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『述懐の円 』
ナイチンゲールaa4840)&レミア・ヴォルクシュタインaa3678hero001)&リーゼロッテ・シュヴェルトaa3678hero002)&マイヤ 迫間 サーアaa1445hero001)&藤咲 仁菜aa3237)&氷鏡 六花aa4969)&不知火あけびaa4519hero001

 9月も中旬。商戦はハロウィンへと舞台を移し、各企業が陣を張り、前哨戦を展開しつつある。
 それはホテル業界も同じようで、食事時を外した午後のひとときに少しでも多くの女性客を集めようと、ハロウィン仕様なメニューを取りそろえているのだった。

「ナイチンゲール様、お待ち申し上げておりました」
 古式ゆかしいオールバックに髪を固めたマネージャーが深く頭を下げ、ナインチンゲールとそれに続く一行――レミア・ヴォルクシュタン、リーゼロッテ・シュヴェルト、マイヤ サーア、藤咲 仁菜、不知火あけび、そして氷鏡 六花を迎える。
「今日は招いてくれてありがとう」
レミアがナイチンゲールに並び、小さく告げた。
「うん。せっかく奮発したし、今日は女子会だから思う存分楽しもうね」
 その声音にはいたわりだけがあり、レミアは息をつく。
 いずれ消えるわたしに同情してってことじゃないみたいね。なら、言わなくてもいいかしら。

 かくて案内されたのは、ガラス越しに英国風の庭園が見渡せる白塗りの円卓だ。
「みんな好きなところに座って」
 テーブルと対の白塗りの椅子に、まず自分が腰を下ろして促すナイチンゲール。庭を背にする位置取りを選んだのは、この女子会のホステスである自分の視線を庭へ逃さないため。
 それだけの覚悟と決意を固めてきたのだ。“雪娘”ヴァルヴァラに心を捧げてその死に殉じた、限りなく愚かで限りなく純粋な男……その面影に縛られた友の心をすべて受け止めるのだと。
 存分に引き出しててやるといい。かくて積み上げられた思いを葬るのは私の仕事だ。
 ナイチンゲールの内に在る英雄がささやいた。
 彼女はいつもこうしてナイチンゲールを支えてくれる。だからこそ今日も強く踏み出し、心を据えることができた。感謝を込めて小さくうなずき、ナイチンゲールは一同を見渡した。
「席が決まったら好きなもの、好きなだけ持ってこよう。次の日に後悔するくらいたくさんね。今日は、今日だけは、我慢しないのがルールだよ」

 果たして、円卓の上はかぼちゃの黄をメインにとりどりのスイーツが置かれ、さらには隙間にポットの紅茶やノンアルコールカクテルのグラスが立ち並ぶという、なかなかの有様に。
「Let's tuck in」
 イギリスにはいただきます、ごちそうさまに当たる言葉がない。ゆえにカジュアルな場で使われる「食べよう」の表現を合図にし、ナイチンゲールがカクテルのグラスを手に取った。
 無言のままに始まった女子会の内、ぽつり。口を開いたのは仁菜。
「私、もともと戦うのが怖くて、得意でもなくて」
 語尾を噛み締めるように押し黙り、口の中で言葉を探って、また静かに語り出す。
「そんな私が今、前線に立ってるのは、レミアさんたちの邪英化がきっかけだったんです」
 レミアの眉尻がかすかに跳ねた。
 シベリアの大地に出現したレガトゥス級愚神を押しとどめ、機械仕掛けの雷神の鎚を食らわすために彼女とあの男とが支払った代償、それこそが邪英化だった。
「それまで、妹を守るためだけに戦場へ立てばいいんだって思ってました。でもそれだけじゃ、目の前にいる大切な人を失っちゃう。怖さに負けて下を向いてちゃだめなんだって――」
 フォークを握る仁菜の手に力がこもる。しかしそれはただ剥き出された力ならず、包み込むやわらかさに満ちていた。
「――だから目の前の怖いものをしっかり見据えて、大切な人たちみんなを守れるように強くならなくちゃって、そう決めたんです」
 守るための強さを体現した仁菜の手に触れ、レミアはうなずいた。
「藤咲は強いわね。あのとき私が感じていたのは、絶望の果ての甘やかさ。すでに離れてしまった猿の心を、これで私に繋ぎ止められると信じて……でも、心のどこかでわかってたわ。もう戻らない、もう戻れないんだって」
 戻らない彼の思い、戻れない甘やかな時間。言葉にする必要はなかったのかもしれない。しかし、今日はなにひとつ残してはならないと思うから、語る。
「あの下劣な猿、やっぱり始祖様の伴侶にはふさわしくなかったの。始祖様を裏切って愚神なんかに走ったこと……それよりなにより始祖様を悲しませたこと、リーゼは絶対赦さない」
 ここでリーゼロッテが、和栗のモンブランを食べる手を止めずに憤りの声をあげた。
 10歳の少女にとって菓子は至高。しかし今食べ続けているのは、至高の力を借りなければテーブルを叩き壊してしまいそうだからに他ならない。
 その怒り、当然ではある。なぜなら彼女はレミアの愛剣たる“闇夜の血華”の化身であり、ゆえにこそ誰よりもレミアの心を知っていたのだから。
 始祖様は猿を愛してるからこそ身を引いた! それなのに猿は……! 赦さない、赦さない、赦さない!
 リーゼロッテの幼さゆえに一途な義憤を引き取ったのはマイヤだった。
「目がくらむほどの恋だからって、自分のまわりにいてくれる人たちすべてに泥を食ませていいはずはないわね。一点の正義――恋をした互いの望みがあるなら、もしかすればふたりの間では赦されるのかもしれない。でも、あれはただの自己満足だわ。彼は雪娘の気持ちを見ることさえせず、ひたすらに自分の欲に従っただけ」
 穏やかな薄笑みの端に鋭い皮肉を閃かせ、マイヤはさらに語る。
「行く先に悲哀が待ってることなんて最初からわかっていたはずなのに、彼は雪娘の心を変える努力も、自分自身を変える覚悟もできなかった。末路はそう、推して知るべしよね」
 だから私は彼の生き様を讃えない。ただ想い、殉じるなんて、それこそなんの関わりもない他人にだってできることなんだから。
「私も全面賛成です」
 マイヤの容赦ない言い様へ、ナイチンゲールと共に聞き役を務めていたあけびは深くうなずいた。

 ナイチンゲールは口を挟むことなく、口々に語る友のために茶を継ぎ足し、皿を整え、自らもパンプキンとナッツを混ぜ込んだチーズケーキやクリームを高々と盛り上げたかぼちゃのマフィンを味わった。店側に遠慮も容赦もせず、思いきり食べる。つられて皆が甘味を口にしてくれるように。
 皆、あまりにも大きな喪失に打ちひしがれている。その冷え切って止まってしまった心に甘みという燃料をくべて、もう一度動かしてやらなければ。
 心が動き出せば感情という熱が灯る。熱は内に染みついた形なき“彼”を浮き彫りにするだろう。そして今度こそ野辺送り、荼毘に付すのだ。
 しかし。もっとも深い傷を負った友は未だひと言も発しておらず……
「六花、なにか食べたいものない?」
 ナイチンゲールの傍らに座り、庭を返り見ていた六花がふとその目を引き戻し、小さくかぶりを振った。
「……ん、大丈夫、です」
 食べていないわけではない。沈み込んでいるわけでもない。しかしその目はナイチンゲールではない遠くへ向けられていて、焦点を定めない。
 つきまとうのだ。なにをしていても、なにを見ていてもあの男の姿が。その傍らにある雪娘の姿が。だから自分を鈍磨させるよりなかった。はっきりと見ず、はっきりと感じさえしなければ……つきまとうものもまた像を結ぶことなく影となる。
 そんなの、ウソ。
 そう。どれだけ心を鈍らせたところで、見えてしまう。聞こえてしまう。感じてしまう。あの男が六花の心に残したすべてを。

 そもそも六花に近づいてきたのはあの男だった。
 H.O.P.E.に登録をすませたばかりの六花は初めてあの男を見たとき、その共鳴体の様が仇たる愚神と酷似していることに驚いたものだが、その当の彼が六花に手紙を送ってきたのだ。
 不器用な筆ながら心を尽くし、「とてもかわいらしい」と告げる手紙。その後、彼の過ぎるほどまっすぐな心根を知り、好感を抱いた。正直、かわいいと言われたことも多分に作用していたと思う。自分は“ちょろい”のではないかと悩みもした。それでも――惹かれる心を止めることはできなくて。
 雪娘のことを嬉しげに語る彼に、ただただうなずいた。自分は選ばれなかったのだと思い知りながら、精いっぱいの笑顔で。だから知っている。彼がどれほど雪娘を愛していたのかを。そのためにどれほどのものを振り捨てる決意を固めていたのかを。
 だから、雪娘との決戦を前にしたあの夜……

「簪、外したんだね」
 あけびの鋭い声音が、六花を追憶の淵より引き戻す。
「あれを贈った人は、妹分が優しいままであるようにって願いをかけてた。それを外した六花はなにを憎んでなにと戦うつもり? 彼を死なせたこの世界?」
 その問いは、六花の喉元に突きつけた切っ先。
 いずれ道を分かつことはもう互いに納得したことだ。しかし、たとえ色は違えても、互いが互いへ結んだ情の糸は確かに在り、あけびと六花の心の間に張り詰める。
「……愚神を、滅ぼします。ただ、それだけ……です」
 ほかになにひとつ残っていないから、それだけを為し、成すばかり。
 と。抜き手を見せぬフォークさばきでケーキを口まで運んでいたマイヤが、低く抑えた声音を割り込ませた。
「彼と今のあなたは同じよ。受け入れることのできない現実に目を眩ませて、見えるはずのものに目を向けることもなく、我欲を突き通そうとしている」
 言いながらも、今の六花には届くまいと思う。決意とは心を縛り上げる縄のようなものだ。それにこだわるほど絡め取られ、まさに自縄自縛を為す。
「私たちはあなたにそんな道を進ませたくなかったから、主義を曲げてでも守ろうとした」
 けれど、無駄だったのかしらね――最後の問いをため息に紛れさせ、マイヤは吹き散らした。その答は六花にいつかという日が来たとき、結果として示されることなのだろうから。

 ナイチンゲールは無言を保っていた。この場に限っては聞き役だからではなく、なにを言えばいいのかがわからなかったのだ。
 六花のことは妹だと思っている。しかし、あの男への恋情に突き上げられるまま駆け、叶わぬ想いの底で絶望した六花へ、なにひとつしてやれなかった。そう、結果としてあの男を死へ追いやったH.O.P.E.からも、六花の小さな体へ押し寄せた周囲からの心ない言葉からも守ってやれぬまま、ここまで来てしまった。
 H.O.P.E.はそうするしかなかった。まわりの人たちも言わずにいられなかった。そして私は無力でしかいられなくて……いつもそうだ。わかってるだけでなにもできない。彼のことも六花のことも、見てただけ。
 でも、今こそ示さなくちゃいけない。
 六花を独りにしないって、伝えなきゃ。
 なのに私、なにを言えばいいのかわからないんだ。だから。
 優しさよりも強さを込めて、ナイチンゲールは六花に抱きついた。
「……ん、ナイチンゲール、さん……?」
 驚いた六花が細い声をあげるが、ナイチンゲールは放さず、離れない。
 守れなかった私が今さら自分のほうに抱き寄せるなんてできない。でも、六花をもう独りのままにしてなんておかない。傷つくままでなんかいさせない。今はこれが精いっぱいだけど、きっと私が六花に新しい希望を示すから。
 ――本当はね、なんだってするって言うべきなのかもしれないけど。妹の恋人にだけはなれないからさ。
 わけがわからぬまま抱きしめられる六花。
 そこへ、今ようやくブラックシュークリームを飲み込んだリーゼロッテがマロンココアをぐいーっと呷り、ぷはー。
「愚神を皆殺し! リーゼは氷鏡に大賛成だ! 愚神なんて全部ブッた斬ればいい!!」
 思いっきり声を張った。
「そうね。消滅の危機は免れたことだし、落とし前はつけないと」
 これは本当なら語らずにすませるはずだった事実。
 あの男が死に、遠からず消えて失せるはずだったレミアとリーゼロッテだったが、“猿”の親友たる底抜けに気のいい男が力を尽くしてそれを止めてくれた。
 なぜそんなことを? 当初のレミアはそう思ったものだ。しかし、言葉ならぬ気のいい男の背が閉ざされていた彼女の眼を開き、この世界にて結んだ幾多の縁の糸、その強さに気づかされた。
 だからわたしは生きてみようと思ったのよ。自分を曲げてでも応えてみたいって。
 思いの香たゆたわせるレミアの言葉に驚く者がある中、あけびはほろりと笑んだ。
 あの男は幸せだった。レミアとは同情で結ばれたと雪娘に語って二世の誓いを振り捨て、最期まで自分勝手を押し通したあげく、死に場所を選んで逝ったのだから。
 その身勝手な幸せのせいで多くの者が傷つけられた。レミアはもちろん、リーゼロッテや六花、ある意味では雪娘さえも。だからこそ、その誠実の皮をかぶった不誠実を美化することだけは赦さない。
 しかし、その果てにレミアとリーゼロッテは消滅を免れたという。まさに数多の不幸を吐き出したパンドラの箱の内に残された、唯一の希望を見たように思えてならなかった。
「そっか」
 万感を込めて、あけびはただひと言を紡ぐ。
 今日がレミアとの最後の餐になることを覚悟してきた。あけびが知るレミアであれば、あの男のライヴスと共に消えることを望むだろうから。
 それはあけびも同じだ。あけびの愛する少年が先に逝くのなら、最期の時まで彼のライヴスを抱いたまま消えてなくなりたい。
 でもレミアは、いろいろな人と結んだ絆を捨てないって決めたんだね。
 それがなによりもうれしくて。同じ英雄として、同じ女性として、同じ恋情を心に灯した者として、言祝ぐ。
 そんな中、仁菜はナイチンゲールとその腕の内の六花へ語りかけた。
「六花さんの苦しみがわかるなんて言えません。でも、私はあの人にもらったものがありますから。だって私がオルリアに手を伸ばせたの、あの人の愚神と共存したいって夢に勇気がもらえたから――って、もちろんなっちゃんがいてくれたからでもあるんだけど!」
 仁菜は六花にやわらかな目を向け、薄笑みを傾げた。
「あの人の拓いてくれた道があるんです。あの人はいろいろまちがえちゃったんだと思いますけど……それを理由にしてその道を閉ざしたくないから。私は前に進みます」
 仁菜は自分の言葉を噛み締めて、あわてて奥歯から力を抜いた。噛み締めてちゃだめ。話さなきゃ。みんなの心は傷ついて、閉じちゃってる。それを癒やして開くのが私の仕事だよ。そうだよね――
 ここにはいない第一英雄の名を胸の内で刻み、仁菜は大きく息を吸い込んだ。さあ、バトルメディックとして、為すべきを為そう。
「私はあの人みたいに一途じゃなくて、大切なものがたくさんありすぎて。だからきっとまっすぐ突き進んだりはできないけど……絶対止まりませんから。私たちのやりかたで、歩きかたで、あの人が行けなかった先を拓くんです」
 私ではなく、私たち。その言葉が仁菜と英雄を指していることは明らかだ。いや、ちがう。そうじゃない。仁菜はきっと、この場にある全員を指している。これは彼女の決意表明であり、皆に先へ行こうと伸べた誘いの手。
「氷鏡」
 仁菜のとなりから六花へ手を伸べたのはレミア。その赤き瞳は王女の威厳と同じ男を失くした者への共感――慈愛と呼べるほどのあたたかな光を湛えていた。
「邪英に堕ちたわたしがあなたを貫いたこと、あらためて詫びるわ。その上で聞いてくれる?」
「……はい」
「ヘイシズとの戦いで氷鏡がしたこととその後のこと、責める者がいるのは知ってる。でもね、心配する者もいるんだってことだけは忘れないで」
 仁菜を見やり、次いでナイチンゲールを見やって言い。
「厳しい言葉を口にしながら、氷鏡の先を案じる者もね」
 あえて振り向くことなく、目を閉ざして言う。
「それに氷鏡がそうしなくちゃいけなかったのは全部、あの莫迦猿のせい。しかも猿は今ごろ氷雪地獄の底で雪娘と幸せに過ごしてる――わたしがそう思い込みたいだけなんだけど、でも。そんな奴にいつまでも縛りつけられるなんて、莫迦莫迦しいことよ」
 六花にはレミアの言葉が、自分に聞かせるためばかりでなく、レミア自身へ向けられているように思えてならなかった。
 思うからこそ、六花は耳を澄ます。レミアが語る先になにがあるものかを聞き逃さないために。
「氷鏡が世界を憎むならそれでいい。だってあいつならきっとこう言うもの。信念を貫き通せって。だけどわたしは先へ行くわ。そうするんだって、このわたしが決めたんだから」
 自らの決意を貫き通す。それを告げてレミアはリーゼロッテのとなりへ戻った。
「始祖様。これ、すっごくおいしいの」
 かぼちゃのムースをひと口食べたリーゼロッテはくわっとその焦点定まらぬ赤眼を見開き、その忠誠を捧げる主レミアへ、新しいムースをたどたどしい手つきでサーブした。……当然というか必然というか、皿の上にぐしゃっと落ちて悲惨な有様を晒すわけだが。
「大剣だったら、うまくできるのに……」
 しょげるリーゼロッテから皿を受け取ったレミアは苦笑し。
「ありがたくいただくわ。あなたの忠誠といっしょにね。これからも変わらず側に仕えてちょうだい」
「! リーゼは始祖様の魔剣なの。すべては始祖様の、御心のままに、なの」
 それを呆と見つめながら、六花は思うのだ。
 六花は、どうしたらいいんだろう。六花にはなにができるんだろう。

 腕の内でとまどい、迷う六花を見下ろして、ナイチンゲールは心を決めた。
 そして彼女は六花から腕を解き、手を取って立ち上がる。
「持ちきれないくらいたくさんお菓子、取ってこなくちゃ」
 怒りと悲しみ、あるいは憎しみを語り、その先にある希望へ踏み出すための燃料が、まだまだぜんぜん足りていないから。

 一方、ふたりの背を見送ったあけびはコーヒーカップの向こうで息をつく。
 みんなが六花に見せてくれたのは希望。その希望が六花にも残ってるんだってこと、祈るよ。たとえもうあの簪をつけないって決めたんだとしてもね。
 あけびはあの日々を共に過ごした少女へ思いを寄せる。互いの心に残された一本の糸を伝わせて。届くや届かぬやは問うまい。答は六花だけが知ればいいことだ。
 正直、そう思えることが不思議だった。
 侍たらんことを志すあけびだが、その本質は忍。割り切ることも切り替えることも得意ではある。しかしながら、今までの自分であればきっと冷徹に見切っていただろう。
「――変わったわね、あけびちゃん」
 ふと、肘をついた手の甲に顎先を預けたマイヤが言った。
「懐が深くなったっていうのかしら。ほんの少し前までは女の子だったはずなのに、ずいぶん大人びたわ」
 大人の女そのもののマイヤに言われて、「え? え?」、困る。しかし、すぐに気を入れなおして背を伸ばし。
「いろいろ越えましたから。そのおかげかもしれないなって思います」
「主に彼と正式にお付き合いし始めたからよね?」
「――っ」
 せっかく整えた姿勢も表情ももだもだ崩れ、赤く染まる。
 付き合い始めてひと月が経ったのに、未だ冷静になれないのはおかしいのだろうか? それとも当たり前のことなんだろうか? 初めてのこととはいえ、これほどなにもわからないなんて思ってもいなかったのだ。
 そんな心情を正直に語れば、マイヤは静かにかぶりを振った。
「ワタシにもわからない。だって、こんなにも深く心を重ね合ったのは彼が初めてなんだもの」
 今ごろ役所で右へ左へ駆け回っているのだろう愛しい人を想い、マイヤは薄笑む。
「恋人から婚約者になって、いずれ夫婦になって……この恋の姿を表わす言葉が変わっていくのだとしても、彼がずっと恋してくれるワタシでありたい。そしてワタシも、彼にずっと恋していたいの。そのためにワタシはワタシを尽くす、そう決めているのよ」
 据わってるなぁ、マイヤさん。思いながらも、彼女の言葉のどこかに翳りが含まれている気がするのだ。ただ、それを訊くことは暴くことになる気もして、だからあけびはうなずくに留めた。
 あけびちゃん、訊かずにいてくれるのね。ごめんなさい。ありがとう。
 胸の内に安堵を漏らし、マイヤはアールグレイを満たしたカップを傾け、ベルガモットの薫香で舌を湿す。
 マイヤには英雄としてこの世界に顕現して一度も生理現象がないのだ。つまりそれは、子を宿す術がないということに他ならない。
 きっと彼はかまわないと言ってくれる。でも、それがわかっているからこそ告げられずにいた。言葉にしてしまった瞬間、ふたりで望むべき先が断たれてしまう気がして。
 私はこんなにも弱い。それを知られたくないから、なにもかもわきまえた大人のふりをして、したり顔で語ってみせる。
「私はあの人と並んで、同じ道を行きます。仁菜が言ったのとはちがう道だけど、向いてる方は同じ先だから迷いません」
 強く言い切ったあけびに今度はマイヤがうなずいて、思う。
 迷わずに先へ進めば私も変われるのかしらね。
 答を見つけられぬまま、彼女は美しく刈り込まれた庭園に視線を逃した。

 かくて場は本格的な食べモードへ移行する。
「始祖様、これもおいしいの。これも、これも、これも」
 針の飛んだレコードさながら「これもこれも」と連呼。レミアの前へべしゃりぐしゃりと菓子を積み上げるリーゼロッテである。
 リーゼロッテのおぼつかなさ過ぎるサーブは、正直なところ受けるレミアにとってありがた迷惑以外の何物でもあるまい。
 しかし、絶対に赦すことのできない男が死に、真の主にのみ使われる剣となった喜び、そして真の主のみに仕える悦びとに包まれた――端からは恭悦ならぬ狂悦にぶっ飛んでいるようにしか見えないのだとしても――ゴスロリ少女の献身という名の残念を振り払えようはずもなくて。
「始祖様が、喜んでくれるの、いちばんうれしいの」
 小首を傾げてキシィ、満面の笑みを見せるものだから、ますます振り払えなくなってしまうのだった。まあ、これもまたノブレス・オブリージュというものなのだろう。
 レミアは鷹揚にリーゼロッテの笑みを受けて。
「……それよりもリーゼ、招いてくれたナイチンゲールにお礼はしたの?」
 あ。リーゼロッテはととと、ナイチンゲールの横に立ち、ギチギチ口の端を吊り上げてみせた。もちろん、最高の笑みを浮かべているだけなのである。
「お菓子、みんなおいしいの。誘ってくれてありがと、なの」
「うん。私もリーゼロッテとレミアにこれからがあるんだって教えてもらえてうれしかった。ありが――」
「始祖様が先、なの。始祖様と、リーゼなの」
 忠義のこだわりは絶対なのだ。
「レミアとリーゼロッテのこれから、ね」
 言いなおしたナイチンゲールにキシシ。リーゼロッテはすさまじい笑みを残してレミアの元へ帰っていった。
「始祖様これもおしいしいの。これも、これも、これも」
 一同、レミアに少しだけ同情しながらフォークを繰り、カップやグラスを傾けるのだった。

 残される形となったナイチンゲールはあらためて場を見渡した。
 ここでさまざまな激情がぶつかり合った。
 ここでさまざまな思慕が重なり合った。
 そうできるよう、本来はこの店にない円卓を運び込ませてもらったのだ。左右に分かれてしまえば気持ちもそこで分かたれてしまうから。
 その一案は功を奏したか?
 内の英雄の問いに、ナイチンゲールもまた内でかぶりを振った。
『わかんない。我慢するなって言われて全部吐き出せるほどみんな単純じゃないと思うし。……思い知るよね。あの人の存在がどれだけ大きかったのか』
 ここに在る誰しもが、あの男を喪い、傷を負った。中には生きかたを変えざるをえなかった者がいて、生きる希望を見失った者もいて。
 結局のところ、人はそうそう抱え込んだものを置いてなどいけないのだ。
 でも、生きている内は進まなければならないから。少しずつ、砂をこぼすように抱え込んだものを置き去って、ひとかけらの思い出だけを持って先へ行く。
『今は辛いばかりの思い出だけど……いつか辛さが全部抜け落ちて、綺麗なだけの思い出になるまで、みんなでこうしてぶつけ合って、重ね合っていけたらいいね』
 今日という日は、その第一歩。
 これから幾度となく心を交わすための練習なんだと思うから。
「もう一周行こう! これくらいじゃまだまだ後悔できないよね!」
 ナイチンゲールは友を急かして立ち上がる。
 体重計のことは明日考えればいい。
 自分の無力だって明日嘆けばいい。
 今は皆で囲んだこの円と縁だけで、心をいっぱいにしよう。


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ナイチンゲール(aa4840) / 女性 / 20歳 / 紅琥珀のボーカリスト】
【レミア・ヴォルクシュタイン(aa3678hero001) / 女性 / 13歳 / 血華の吸血姫】
【リーゼロッテ・シュヴェルト(aa3678hero002)  /  女性 / 10歳 / カタストロフィリア】
【マイヤ サーア(aa1445hero001) / 女性 / 26歳 / 奇稲田姫】
【藤咲 仁菜(aa3237) / 女性 / 14歳 / 我ら闇濃き刻を越え】
【不知火あけび(aa4519hero001) / 女性 / 19歳 / たそがれどきにも離れない】
【氷鏡 六花(aa4969) / 女性 / 11歳 / 絶対零度の氷雪華】
イベントノベル(パーティ) -
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2018年09月12日

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