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『隻眼の掃除屋』
空月・王魔8916


 朝、目が覚める。目覚めと同時に、私の身体は動き出す。
 自然に目が覚めるのは、肉体がそれ以上の睡眠を必要としていないからだ。
 だから二度寝はしない。時間の無駄だ。
 時間の無駄を極端に嫌うね、キミは。
 同居人に、そう言われた事がある。人間、だらだらと無為に過ごす時間は絶対に必要だよ? とも。
 おまえも私も、人間なのか。私は、そう言い返した事がある。私自身、その問いには答えられないのだが。
 それはともかく言葉通り、あの同居人は昼過ぎまで寝床でだらだらと過ごしている事が多い。
 私としては、叩き起こして無理矢理ベッドから引きずり出す事もある。放置しておく事もある。
 だが今朝は、私が目を覚ました時、彼女はもうすでにいなかった。
 仕事のある日は、自力で目を覚ます事が出来るのだ。
 不定期的に、とは言え仕事はある。主にIO2が回してくれるものだが、個人的に厄介事を持ち込んで来る依頼人もいる。
 私たちが、2人揃って同じ仕事を受ける事は滅多にない。世の中いくらか物騒になったとは言え、私と彼女が手を組まなければならないほどの強敵が、それほど頻繁に出現するわけではないのだ。
 私が仕事に出ている時は、彼女は留守番。その逆の場合もある。
 今回は、彼女が仕事で私は留守番だった。
「何だ……思いきり叩き起こしてやろうと思ったのに」
 空っぽのベッドを見下ろしながら、私は頭を掻いた。


 同居人に言わせると、私は『ボディーガード』及び『家事手伝い』であるらしい。
 これら肩書きに私が不満を抱いている事は、いくら彼女でも知っているはずだ。私は、不機嫌な顔を隠そうともしていないのだから。
「おまえに、ボディーガードなど必要あるのか!」
 この場にいない相手に文句を言いながら、私は掃除機を操り、執拗に埃を追った。敵を追撃するようにだ。
 敵を、殲滅する。
 私にとって、掃除とはそのような作業だ。
 お掃除が好きなんだなあ、キミは。綺麗好きなのかな。
 同居人に、そう言われた事がある。
 まさに世迷い言であった。血で汚れきった私が、綺麗好きであるわけがない。
 私はただ、私を愚弄するように舞い上がる、この綿埃が許せないだけだ。
 自動で塵や埃を感知・吸引してくれる掃除機があるらしいが、私は使いたいとは思わない。
 敵は、視界に捉えて追い詰めるものだ。
 片方だけの目で、私は部屋中の汚れを、塵の一粒に至るまで捕捉していた。全てを狩る。それが掃除だ。
 私には、目が片方しかない。
 同居人には、腕が片方しかない。
 隻腕で、しかし彼女は優雅に軽やかに掃除機を操って見せる。
 洗濯も炊事も、彼女は片手でこなす。五体満足の私よりも巧みにだ。
 私が家事を行うのは、そんな同居人への対抗心あっての事である。
 家事手伝いだから、ではないのだ。


「ふう……食った食った」
 いくらかだらしなくソファーに身を沈めたまま、私はそんな声を発していた。
 夕食を、済ませたところである。キッチンでは、自動食器洗浄機が稼動している。
 同居人が作り置きしておいてくれたシチューは結局、全部食べてしまった。ほとんど私が1人で平らげた。
 私も料理は出来るが、腕はまだ彼女の方が上だ。
 全部、食べてくれたのか。気に入ってもらえて嬉しいよ。
 そんな事を言いながらの得意げな笑顔が、脳裏に浮かぶ。
「……ええい、くそっ」
 私はテレビを点け、腹立ち紛れにチャンネルを色々と変えてみた。
 どの局も、主にニュース番組を流している時間帯である。
 虚無の境界がテロを起こして、大勢の死傷者が出た……というニュースはなかった。
 芸能人が離婚したり、識者らしき人々が与党総裁の悪口を言ったりと、まあ平和なものではある。
 卓上で、スマートフォンが震えた。
『やあ王魔。私のいない1日、寂しい思いをさせてしまったね』
「なかなか帰って来ないから、無様な討ち死にでも遂げたのかと思ったぞ」
 同居人からの、電話である。
「今、ニュースを見ていた。何事も起こらなかったところを見ると、どうやら上手くやったようだな? 手こずっているなら加勢に行ってやろうか、とも思ったが」
『冗談。キミと私が手を組んだら、それこそキミの嫌いな弱い者いじめにしかならないよ』
 ニュースが切り替わった。
 中学生が自殺をしたらしい。いじめが原因であるという。
 私がその場にいたら、いじめをした者たちを懲らしめるのは容易い事であっただろう。
 だが、と私は最近思う。
 人間とは基本的に、弱い者いじめしかしない生き物なのだ。
 私の生まれた場所でも、そうだった。武装勢力が、民衆に対して様々な暴虐を働いていた。
 人間だけではない。
 雄々しき肉食の猛獣、例えば獅子であったとしても、巨大な象と小さな兎がいれば迷いなく後者を襲う。
 自分よりも弱い者を狙う。それは生き物として、至極当然の有り様なのだ。
 獅子の名を有する彼女であれば、しかし巨象に挑むような酔狂をやらかす事もあるだろう、と私は思う。
『今朝は霧が出ていたろう? 虚無の境界が、その霧に紛れて事を起こそうとしていた……のは、まあすぐに片付いたのだけど。その後、IO2の人たちと込み入った話があってね』
「ふん。エージェントとして正式に就職しろ、とでも?」
『それも言われた。なかなかの給料を提示されたよ。キミを推薦しようか、とも思ったどね』
「私は虚無の境界にスカウトされたぞ。IO2の倍の金で雇ってくれるそうだ。おまえを推薦してやれば良かったかな」
 私は笑い、彼女も笑った。
『……ともあれ、今から帰るよ。別に待っててくれなくていい、お風呂に入って先に寝てしまってくれ』
「ああ、そうさせてもらう。ちなみに食事の作り置きなどしていないから、夕食はどこかで済ませてしまえ」
『何だ、あのシチューは全部食べてしまったのか? ふふっ、気に入ってもらえて嬉しいよ』
「……いいから、さっさと帰って来い」
 私は電話を切った。


登場人物一覧
【8916/空月・王魔/女/23歳/ボディーガード(兼家事手伝い)】
東京怪談ノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2018年08月16日

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