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『聖なる怠惰』
満月・美華8686


 百万円では買えないものも、一千万円あれば買える。一千万円で手が出なくとも、一億円あれば。
 すなわち世の中、金が全てなのである。
 したり顔でそう語る人々は、何もわかっていない、と満月美華は思う。
 自分ほどの金持ちになれば、わかってくるものだ。金銭では絶対に手に入らないものが、世の中には間違いなく存在すると。
 例えば、才能。
 祖父は言っていた。お前には黒魔術の才能がある、と。
 魔法とは、才能・素質のない者は、たとえ生涯を費やしたところで絶対に身に付ける事が出来ない技能であると。
 魔法に限らない。いかなる分野においても、才能を金で買う事など出来はしないのだ。
 例えば、命。
 美華の体内では、いくつもの命が胎動している。何度でも死ねる。何度死んでも、この無数ある命が1つ2つと減ってゆくだけだ。
 減った命を、金で補充する事は出来ない。仮に一兆円あったところで、命1つを増やす事すら不可能なのである。
 金では買えないものを無数、自分は手に入れ、体内で育んでいる。
 自分ほど幸せな者が、この世にいるだろうか、と美華は思う。
 そして自分はもう1つ、手に入れたのだ。金では決して手に入らないものを。
「まさか……もう1度これを着られる時が、来るなんて……ね」
 ぼんやりと光り輝く魔法陣の中央で、美華は軽やかに身を翻した。
 形良い胸の膨らみ、優美にくびれた胴から豊麗な尻にかけての魅惑的な曲線。
 そんなボディラインをぴったりと際立たせる青のワンピースが、ひらりと舞った。
 もはや2度と着る事は出来ないであろう。いや、もしかしたら……と一縷の望みと言うか未練を込めて、クローゼットの奥に封印しておいたものだ。
 これを着るための体型を、取り戻した。
 体内に蓄えた無数の命は、そのままにだ。
「……っと、いけない。自分にうっとりしている場合じゃないわ。問題は、これがずっと続くかどうかなんだから」
 1つ咳払いをしてから、美華は魔法陣の中央で目を閉じた。
 失われていたものを取り戻した喜びに、自分の美しさに、酔い痴れる。そんな邪念は、ひとまず排除しなければならない。
 意識を、魔力を、集中させてゆく。
 これは自分にとって、ダイエットなどよりもずっと楽な、黒魔術の修練なのである。


「……良し。これでいける、はずよ」
 美華は目を開き、魔法陣を、そして部屋を出た。
 魔法の実験に使っている、地下室である。かつてはここで、祖父から黒魔術を学んでいたものだ。
 階段を上って行くと、満月邸の中庭に出る。
 つい最近までは当然、階段の上り下りなど不可能な身体であったから、エレベーターを増設してある。祖父が存命であれば、怒られているところであろう。
 この階段を使うのも、本当に久しぶりだ。
「ああ夢みたい、階段を上れるなんて……」
 美華は中庭に出て晴天を仰ぎ、喜びの声を発した。
 踊るような足取りで中庭を歩き抜け、母屋に入る。
 目指すは、三階の自室である。
 化粧をして、様々な小物をハンドバッグに詰め、街に繰り出すのだ。
 階段を上って自室に向かおうとしたところで、その足取りが重くなった。
 手足が重い。心臓が、肺が重い。呼吸が苦しくなってくる。
 身体が、重い。
 階段の踊り場で、美華は力尽き、転倒した。
 ワンピースが破れ、凄まじい量の肉が溢れ出して広がった。
 服は買えば良い。美華はまず、そう思った。
 金では買えない力が、まだ完全には自分のものになっていない。
 肥満体に、変化した、と言うべきか。戻ったと言うべきなのか。
 つい今までの、お気に入りのワンピースを着ていた体型が、「変化」の状態であったのか。
「本当の自分なんて、わからない……なぁんていうのも、したり顔で言っちゃいがちな台詞よね……」
 巨大な頬を床に密着させ広げたまま、美華は呻いた。
「最初は……魔法陣から出たところで、こうなっちゃった。2回目は、地下室の階段の途中……その次は中庭で力尽きて、今回は……ここまで、保った」
 おぞましい「無形の落とし子」たちの怠惰なる主を思わせる巨大な肥満体で、美華はのたりと起き上がった。
「着実に……大丈夫、修行の効果は確実に出ているのよ、私」
 地下室に戻り、ひたすらに修練を続ける。それしかない。
 この「変化」の魔術を、確実なものにするのだ。
「お金で買えるものなんて、もう欲しくないわ……」
 のろのろと、美華は階段を下り始めた。階段にしがみつき、這いずるようにだ。
 巨大なナメクジか何かが、ゆっくりと転げ落ちる様、にも見えてしまうだろう。
「もっと、もっと、命が欲しい……何度死んでも尽きる事のない命……それを1つも失わないまま、さっきまでの身体を維持していたい……強欲? 自業自得? ふん、笑いたければ笑うがいいわ」
 誰かが、今の自分を見て笑っている。
 美華は何となく、そんな気がしたのだ。


「笑いはしないわ……いや、笑うけれど」
 確かに、私は笑っている。だが、これは嘲笑ではない。
 だから満月美華は、安心すればいいと思う。安心して、もっともっと面白いものを私に見せて欲しい。
 私が彼女に、邪神としての「変化」の術を授けてやったのは、深い考えあっての事ではない。戯れである。
 戯れは、楽しくなければ意味がない。
 そして私は今、少なくとも、つまらない思いはしていない。
 満月美華は、予想以上の玩具に育ってくれた。
「さて次は……どうしよう、かしらね?」
 私の独り言は無論、彼女には聞こえていない。
「何か血生臭い事をさせてみるのも、楽しいかも知れないわ。ねえ満月美華? その数多ある命を……1つか2つは失ってみる覚悟、持てるかしら」


登場人物一覧
【8686/満月美華/女/28歳/魔女(フリーライター)】
東京怪談ノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2018年09月25日

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