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『ガラスの靴を履けないシンデレラ』
満月・美華8686


 装甲車にも似た、特注の高級車である。
 人造メイドの1体が、軽やかなハンドル捌きでそれを走らせ、満月美華を輸送している。まるで牛か豚を運ぶようにだ。
 荷台のようでもある巨大な後部座席に肥満体を横たえたまま、美華は息も絶え絶えに思考した。
 死ぬ、と。
 この身体では、手を動かして何かを持つだけでも体力を消耗する。
 歩いてどこかへ出かけるなど、自殺行為でしかない。ほんの数百歩で、美華は己の体重との過酷な戦いに敗れ、道端で無様に力尽きる。
 外出には、だからこうして車を使う事になるのだが、それでも決死の大遠征である事に違いはない。この巨大な肥満体を、車内に押し込むのも、車外へ押し出すのも、命懸けの大運動である。
 もちろん、魔法に頼る事は出来る。この巨体に魔力による補助を施せば、普通に手足を動かすくらいの事は出来るだろう。
 普通に手足を動かすだけの事に、魔力を消費する。
 祖父が存命であれば、厳しく叱責されているところだ。
 体力だけで普通に歩けば命に関わる、というのが、しかし美華の現状なのである。
 いくつもある大切な命を、このままでは無駄に潰してしまう事になりかねない。
「…………痩せなきゃ……」
 ぜいぜいと息を切らせながら美華は、夢のような事を呟いていた。


 自宅に着くや否や、美華はベッドに倒れ込んだ。無論、特注品のベッドである。
 満月邸、と近所の人々に呼ばれている豪奢な洋風邸宅。
 その寝室まで、美華は人造メイドたちに運ばれた。
 車で外出しただけで、とんでもなく体力を消耗したので、すぐ眠りに落ちた。
 それは、覚えている。
 ここが夢の中である事も、朧気ながら認識出来る。
 以前、見た夢では、美華は暗黒の森の中にいた。
 今回は、まばゆく光り輝く城の中である。
 ガラスで出来た城。天井も床も、壁も柱も、全てガラスだ。
 あちこちに設置されたガラスの燭台が、炎を燃やしているのではなく、白い光を球状に点している。
 だから、明るい。
 ガラス製の壁に、柱に、床と天井に、おぞましい怪物の姿が明るく映し出されていた。
 清楚な白いドレスを着用した、満月美華。
 それは、おぞましくも滑稽な化け物でしかない。
「……嫌がらせ、のつもり? 誰の仕業か知らないけど、こんなので私が傷付くとでも」
 不敵に笑って見せながら美華は、ずしりと歩き出した。夢の中であるから、疲れない。
「私みたいな女にとってはね、毎日が人の視線との戦いなんだから。デブのメンタル強さを理解してないわね、誰だか知らないけれど」
 自分が歩けば、ガラスの城など崩壊しかねない。
 構わず美華は、ずしんずしんと歩調を強めていった。
 白いドレスを内側からちぎってしまいそうな肥満肉が、重々しく揺れる。その振動だけで床が砕け散るかも知れない、と美華は思った。
 誰の仕業かわからない。本当だろうか、とも思う。
 自分は、本当は知っているのではないのか。この悪趣味なガラスの城を建てたのが一体、何者であるのか。
 思いつつ、美華は立ち止まった。
 ここが城である以上、そこは謁見の間という事になるのであろうか。ガラス張りの、大広間であった。
 美華が腰を下ろせば一瞬にして砕け崩れてしまうであろう、豪壮なガラス製の玉座に、この城の女王が優雅に美尻を載せている。
 それは、ガラスの玉座を壊してしまわない美華であった。
 こんな身体になる以前。新進気鋭、うら若き美貌の女性ライターとして売り出し始めた頃の満月美華が、清楚な白いドレスをまとって玉座上にいる。
「ますますもって……低レベルな嫌がらせを、してくれるわね」
 現在の美華が、そう声を投げると、過去の美華は微笑んだ。
「かぐや姫の次は、シンデレラ……と思ったけれど、ごめんなさいね。その足に合うガラスの靴を、用意してあげられなかった」
 そんな事を、言いながらだ。
「だからね、代わりに新しい力をあげる。貴女とは、また一段と強く同調出来るようになったから……その、お祝いよ」
 美華の腹が、膨脹した。またしても、新しい命を孕んでしまったのか。
 違う、と美華は直感した。命、と言うよりも……力。
 それが今、胎内で膨れ上がってゆく。
「貴女が今、見ている私の姿……それは偽りであるとも、真実のものであるとも言えるわ」
 過去の美華が、謎めいた事を言う。
「一体どれが本当の姿であったのか忘れてしまうほど、私は変身を繰り返してきたから……遥か昔から、ずっと。その力が今、貴女のものになった。望み通りの姿に、成れるわよ?」
「私が……本当に?」
 腹部が、さらに丸く膨張してゆく。
 美華は転倒した。
 ガラスの床に、亀裂が走った。
 亀裂が、壁に、柱に、天井にまで及んだ。
 ガラスの城が、崩壊してゆく。
 美華の丸い肥満体が、闇の中へと転がり落ちる。
「なら、返してよ……」
 遠ざかりつつある過去の自分に向かって、美華は叫んだ。
「それを、私に! 返しなさいよぉおおおおおおッッ!」


 叫びながら、美華は目を覚ました。
 特注品のベッドの上で、肥満した巨体が汗ばんでいる。
 美華は、のろりと上体を起こした。それだけで、今日はもう動けないと思えるほど体力を消耗してしまう。
 ベッドの脇に、鏡がある。
 そこに映る無様な肥満体を見つめながら、美華は語りかけた。崩落した、ガラスの城の女王にだ。
「返してよ、それを……」
 鏡の中から、肥満体が消え失せた。
 代わりにそこに映っているのは、かつての満月美華だ。新進気鋭の、美しくスレンダーな女性ライター。
「嘘……」
 美華は自分の身体を見下ろし、手触りを確認した。
 引き締まった太股と尻、綺麗にくびれた胴、形良く膨らんだ胸。
 体積の削げ落ちた肉体の中で、しかし無数の命の脈動は健在である。あれら命は、1つも失われてはいない。
 美華の身体の奥から、悦びの絶叫が込み上げて溢れ出した。
 美しさを取り戻した身体が、歓喜に躍動してベッドから転がり落ちる。
 地響きが起こった。満月邸が、揺れた。
 床に激突した瞬間、美華の身体は、肥満体に戻っていた。
「な……なるほど、ね……魔力の集中が、必要と……」
 美華は、息を切らせた。
 魔力の消耗が凄まじい。普通に手足を動かした時の体力消耗、どころではない。
「ちょっと、修行が必要……」
 息も絶え絶えに、美華は微笑んだ。
「魔法の修行なら……ダイエットより、楽……」


登場人物一覧
【8686/満月・美華/女/28歳/魔女(フリーライター)】
東京怪談ノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2018年09月03日

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