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『なないろ 』
和紗・S・ルフトハイトjb6970

 二〇一八年、八月終わりの暑い日のことだった。
 雲すらも燃え尽きたんじゃないかと言わんばかりの快晴だったハズなのに、昼下がりの移ろいと共に空には大きな入道雲ができていて。
 ほどなく、立派な立派な入道雲から、バケツをひっくり返したようなにわか雨が降り始めた。

 ばらばらばらばら――大粒の雨音が、クーラーに冷えた窓を叩き始める音。

「いけない、洗濯物っ……!」
 大学の講義の予習をしていた和紗・S・ルフトハイト(jb6970)は、開いたノートもそのままに慌てて勉強机から立ち上がった。急いでベランダへ向かう。外はむわっと蒸し暑い。しかし暑さにダレている暇はない。和紗はインフィルトレイターとして鍛え抜いた動体視力を活かし、干してあった洗濯物を瞬く間に取り込んだ。
「ふぅ……」
 ベランダのガラス戸を閉める。なんとか洗濯物が雨にやられることはなかった。和紗はひと段落の溜息を吐く。茹だるような暑さと湿度に、首周りに汗が浮かんでいた。この湿度の所為でベタベタしている。取り込んだばかりのタオル――真夏の熱気にパリパリに乾いていた――で汗を拭った。そのままタオルを首がけに、今しがた取り込んだばかりの洗濯物を畳み始める。キチンと正座で、几帳面なほどにピッチリ丁寧に。
「〜♪」
 鼻歌まじり。夫の下着を畳むのも慣れたものだ。昔は男性の下着はどう畳むべきか実に悩んだものである。全ての洗濯物を畳み終えた和紗は、数学的芸術さすら感じるまでにピタッと畳まれた洗濯物に達成感の頷きを一つ。
 と、それまで窓から聞こえていた雨の音が止んだことに気付いては、和紗は空へ振り返った。硝子越しの天気はやはり雨が止んだようで、雲間からはまた青い色が覗いていた。雨上がりの空はいっそう青を深く感じる。そういえば、いつの間にやら止んでいた蝉の声も聞こえるようになっている。八月の終わりを告げるツクツクボウシだ。
「……あ」
 良く見れば、そんな雨上がりの空に虹がかかっていた。透き通る幻想的な七色。自然が作り出す美しい色彩に、和紗は視線を奪われる。しかも良く良く見れば珍しくも二重虹ではないか。
 虹――……和紗はふと、左手の薬指に右手で触れた。指先で感じる金属質は、プラチナの結婚指輪。愛する夫との永遠の愛の証。

 ――かつて彼女の指には白金の煌きではなく、虹色の光があった。
 指輪の名を【虹霓】。淡く透き通ったその中には、柔らかな七色を湛えていた。それは「多様性」「共存」の象徴であり、約束の徴。二つで対となる指輪であり、和紗は【霓】の方を着けていた。

「最初はクリスマスプレゼントに贈ったのでしたか……」
 夫と出会って最初のクリスマスに、街で見かけた指輪だった。彼に――そして彼が目指す未来に似合う気がして、それを彼にクリスマスプレゼントとして贈ったのだ。当初、彼は“夫”ではなかったし、和紗自身も恋心を自覚していなくて――今でこそ分かったのだが、異性に指輪を贈るのはなかなかガッツのある行為だったなぁ。そんな思考の脱線もしつつ。
(そう、最初は、二つとも贈ろうと思って……)
 その指輪は二つで対。けれど、彼は「折角の対なら一方は和紗が持っていてくれ」と言ったのだ。彼は主虹【虹】を、和紗は副虹【霓】を、あの寒い一二月、絆の証とした。
 それからは、和紗は【霓】をお守りとして常に携帯していた。めでたく夫と結ばれることになった日の戦いの時もだ。

『この世界は貴方だけのものではありません』

 あの時、指輪に触れて放った言葉を思い返す。あの時、「暴力による強制ではなく、互いを認め合う共存」を和紗は願った。そして――願いは叶った。恋も叶った。求婚の返事の際、夫も指に指輪をはめて応えてくれた。嗚呼、それぞれ自分で指にはめたのは、自分達らしいなぁ。
 本当に、嘘のような、夢のような、満ち足りた、本当の話だ。【虹霓】は挙式の指輪交換にも使った。夫との思い出の傍に、ずっとずっと寄り添ってきた大切な指輪だ。それには何にも代えられない、思い出という価値が宿っていた。
「……あの時は、まさか本当に対として生きていくとは思いませんでした」
 寄り添うように空にかかる虹に、和紗は瞳を細める。今、和紗の指に【虹霓】はない。それは今、彼女の家族写真の前に飾られている。二つ並んで、写真という思い出の形に寄り添うように。
 家族写真はこれから増えていくことだろう。なにせ、子供の成長は早い。早くもカメラのデータは生まれたばかりの子で埋め尽くされている。虹から視線を逸らした和紗の眼差しは、ベビーベッドの上の愛する息子に注がれていた。彼は雨の音で起きたらしい。
「……虹を見ますか?」
 四月に生まれた息子にかける優しい声は母親のそれ。和紗は慈しむ手付きで息子をゆっくり抱き上げた。んま、と赤ん坊は機嫌のよさげな喃語を返す。そのままベランダに出る。外は雨が上がってほんの少しだけ涼しくなっていた。
「ほーら、見えますか? 珍しい二重虹ですよ〜」
 和紗は小さな子をあやしてやりながら、雲が流れていく空を示した。赤ん坊はふにゃふにゃの頬を笑ませながら、小さな小さな掌を空に伸ばす。楽しそうな息子の姿に、母も瞳を愛おしげに笑ませた。

 夕方が近付いて来た世界は黄色を帯びた斜陽に照らされ、雨上がりの露にキラキラと輝いている。
 美しい世界だ。……こんな日常がずっと続いていけばいい。
 これからも夫と共に、新しい家族と共に、指輪が願う未来を歩いてゆきたい。

「雨上がりの優しい光が差し、たくさんのヒト達の想いが繋がりますように」

 和紗は願いを込めて息子を抱きしめた。天魔人の戦争という長い長い嵐はようやっと終わったのだから。これからは優しい凪が、穏やかな光が、雨上がりの世界をキラキラと照らしていきますよう。ぬかるんだ地面に足を滑らせても、誰かと手を繋いで、また立ち上がれますよう。

「さて、と。やっぱり暑いですね。そろそろ戻りましょうか。お腹も空いたでしょう?」
 赤ん坊を優しく揺らしてやって、和紗は部屋の中に戻る。そろそろ授乳の時間だ。それから、さっき途中にしていた大学の講義の予習も……。
 母親と大学生と撃退士、三足の草鞋は大変だけれど――和紗は幸せだった。頑張らないと、と前を向いた。



『了』




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和紗・S・ルフトハイト(jb6970)/女/21歳/インフィルトレイター
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エリュシオン
2018年08月28日

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