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『エンドレスサマー 』
喜屋武 響ja1076

 二〇一七年八月三十一日、夜。

 あと数時間もすれば、今日が終わる。
 八月三十一日。きっと明日からも暑いけれど、夏が終わる。

 ツクツクボウシの声も尽き。
 早くもコオロギが鳴いている。
 日没までの時間は、これからどんどん短くなるのだろう。
 厭うほどの暑さも少しずつ弱くなっていくのだろう。
 思えば、今年が終わるまであと三カ月ほど。
 そう思うと益々、時の速さを思い知る。
 思えば矢のような速さだった。

 夏が終わる。
 あのさんざめく季節が。
 夏が終わる。
 あの幻のようなひとときが。

 ――夏が、八月三十一日が、今日、終わる。







 この日が来るのはもうずっと先のことだと思っていた。
 でもやっぱりその日は来て、その日はどんどん時間が過ぎて行って、気が付けばあと数時間で今日が――八月三十一日が終わる瞬間を迎えていた。

 その日は喜屋武 響(ja1076)にとって、いつものようで、いつもではない日だった。
 明るい未来――戦争が終わり、人と天魔が手を取り合うことができた今。これからもっと世界は良くなっていく。学園にいた生徒達には色んな未来が待っている。そう、だから、学園の中での話題は専ら、そんな未来のこと。これからどうするか、という話。そういった話題で、ずっと持ちきりだった。
 学園に残る友達、故郷に帰る友達、卒業して就職する友達、撃退士を引退する友達……ここ数日だけで色々な話を聴いた。でも響にはイマイチまだ実感が持てなくて、なんだか遠い話のようで。

 ――八月三十一日の夜になって、やっと、「そうか、終わるんだ」と自覚した。

「そっかぁ……」
 自分の心にそう独り言ちる。なんだか布団の中でじっとしていられなくて、夜の学校を目的もなしにぶらついていた。八月だけれど、夜になれば多少は涼しさを感じられる時期になった。夏の虫がそこかしこで鳴いている。昼間のような賑やかさはない。廊下も教室も、ガランとしていてひとけはない。
 でも完全に無人というわけではないようだ。職員室には電気が灯っているし、どこぞの教室では、任務に向けた作戦会議をしているのだろう、カーテンの閉まった硝子越しから真剣そうな話し声が聞こえてくるる。それに今日という日は特別なようで、響以外にも学園内をぶらついている生徒がいるようだ。あるいは思い出の教室、自分の机を撫でてシンミリしていたり、屋上でぼーっと月を見ていたり、友達と思い出話に浸っていたり、教師にお礼を言いに行っていたり……。
 響は彼らの姿に己を重ねる。なまぬるい夜風に、ふと足を止めて目を閉じた。中庭の真ん中、靴の裏から土の気配を感じる。

 そっか――今までの当たり前が、なくなるんだ。

 朝起きて、ばたばた支度して、自分の教室に行って、クラスメイトに「おはよう!」って言って、朝の会と共に先生が来て、朝から夕方まで授業して、皆に「またねー」と言って教室を出て、帰り道は気の合う子と一緒に帰って、家に着いたら宿題して明日の用意を鞄に詰め込んで……。
 皆がいなくなる訳じゃないんだけど、皆と過ごした日々はもうやって来ない。同じ面子で教室に集まることもない、友達とダラダラうだうだ帰り道を歩くこともない。

 もう二度とやって来ない、そのことは寂しい。
 だけど、置いて行かれる――という心地はしなかった。寂しいし切ないけれど、辛さはなかった。

 最後の最後で、響はようやっと学べたのだ。自分は自分のままでいいと。
 響はずっと争いごとが苦手だった。ゲームや競争といったものは好きだけれど、誰かを傷付けるという行為が嫌いだった。そして誰かから悪意を向けられ傷つけられることも嫌いだった。何より嫌いだったのは、そんな自分自身のことだった。
 曲がりなりにも撃退士。なのに戦いが嫌で、傷付くことも傷つけることも嫌で、ずっとずっと忌避していて。周りの皆は立派に戦えているし、彼らのお陰でたくさんの人が救われているというのに。「周りはできて、自分はできない」状況は、響の心に劣等感という棘となって突き刺さっていた。命を懸けて故郷を護った兄に対して申し訳ない気持ちになった。こんなんじゃ駄目だと、ずっとずっとずっとずっと思っていた。

 そうだった、けれど……。

 最後の戦いを通して、非力でもできることがあると学んだ。
 戦いが嫌いでも、臆病でもいい。そうだからこそ見えてくるものもあるし、できることもある。
 だから、「こんな自分でもいいかな」。そう思えそうで、やっと心の棘が取れて。

 ――空ってこんなに広かったっけ。

 満天の星空を見上げて思う。窮屈さの解消された心にまで、澄み渡る夜風が吹き抜けたようで。
 深呼吸一つ。そぞろに歩いていた脚は、いつしか久遠ヶ原学園の正門に辿り着いていた。振り返れば母校が見える。しばし、響は母校をじっと見つめ――

「俺ね、もっともっと広い世界を見たいと思うんだよ!」

 久遠ヶ原学園へ、少年は語りかける。

「兄貴を慕って、世界を知りたくて、家族に見送られて、十五の時に小さな島を出たあの日から……いつの間にか俺の世界はもっともっと広がってて、手は伸ばしたらどこにでも届きそうっ! いいや、届くんだよ!
 大規模な戦闘があった土地に行くのもいい、じいちゃんの故郷や海外にだって行きたい! 色んな料理を食べてみたいし、日本一周もしたいし、世界の綺麗なものをいっぱい見たい、色んな人に会ってみたい!
 ――ねえ、俺、やりたいことがいっぱいあるんだ! 明日と明後日がいっしょくたに来ちゃえばいいのにって、思えるぐらいに! うん――やりたいことが、いっぱいいっぱい見つかったんだ!!」

 入学してからの日々を思い返しつつ。込み上げてくるたくさんの思い出。物言わぬ校舎は、しかし、相槌を打っているようで。響はニッと太陽(ティダ)のように微笑んだ。

「久遠ヶ原で共に学び戦った俺たちは、離れ離れになってもこの空の下で繋がってるから! だから、笑ってさよならだよ! なんくるないさー!」

 でもやっぱり、寂しいものは寂しい!
 だから今だけ、涙を許してほしい。
 今日めいっぱい泣いたら、明日は笑顔で手を振れるから。
 わあわあ泣いた。心が空っぽになるまで泣いた。

 ありがとう。ありがとう。
 さらば、我が青春。我が母校。
 楽しかった、本当に。お世話になりました。

 さようなら。またいつか、きっといつか――。







 あれから、何回目かの夏が来た。

 沖縄県、西表島、八月。今日も暑い日だ。
 久遠ヶ原学園に入学した時は十五歳――あの頃は小さかったかつての少年は、眩しい太陽に瞳を細める。今日もいい天気だ。空もキラキラと輝いている。
「ふはーー、いい天気」
 すっかり成長した影が八月の青空に伸びをする。ふと吹いた潮風が、傍らのブーゲンビリアを鮮やかに揺らした。視線をやれば、青々とした南国の藪の向こうにエメラルド色の海が見える。南の温かさを映したようなピンク色の花びらと、彼方の海の色の涼やかな水色の対比が美しく、目を奪われた。
 故郷の空気――兄が命を懸けて護ってくれた世界を、彼は肺一杯に吸い込んで、体の隅々にまで巡らせる。
 さて。彼は、笑みを浮かべた。

「――何して遊ぼうかなっ」

 また来た夏が、まだ続く。



『了』




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喜屋武 響(ja1076)/男/19歳/ルインズブレイド
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2018年08月30日

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