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『社畜の花』
松本・太一8504


 48歳という実際の年齢よりは、かなり若く見える。
 この松本太一という人に、無理矢理にでも1つ取り柄を見出すとしたら、そんなところであろうと俺は思う。
 あと、まあ性格も悪くはない。体育会系のノリが大嫌いな俺にとって、この人の物腰柔らかさ、押し付けがましく無さは、救いではあった。
 何しろ出勤から退勤まで、ずっと行動を共にしているのだ。
 新入社員の俺は今、この松本さんに付きっきりで、営業の仕事を覚えている最中である。
 先輩であっても、上司ではない。立場は平社員で俺と同じ、要するに出世とは全く縁のない人なのだ。
 時折、疲れたような笑みを浮かべる。若く見える顔に、その時だけは年齢が滲み出る。
 本来の年齢……否、老人にも見えてしまう。
 この人の、長年にわたるサラリーマンとしての労苦が垣間見える瞬間であった。
 その笑顔を見る度、俺はゾッとする。会社に勤め、会社に尽くし、会社にしがみつく人生が一体どういうものであるのか、何となくわかってしまうからだ。
 社畜の完成形。それが現時点における俺の、松本太一氏に対する評価である。
 会社やクライアントに命令されたら、何でもやらなければならない。
 そんなサラリーマンの生き様を、この人は俺に、嫌と言うほど見せつけてくれる。
 俺はもう、お腹がいっぱいだった。
 色々と良くしてくれた松本さんには、本当に申し訳ないとは思う。だが俺は、今週中には辞表を提出するつもりだ。別にバックレても良いのだが。
(いや……だってコレ、普通に訴えていいレベルじゃね?)
 松本さんが、取引先でセクハラを受けている。
 そのようにしか、見えない光景だった。
 女の係員数名が、寄ってたかって松本さんの服を脱がせている。
 呆然としている松本さんに、てきぱきと化粧を施してゆく。
 手際が良い、とは言っても、素材が48歳の熟年男性である。松本さんには悪いが、おぞましいものが出来上がるとしか思えない。
 動物園と植物園が合わさったような、娯楽施設である。うちの会社の、重要な取引先の1つだ。
 だからと言って、これはない。
 施設の責任者である女の意向で、松本さんは今、女装をさせられている。
 年齢不詳の年増女で、まあ美人ではあるが、あまりお近付きになりたいとは思えない。男など道具か玩具としか思ってなさそうな女。
 まさしく今、松本さんは、その女によって玩具にされているのだ。
 48歳の男を、女装させて面白がる。笑い物にする。画像を上げて晒す。
 営業に来たサラリーマンに、そんな仕打ちをするような事業所とは、縁を切るべきなのである。うちの会社は。
 どうせ辞表を書くつもりでいたのだ。好きなように振る舞うべきだ、と俺は思い、施設責任者の女に怒声と罵声を浴びせようとした。
 怒声も罵声も、俺の喉の奥で凍り付いた。
 おぞましいもの、になるはずだった松本さんが、まるで花が開いたような姿を露わにしているからだ。
 痩せた身体が、いくらか太っているように見える。いや、肥満とは違うか。全体的にふっくらとしていながら、胴はスッキリとくびれている。そこから尻にかけての白桃のような膨らみが、艶めかしく悩ましい。
 その魅惑的な曲線を受け継いで形良く肉が付いた太股の、半ば辺りから下は、緑色の植物に呑み込まれていた。
 いや違う、呑み込まれているのではない。
 巨大な緑色の植物が、松本太一という艶やかな大輪の花を咲かせているのだ。
 胸は当然、作り物であろうが、とてもそうは見えない。ふくよかな質感を漲らせた双丘が、花弁の形のビキニブラに柔らかく包まれている。
 優美に引き締まった細腕には、蔓植物が巻き付いて、その上から黒髪がさらりと被さっている。カツラの類とは思えない、豊かで艶やかな黒髪。
 そして、顔である。
 48歳のくたびれた男が、20歳そこそこ、下手をすると10代のグラドルに変わっていた。
 本気で、俺はそう思った。
 松本さんの面影が、よく見ると少しは残っているのだろうか。
 この人に娘がいたら、こんな感じか、と思えるような女の子である。
 いや違う、松本太一だ。48歳の、笑うと老いが滲み出る万年平社員なのだ。
 そのはずである男性に、俺は恐る恐る声をかけた。
「あの……松本さん、ですよね……?」
「ふふっ、どうですかね……自分が一体何者なのか、私もわからなくなっているところでして」
 気のせい、であろうか。声まで変わっているように思える。人気の女性声優を思わせる、美少女声だ。
「うちの会社が一体何を扱ってる所なのかも、わからなくなっちゃいますよね」
 松本さんが、やけくそになっている、と俺は思った。こういう役回りの多い人だと、聞いてはいたのだが。
「これが、貴方の上司よ」
 施設責任者の女が、俺に話しかけてくる。
「昼行灯のような扱いを受けているのでしょう? 実にもったいない……会社勤めなどやめて、魔女稼業に本腰を入れればいいのに」
 上司ではない。立場は平社員で、俺と同じだ。
 そんな事を、俺は言い返そうとも思えなくなっていた。
「植物園の従業員たちをね、こんなふうに変身させようと思うのよ」
 女が言った。
「植物の説明やイベントの司会……うちは動物も植物も扱っているけど、植物園の方がちょっと景気良くないのよね」
「変身させられる従業員さんたちに、ちゃんと意思確認は……」
 松本さんの問いかけに、女はきっぱりと答えた。
「社命よ。業務として、やってもらうわ。だけど皆、喜んで引き受けてくれると思うわよ? あなたの、この成功例を目の当たりにすればね。ああもちろん、プレゼン用の動画に使わせてもらうから」
「まあ、それは御自由に……」
 何やら良い匂いがしている。
 花の、芳香であった。
「あなた……凄いわね。本物のアルラウネに、なりかけているわよ。魅了の芳香まで出しちゃって」
 女が、松本さんを褒めている。
「思った通り、あなたは最高の素材。人魚姫やアルラウネだけじゃなく……サキュバスにだって成れるわよ? あなたなら」
「……もしかして、対抗意識とか燃やしています? あの水族館の方に」
「彼女と私はね、競い合い認め合うライバルなの。実は私も動画を上げてるのよ?」
「あの……萌え系アニメキャラのTシャツ着た小太りの男の人が、そのアニメキャラに変身しちゃう動画ですか? 私も見ました。恐いくらい良く出来たCGだなって、思ってましたけど」
「ふふっ、それがCGじゃないのよね。よくわかったでしょう?」
 会話の内容など、俺にはとても理解出来ない。
 1つ言えるのは、これが女装などというレベルの代物ではないという事だ。
 松本太一という昼行灯のような男が、密かに隠し持ち磨き続けている、恐るべき技術である。
 取引先の依頼とあらば、こんなハイレベルな技術の無駄遣いすらやってのける。
 この人は社畜の完成形ではない。未だ、進化の途上にあるのだ。
 見届けなければ、と俺は思う。
 辞表を書く気など、いつの間にか消え失せていた。


登場人物一覧
【8504/松本・太一/男/48歳/会社員(魔女)】
東京怪談ノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2018年08月22日

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