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『彩りの日々を 』
矢野 胡桃ja2617


 岐阜県多治見市、2018年7月。
 矢野 胡桃が多治見へ移り住んで、初めての真夏。
 暑い。
(……来年には、慣れている……かしら?)

 ――変わる世界を、共に
 ――残された時間を、諦めることなく生きること

 交わした約束は、守られ続けている。
 さらさらと消えてしまう記憶の中で、道標のようにスッとそびえ続けている。
「もちろん、来年には暑さにも慣れているわ」
 きっと。
 社員寮で夕食の下拵えを終えた胡桃は、テーブルに置いていたパンフレットに手をのばした。

 多治見市で最大の、花火大会のご案内。




 暑い。
 とはいえ、女の子には負けられない何かがある。


 遡ること、1週間ほど前。
『ヴェズルフェルニル。花火大会の日は警備のお仕事、なのかしら?』
『いいや。役所主催だから、基本的にはオフだよ』
 5月。彼の誕生日に、胡桃は細縞の浴衣を贈った。夏や秋の祭りに着て行けるように、と。 
『私、着付けは出来る、のよ。……ヴェズルフェルニルは、出来るようになった?』
 やや沈黙の後、彼は考えの読めない笑みを浮かべた。
 たぶん、出来るようになっていない。気がする。


 そんな遠回しなお誘いをしつつの、今日。花火大会当日。
 胡桃は少ない手荷物から一着の浴衣を取り出した。
 白地に、紫と若草色の矢絣と小花を散らした涼やかな柄。
 帯や巾着など、小物類もチェックして……
「こ、香水……。うぐぐ」
 ――外出する時に気持ちを楽しくさせてくれる香水を
 クリスマス会とは別に贈られたプレゼント。
 軽やかな花の香りは季節を問わず使えるものだ。とはいえ気恥ずかしさは、どうしても拭えない。
「いい? 胡桃。これは……『勝負』よ」
 鏡を前に、呪文を唱える。
 勝負。その言葉が、自分を強くする。
 肩の下ほどまでに伸びた髪をうなじより少し上の部分で一つにまとめ、最後に真白のリボンを結んだ。




「……笑ってくれていいんだよ」
「努力の証を、笑ったりなんか、しないわ」

 手先が器用で、物覚えが早い。人界知識が豊富で、こと日本の生活には馴染んで久しい。
 そんな彼も、和服を纏う機会は多くなかったらしい。
 帯に苦心の跡がうかがえる。
「来年の夏には、もっと、上達している、わ」
「ふむ……」
 来年のワインフェスタは和服にしようか。ヴェズルフェルニルは真顔でそんなことを言う。
 来年の秋は胡桃も20歳、フェスタでワインを味わうことができる。
「それも、楽しいかもしれないわ、ね」
 欧州へ合わせた衣装が多いから、奇をてらってみるのも良いかもしれない。
「それでは、今年の花火大会へ向かいましょうか」
「ああ。……すでに人波が凄いね。迷子にならないように」
 スッ、とヴェズルフェルニルは彼女の左手を取る。
「な、ならないわ、よ? もうっ……」
 

 街で暮らすことは、依頼やイベントで訪れることとは違う。
 顔見知りが、街の中にたくさんできる。
 かつて多治見へ大きな被害をもたらし、今は撃退士連合の下で働くヴェズルフェルニルとなれば尚のこと。
 胡桃の記憶から抜けた人、そもそも知らない人たちが、道すがらに声をかけてくる。
「おや」
 パタパタと走り去ってゆく少年の背に、ヴェズルフェルニルは小さく声を上げた。
 彼にしては珍しい、と胡桃は少年を目で追ったけれど既に人混みに紛れていた。
「私の剣を持ち去った少年だ。友人たちと一緒だったね」
 胡桃の記憶に配慮し、彼は昨年の初夏の出来事を話した。
 魔具のハリセンでヴェズルフェルニルが重体に陥ったことは己の尊厳の為に伏せたが、胡桃はぼんやりと衝撃的瞬間を覚えていて、やはり彼の尊厳の為に黙っていた。
「……花火……楽しめてるといいわね……」
 生きているから目に出来る彩りを、喜びとして感じられていたなら、どんなにか。

 喪われた命は戻らない。
 限られた寿命を、どうすることもできない。

 だから。
 生きている『今』という、喜びを噛みしめていたい。
 胡桃は、つなぐ手にそっと力を込めた。




 りんご飴、かき氷、ラムネ、チョコバナナ……
 並ぶ夜店に、魅力的な甘味。
 甘いもの限定で、胡桃の食欲は旺盛だ。
「そろそろ移動した方が良いんじゃないかい?」
 りんご飴と格闘していた胡桃が、ハッとして夜空を見上げる。
 花火は既に始まっていて、夜店の位置からも見えているが……プログラムでは、これから見どころの時間のようだ。
 人々も、川沿いに大きく移動を始めている。
「少し、人混みから離れた場所にしようか」


 夜店エリアを西へ抜け、陶都大橋が見えてくるところで花火打ち上げの為の通行止め。
 左へ折れて、人波にもまれながら桜橋を越える。
「……うわぁ、すごい……」
 立ち止まり禁止エリアを歩き続けながら。
 胡桃は、川から打ち上げられる花火の色に、音に、言葉を奪われる。
 ズシンと心臓に響く音と光。宵闇を背景に、鮮やかに咲いては散ってゆく大輪の花。
「春の桜も好きだけれど」
 のんびり誰かと花火大会なんてヴェズルフェルニルも経験がない。
「ひとが、歳月をかけて磨いた技術は……美しいね」
「ええ、本当に」
 陶彩の径を右に見て曲がり、道なりに進めば生い茂る緑が見えてくる。神社だ。
 住宅街にありながら静かな佇まいは、大きな祭りの中を歩いてきた体に休息を与えてくれる。
 並んで石段に腰を下ろし、2人は言葉なく花火を見上げた。


「ああ。そうだ、胡桃」
「一緒に来てくれて有難う、ヴェズルフェルニル。……大好きよ」


 その日、ひときわ大きな花火が打ち上げられた瞬間。
 ふとヴェズルフェルニルが顔を下ろすのと、
 音に紛れてなら伝えられるだろうかと胡桃が発した言葉は、
 それは美しく重なった。




「胡桃。帰り道は逆だよ」
「わ夜風で頭を冷やすんですぅーっ」
 すたすたと歩く少女を青年が追いかける。
「アイスを買って帰ろう。期間限定味が出たよね」
「寄る」
 赤面を直視されたくない。胡桃は先を進み続ける。
 振り返らなくても、彼が苦笑していることくらいわかる。
「胡桃。秋は果物狩りに行こうか」
「……え?」
 唐突な切り出しに、ついぞ少女は足を止めた。
「冬は星を観にちょっと遠出も楽しいかもしれない」
「どう……したの?」
 急に?
「私は人界で、日本で過ごして長いけれど……知っているようで、文化を知らない。日常を知らなかった」
「それは……そう、よね」
「だからかな。今が、とても楽しい。贖罪のはずなのに、楽しんでいいのか悩むこともある」
「……ヴェズルフェルニル」
 胡桃は振り返る。形だけ何とか整えていた彼の浴衣は、ちょっと着崩れていた。悪いと思いながらも、つい笑ってしまう。
 ゆっくりと歩み寄り、襟もとをただしてあげる。
「そう、ね。私も知らないことがたくさんある、わ」
 撃退士として重ねた経験と、『日常』は別物だ。暮らしてわかる地域性もあるだろう。
「上司も、手が掛からなくなってきたことだし」
「それが本音ね?」
「君が嫌でさえなければ、いつか、伊豆や富士山にも行きたいと……思っている」
「喜んでご一緒するわ」
 ヴェズルフェルニルにとって、かけがえのない存在が眠る土地。
 そこで胡桃たちは死闘を展開し……苦しい思い出も多いが、それらを乗り越えて今があるから。
「約束……増えていくわね」
 どんどん、欲張りになってしまう。
 だけど、幸せだ。
 握ってくれる手は、けっして離れないから。


「来年も……花火を見に来ましょう、ね」
「大好きだよ、胡桃」
「こういうところで! そういうことを!!」


 今度こそ、コンビニへ到着するまで胡桃は振り返らなかった。



【彩りの日々を 了】


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ja2617  / 矢野 胡桃 / 女 / 18歳 / ヴェズルフェルニルの姫君】
【jz0288  /カラス(ヴェズルフェルニル)/ 男 / 28歳 /多治見の堕天使】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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ご依頼ありがとうございました。
18歳、最後の夏。秋には19歳。夏を彩る花火大会の一日を、お届けいたします。
色々なことのあった多治見で。日常は、終わるまで続き。
たまにはきっと、多治見から飛び出す日もあったりして。
大切に大切に、日々を彩っていくであろうことを思い描いて。
深い深い感謝を込めて。楽しんで頂けましたら幸いです。
イベントノベル(パーティ) -
佐嶋 ちよみ クリエイターズルームへ
エリュシオン
2018年08月30日

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