やエルフの美しさ、ではない。
 魔族の、美しさだ。
 アロマキャンドルの芳香に紛れ込むようにして、その女はティレの背後に回り込んでいた。
「貴女は……?」
 息を呑みながら、ティレは問いかけた。
 この女性がその気であれば、自分は今頃すでに死んでいる。
 優美な細腕を、背後からティレの身体に巻き付けながら、その女は名乗った。己の名を、ティレの耳元で囁いた。
 聞き取れなかった。
 人の口では、発音出来ない名前。魔族の言葉であった。
「貴女を、殺しはしないわ……するわけがないでしょう? そんな事。私を、この忌々しい蝋燭の中から解き放ってくれた恩人に」
「封印……されて、いたんですか……? 蝋燭の中に……」
「私を、解き放つ手段はただ1つ……竜の炎を、灯芯に灯す事」
 魔族の女の細腕が、後ろからティレを抱き締める。愛おしそうに。
「私を解放してくれたお礼に、愛でてあげるわ……貴女の魂を、永遠に」
「謹んで……ご遠慮、させていただきますっ」
 絡み付く細腕を、ティレは強引に振りほどいた。
 振りほどかれた魔族の女が、ゆらりと間合いを開く。
「さすが……竜族を相手に、体力腕力じゃ勝負にならないわね。それなら」
「何もさせません。他人の魂を私物化するような人は、取っ捕まえてふん縛って、後でお姉様に封印していただきます!」
 掴みかかって行くティレに、横合いから何かが襲いかかる。どろりとした、芳香の塊。
 アロマキャンドルが激しく燃え上がり、溶け出しながら膨張し、蝋の荒波となって押し寄せたのだ。
「この忌々しい蝋燭も、今では私の魔力の一部……とっくり味わいなさいな」
「なっ! ……何、これ……っっ!」
 芳香を伴う、とろりとした感覚が、全身を包み込んで来る。ティレは一瞬、心地良さに溺れかけた。
 とろりとした感覚が、しかしガッチリと容赦のない固さに変わってゆく。
 蠢くスライムのようだった蝋が、竜の少女のしなやかな手足に絡み付きながら固まりつつあった。
「ちょっと、また……こんなっ……冗談じゃない!」
 その手足を、ティレは無理矢理に躍動させた。固まった蝋が、砕け散った。
 その破片を蹴散らすようにして、しかし凄まじい量の蠢く蝋が押し寄せて来る。
 ティレの嫋やかな背中から、皮膜の翼が広がって荒々しく羽ばたき、蝋を打ち払った。
 白桃のような尻から、色艶の良い尻尾が伸びて暴れ、押し寄せる蝋を殴打・粉砕する。
 蝋の飛沫を大量に飛び散らせながら、ティレはそのまま飛び立った。
 いや。飛び出そうとする姿勢のまま、固まっていた。
 荒々しく羽ばたいていた翼が、大量の蝋に絡め取られ、硬直している。
「うっふふふ……可愛い暴れっぷりだったわよ? 竜のお嬢さん」
 魔族の女が、微笑んでいる。
 その微笑みに合わせて、蝋の荒波が跳ね上がり、ティレの全身にぶちまけられて固まった。
 すらりと健康的に伸びた四肢が、しなやかな尻尾が、じたばたと元気に躍動しながら蝋にまみれ、固まってゆく。
 引き締まった胴体が、愛らしい胸の膨らみを揺らせて暴れながらも、蝋に包み込まれてゆく。
 芳香の塊でもある蝋に包まれながら、ティレは泣き声を発した。
「助けて……お姉様ぁ……でも、すぐに普通に助けてなんて……くれませんよね……」
「助けなんて来ないわよ、お嬢さん。貴女はもう、私のもの。私から貴女を奪い返そうなんて、そんな事をしようとする身の程知らずがもしいたら……生かしては、おかないから」
 命知らずな事を言う魔族の女の眼前でティレは、竜の少女の形をした、巨大なアロマ・キャンドルと化していった。


 ティレが『お姉様』と呼ぶ女性がやがて現れ、この魔族の女に過酷な懲罰を喰らわせるが、やはりと言うべきかティレはすぐには助けてもらえず、この女性に様々な楽しみ方をされる事となる。
 が、それはまた別の話である。


登場人物一覧
【3733/ファルス・ティレイラ/女/15歳/配達屋さん(なんでも屋さん)】
東京怪談ノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2018年08月09日

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