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『せめて一睡の手向け:三 』
狒村 緋十郎aa3678

 ある男の、夢と希望の物語。



「寒いわ」

 少女の震える声が、荒れ狂う吹雪の中でか細く呟かれた。
 ヴァルヴァラの体は哀れなほど震えていた。この地の底では愚神としての権能もなく、これまで人々に与えてきた“地獄のような”冷たさを一身に受けている。凍って落ちる指は激痛を伴い、しかしいつの間にか再生し、また肉が凍る苦痛に苛まれる。
「寒い、寒い、痛い……」
「大丈夫だ、……俺がいる」
 座り込んで縮こまるヴァルヴァラを、その身を使って彼女の背中から護るように抱きしめるのは狒村 緋十郎(aa3678)だ。ここは氷結地獄の一番寒い場所。亡者すらも寄り付かぬ、どこかの頂。
 緋十郎の体には獣の毛が生えている。されどここはそんなものすら通用しない凍れる地獄。それでも、緋十郎は少しでもこの寒さからヴァルヴァラを守りたかった。雪娘を抱きしめたまま、緋十郎の腕も凍り付いていた。
「うぅ……」
 終わらぬ苦痛にヴァルヴァラがべそのような声を漏らす。弱々しく震えて縋りついて、きゅっと服の端を握ってくる少女の姿に、男は不謹慎ながらも庇護欲が沸き上がった。
「大丈夫、大丈夫……」
 少女の華奢な体をいっそう抱き寄せ、緋十郎はその雪色の髪に頬を寄せる。暗い地獄で、少女の髪はきらきらと雪のように煌いていた。「うん……」と小鳥のような大人しさでヴァルヴァラが呟く。ちょっとでも暖を取る為に、緋十郎のふかふかの尻尾を握り締めていた。

 周囲は吹雪で閉ざされている。強い風と共に叩き付けられる雪は刃のように鋭く、咎人達を傷付ける。
 遮蔽物はない。安全地帯などない。耳を切り裂かんばかりの風は、亡者の呻きや悲鳴にも聞こえた。
 寒さが、地獄のような寒さが、全ての咎人の意識を閉ざさんと、心を砕かんと、吹き荒れ続ける。
 目の前は真っ白だ。眠ることすらも許されない。目を開けていると雪つぶてが容赦なく眼球にぶつかる。ゆえにここでは、全ての咎人は俯き項垂れるのだ。詫びるように。赦しを乞うように。

 緋十郎もまた、項垂れている者の一人だ。己の罪を思い出す。人類を裏切った罪。友情に唾を吐いた罪。H.O.P.E.という組織が築き上げてきた、全てのリンカーの為の信頼に泥を塗った罪。自分がしてしまったことは決して赦されない。雪が積もり続けるように、緋十郎は己の罪を受け止める。
 ヴァルヴァラもまた、自らが与えてきた極寒を今度は自分が受けることとなり、震えながら己の罪を悔いていた。遊び半分で弄び、無残にも砕いてきた数多の命……。
「彼ら、生きたかったのに」
 ポツリと呟く。びゅうびゅうと冷たい風を聞き続けていると、心まで凍ってしまいそうだ。
「ああ、……そうだな」
 緋十郎は相槌を打つ。ヴァルヴァラの声音から、彼女の悔恨を感じ取っていた。そしてその感情を否定したりはしない。手放しに「お前は悪くない」と言うべきではないと緋十郎は理解していた。今の彼にできることは、ヴァルヴァラの気持ちに寄り添うこと。彼女と共に罰を受け、彼女と共に罪を贖い、彼女と共に悔い改めることなのだから。
「緋十郎、……貴方も」
 生きたかった? 雪娘のその言葉を、緋十郎はひときわ強い抱擁で遮る。
「ヴァルヴァラ……お前と共にいられるなら、俺は何だっていいんだ」
「そう……」
「寒いと、心まで寒くなって……後ろ向きになってくるな」
「……」
「だから、せめてヴァルヴァラの心は凍えぬよう……俺がずっと、傍にいよう」
「うん、……ありがと」
「……ヴァルヴァラ、大事はないか?」
「まあ、……ここは“死ねない”し」
 困ったような、ちょっと自虐的な笑みだった。それから彼女は「緋十郎こそ大丈夫?」と問うてくる。男は片方だけになってしまった目を優しく笑ませた。
「俺ならば……全く問題ない。確かに痛烈な寒さだが、俺は今この上なく……幸せだ」
 腕の中の少女を抱きしめ直す。感覚の消えた手をなんとか動かして、優しく優しく、繊細な硝子細工に触れるかのような手付きで、ヴァルヴァラの髪を撫でる。
「こうして腕の中にヴァルヴァラが居る……俺の体がヴァルヴァラを少しでも寒さから護る役に立てている……こんなに幸せなことはない」
「そっか……」
 ちょっとはにかむようにヴァルヴァラは応えた。それから彼女はもそもそと身動ぎをして、緋十郎に向き直る。伸ばした白い手は凍え切っているが、それでも彼女は緋十郎の頭に積った雪をぱさぱさと払いのけてくれた。「雪かきしなきゃね」とあどけなく笑うその表情に、緋十郎は穏やかな笑みを返す。
「ヴァルヴァラに寒く苦しい思いをさせていることは辛いが……だが、数多の人を殺めた罪は……償う他ない」
 こんな場所でも、笑み合う心の余裕がある……そのことを地の底にいながら天に感謝しつつ、緋十郎は言う。「うん」と素直に頷くヴァルヴァラの冷え切った指先が、緋十郎の頬をぺたぺたと撫でた。彼の左目の傷は既に塞がっている。
「冷えて、傷、痛くない?」
 ヴァルヴァラの指も凍ってしまって感覚などほとんどないだろうに。少女は震える指で、男の傷を労わるように撫でた。ずっとずっと冷たいのに――不思議だ――ヴァルヴァラに触れてもらえると、緋十郎はそこに春の風が吹いたような温かさを感じるのだ。「俺は大丈夫だ」と、こんなやりとりを、かれこれ何回交わしただろう?

 ここに時計はない。だから、どれだけ時間が経ったのかは分からない。
 だけどもう、ずっとずっとここにいる。
 贖罪が終わるその時まで……二人きりで地獄の底、寄り添い続けよう。

「寒いね……」
「ああ、寒いな……」
 無限の氷獄にて、確かなものはお互いの存在だけで。
 緋十郎は五感の全てでヴァルヴァラを感じていた。お互い、もう心臓の鼓動はない。
 終わらない吹雪が二人を包む。
 一寸先も雪で閉ざされるそんな中、ふとヴァルヴァラのオーロラ色の瞳が緋十郎を見上げた。
「ヴァルヴァラ……」
 宝石のように綺麗な瞳。それを覗き込んでいると、オーロラの空に沈む空想が頭を過ぎった。同時に込み上げるのは、ヴァルヴァラへの表現しきれない愛おしさ。既に抱きしめて触れ合っているのに、もっと抱きしめて触れ合いたい気持ちになってくる。
「なあに、緋十郎?」
 雪娘が目を細めて、そっと顔を寄せてくる。緋十郎は彼女の白い頬を、大きな掌で包んだ。
「……好きだ、ヴァルヴァラ」
 何度も口にした言葉。くす、と少女が小さく笑って。返事の代わりに緋十郎の唇をいたずらのようにそっと食んだ。それをきっかけに、男は顔を傾けて交わした愛を深める。
「ん――」
 口の中は温かい。蕩けるほど、真夏のよう。温かいから、柔らかいから、ずっとずっとそうしていた。
「私、」
 ぷは、と息継ぎの中でヴァルヴァラが言う。
「へたくそじゃない?」
「そッ……! そんなことないぞ……! じょ 上手……だ!」
「ふふ。そぅお? じゃあ、もっと上手になれるように、いっぱいいっぱい教えてね――」

 また息ができなくなる。
 だから、こんな場所でも、幸せだった。







 たとえこれが泡沫の夢だろうと。
 最期に見ている屍人の妄想だとしても。
 二人きりの地獄の底なのだとしても。

 これは、夢と希望の物語。



『了』




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狒村 緋十郎(aa3678)/男/37歳/防御適性
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2018年08月15日

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