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『女神卓球 』
スノーフィア・スターフィルド8909

 私は“私”が知るスノーフィア・スターフィルドにはなれない。
“私”というおじさんの前世を持つ私――スノーフィアは、自らがたどりついた結論に愕然と膝をつき、そっと麦焼酎の空瓶を資源ゴミ置き場へ追いやった。
 飲んでしまうのはともかく、“私”の心が丸っと残されている以上、私は“私”であることをやめられない。そう、飲んでしまうのはともかく。
 しかしこのままでは落ち込む余り半ばどころじゃない勢いで引きこもり、某通販サイトのリカーコーナーを左から右へ一列分ぽちぽちしてしまいそうで……さすがにスノーフィアをそこまで堕としてしまいたくなくて。

 だから気分転換に旅立ってみた。

 ローカル線のロマンスシートに腰を下ろして数時間、幕之内弁当とペットボトルのお茶をお供に乗り切って。トンネルを抜けるとそこは雪国ならぬ温泉地だった。
 結構立派な駅の改札を、カードではなく切符でくぐって外へ出る。うん、9月の平日を選んだのは正解。葉はまだ赤みを帯びていないし、夏休み明けで人もまばらだし。これなら悪目立ちせずに温泉を楽しめるだろう。
 それに狭間の日取りだからこそ急な予約も無理なお願いも宿側に聞いていただけましたしね。こんなときは無職でよかったなって思います!
 普段は後ろめたいばかりの無職がこんなに輝くときがこようとは。
 スノーフィアはほくほく、駅前に一台だけ停まっていたタクシーへ乗り込んだ。


 話好きなタクシーの運転手にあいさつだけ憶えたフランス語――英語だと単語で斬り返される危険性があったからだ――を返してそのおしゃべりを封じ、スノーフィアは予約していた山上の温泉宿にチェックイン。
 ちなみに宿は、できる限り古びていて口コミの少ないところを選んでいた。人気がなければ人目もないだろうという計算である。それはどうやら当たったようで、湯治目的と思しきしなびたご老人方が数人、浴衣姿でぶらついているばかりだ。
「じゃぁ、夕方の4時までぇ、貸し切りでぇ」
 なんの動力で稼働しているのか不明な超ご老人の女将に言われ、スノーフィアは「アリガートゴザマス」、カタコトを作って笑みかける。
 荷物を置きに行った宿泊部屋は“少彦名神の間”。どうやら神道に伝えられるお風呂の神様の名前であるらしい。肝心の内装はまあ、推して知るべしだったけれども。

 けばが立って黄ばんだ畳にバッグを置いて、スノーフィアはさっそく貸し切った露天風呂へ向かった。
「……お風呂は思いのほかゴージャスですね」
 岩を組んで縁取った露天風呂は、普通の女性なら30人は入れるだろうか。今時の宿とちがって盗撮対策の壁などはないが、それだけに山からの景色が見渡せる造りである。
 ここへ来る前に体は洗っておいたので、迷わず澄んだ湯へ体を浸す。
 髪はタオルでまとめ、どちらも湯に浸らないようにしているのは、最低限のマナーとモラルである。
「ちょっと、熱いです」
 温度高めの湯は最初ぴりぴり肌を痛めつけたが、すぐに馴染んで心地よい刺激へと変わった。
「あー」
 と、思わず声が出た。
 スノーフィアの部屋の風呂は西洋風なので、脚は伸ばせるが浅い。こうしてゆったり、肩までつかるのは久々だった。
 混んでない時間を狙って銭湯へ行ってみるのもいいですねぇ。
 そんなことを思いつつ、あらためて景色に目をやれば、青葉を茂らせた木々の向こうに同じような青い山々が見えた。きっと冬を越えた新緑の時期や、秋深まる紅葉の時期には多くの観光客で賑わうのだろう――ここじゃない宿は。
「こちらはこちらで味があると思うのですけれどね」
 一応擁護してはおいたが、意味はないんだろう。なにせ夕食のメインは鮪の刺身だそうだから。山の恵み一切なし。
 おっと、これではせっかくの温泉の価値が下がってしまう。集中しよう、この湯に、景色に、気兼ねなくおんせんを独り占めにしている豪華さに。
「あー。このまま溶けてしまいそうです」

 温泉、10分で飽きました。
 考えてみれば当然だ。たったひとりで目的もなく湯につかっているだけの時間、楽しく過ごせるはずはない。
 加えて、ひなびた宿を選んでしまったがゆえにお土産コーナーもないし、午後の時間にやっているテレビ番組など通販がらみのものばかり。
 ようするに、暇。
「……」
 さっき時計を見てから3分しか経っていない!
「このままでは旅の思い出が凄まじく地味な黒歴史に!」
 スノーフィアはあわてて立ち上がり、部屋を飛び出した。


 宿の中をうろついて探し当てられたものは、自販機(お値段盛り盛り)とビデオカード(セクシーなチャンネルが見れるやつ)と、遊技場に置かれた卓球台。
 卓 球 台 !
 選択肢はすでにこれのみな感じだが、だからってひとりでどうすればいいというのだろうか? 壁打ち? ああ、壁打ちしかないのか。こうなれば……やってやろうじゃないか。
 卓球台の向こう側を壁につけ、ラバーがべろべろするラケットを構える。
 前世、社員旅行で鍛えた“私”の腕前を見せてあげます――私に!

 壁に向けて、玉を軽く打つ。
 跳ね返ってきた玉をまっすぐ打ち返す。
 でも、玉も台もラケットすらも歪んでいるから、軌道はあっさり左右へ散って、結果的にスノーフィアも左右へ走らされることになる。
 スノーの身体能力がなければラリーできませんね、これは。
 息ひとつ乱さずに打ち続けるスノーフィアは、ここに来て自分の能力の高さを再確認した。やっぱりスノーはすごいです!
 ここまで育て上げたのは他ならぬ“私”だ。思わず娘の活躍に涙する父親みたいな心情へ陥りかけた、そのとき。
「やべぇ。まじまべぇ」
「今どきゃやべぇじゃねぇで、まじまんじっちゅうんらろ」
 死語――死語もすでに死語なのだが――の域なことを語りながら、ご老人たちが遠巻きにこちらを伺っていることに気づいた。
 かなり深刻にはずかしいですけど……でもまあ、見られてるだけなら問題ないでしょうか?
 それよりもラリーを途切れさせたくない。もっとスノーフィアの能力を感じたい。浴衣の衿も緩んでいないし、背中を見られるくらいは――
「パツギンさんピンポンなうらて」
 ――まさか、動画撮られてますか!?
 鍛え抜いた知覚力を動員して背後を感知すれば、最新型のスマホのカメラをこちらへ向けているおじいさんが見えた。
「おー、ばずってるろ。くさはえるてー」
 しかも拡散されてます! バズるって、フォロワーさんいったい何人いらっしゃるんでしょうか!? ってゆうか、今時のご老人はハイテク(死語)ですね!?
 いやそんなことよりもやばい! JK的やばいじゃなくて、本気でやばい! 万が一有名になってしまったりしたら、話しかけられてしまう! そうしたらフラグも立ちまくるだろうし、この前夢で見た修羅場がリアルになるかもだ!
 あああああああああ。

 スノーフィアは部屋に引きこもり、もそもそと夕食をいただく。
 握手を餌に言霊を受け入れさせ、動画は削除してもらった。が、世界に拡散してしまったスノーフィアの背中を誰が見て、フラグを立てるかはわからない。
 やっぱり自宅がいちばんってことですよね……
 やけに甘ったるいひじきの煮つけを噛み、次いで鮪の赤身を口に入れる。このシャリ感は、そう。
「まだ凍ってます!」
 そんなわけで今日、スノーフィア史には地味ならぬど派手な黒歴史が深々と刻まれた。
「飲まなきゃやってられませんー!!」
 すべての後悔を明日に先送り、お高い自販機のビールを缶のままぐいーっと呷るスノーフィアであった。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【スノーフィア・スターフィルド(8909) / 女性 / 24歳 / 無職。】
東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2018年09月13日

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