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『士道の真 』
不知火あけびjc1857)&不知火藤忠jc2194

 路を挟んで並ぶ八重桜。
 その蕾を揺らす風が、軽い。
 日暮の姓を改め不知火を名乗るようになった仙寿之介は顔を上げ、目を細めた。
 時が近いか。
 袂に収めていた腕を抜き、着流しの上体をはだける。人界との大戦時よりも少し肉が増えていた。最近始めた菓子づくりの副作用もあろうが、やはり飯のうまさが最大の原因で問題だ。
 と。
「仙寿様」
「ああ」
 振り返らずに応えると、その背にふわり――ぬくもりが添った。
 ぬくもりの主は不知火あけび。彼の妻であり、祝言を機に不知火の当主を継いだ女性である。
 銀鼠の留袖をまとい、落ち着いた“新造”ぶりを見せる彼女だが、三つ子の魂なんとやら。小娘のような振る舞いが抜けきらない。
 いや、それでも頭から突っ込んでこなくなっただけ、大人びたか。
 幼きあけびの顔を思い浮かべ、仙寿之介は薄笑んだ。あのころにはまさか、自分があけびと夫婦になるなど思ってもみなかった。
「体を絞る」
「わかった」
 あけびは聞き返さない。仙寿之介の万感を察すればこそ、言わせなくなかったのだ。
 ここはこちらの世界と若きあけびと仙寿之介の在る世界とを繋ぐ路。しかし、その奇蹟を為すアウルはひどく薄らぎ、かすれていた。これはすなわち、路が閉ざされる予兆。あとわずかな時をもって、ふたつの世界は完全に分かたれるのだろう。
 だからこそ仙寿之介は急いている。若きふたりと刃を交える機を失わぬうちに、大切なものが在るこの世界へ戻り来ることができるうちに、行かなければと。
「手伝うからね」
 きっぱりと言い切ったあけびに、仙寿之介は眉尻を下げて。
「山にでも籠もるつもりだったのだが……」
「そういうのは独身の内にさんざんやったでしょ? それに少しくらい鈍っててもらわないと」
 婚前に交わした不殺の誓い、仙寿之介とて忘れてはいない。若き自分を生かし、導くためには、あまり剣士たる心を研ぎ澄ましてはならぬというあけびの言ももっともだ。しかし。
「あちらがどれほど修練を積んでいるかわからん。しかも蕾ひとりではなく、あけびもついている」
 剣ばかりであれば今の自分でも十全に対処できようが、相手は忍術どころか得体の知れぬ――と言うと失礼かもしれないが――業までも使う。読みを違えれば途端につけ込まれ、土をつけられかねないのだ。
「それを余裕でいなし、峰で打ち据え、高笑ってやるのがおまえの役目だろうよ」
 桜の影から顔を出したのは、仙寿之介の無二の友である不知火藤忠だった。
「なんだそのいやらしい有り様は」
「かがみ込み、子の手を届かせてやるばかりが大人ではないということだ」
 すまして語り、藤忠が桜並木の中央へ立つ。そして仙寿之介へ無手のまま薙刀の下段構えを向けてみせ、ほろり。
「人が追うのは背ばかりではない。垣間見た影もまた目ざす先となるんだよ。むしろ自らの理想が映るだけ、ひたむきにな」
 俺は今も追っているぞ。おまえの背が落とした影を、飽かずにだ。
 言外に含めて構えを解いた藤忠に、仙寿之介はひとつうなずきを返した。おまえがそうあってくれるからこそ、俺は有情をもっておまえを蹴り落とすことができる。それをして見限られることはないと信じられればこそだ。
「甘えてもいいものか。二度と追いつかせてやれぬ俺が蕾に」
 三度会っただけの、未熟な自分に。
「いいと思う。こういうのって相身互いだしね!」
「いいだろうさ。これも貴重な体験というやつだ」
 それぞれの言葉で仙寿之介の背を押すあけびと藤忠。
 甘やかされているな、俺は。そう思いながら、仙寿之介はうなずいて。
「……八重の桜が開くそのときに立つ。それまでは世界も待ってくれるだろう」
 この言葉を聞いたあけびは力強く拳を握り締めた。
「じゃあ、減量メニューとかしっかり考えないとね。お酒は、うん、私もがんばって、断つ、よ?」
 強かったはずの力を損なっていくあけびの拳にため息をついてみせ、藤忠は肩をすくめる。
「なんとも不安な物言いだが、俺も付き合おう。俺たちのせいで仙寿を鈍らせてしまっては、あちらのあけびにも申し訳ないからな」
「頼む。皆と囲む食卓は殊の外箸と杯とを進ませるからな」


 いくつかの剣道のオープントーナメントで優勝を得た仙寿之介だったが、やはり剣道と剣術のちがいはいかんともし難かった。
 互いにそれを確かめた剣道界と仙寿之介は、互いに認め合った上で一定の距離を保つ、言わば近所づきあいの関係に落ち着くこととなっている。
 とはいえその剣はいくらかの剣道家の胸へ着実に響いたし、実戦剣の有り様に心打たれた古流剣術家もあり、仙寿之介が不知火の道場を借りて開いた剣術道場は真摯な剣士たちの集まりとして機能し始めていた。
「軌道によらず、剣の勝負は一刀で決まる。その一度きりの機を生かすには、踏み込んだ際ににどれだけ相手を崩せるかが重要になる」
 仙寿之介は剣士たちに自らの踏み込みを見せた。つま先の角度をあえてずらし、相手が思わぬ角度から剣を斬り上げる。踏み込んだと見せて後ろに置いた足をたぐり、横へ踏み出しながら斬り払う。体勢を変えぬまま軸足だけを換え、逆をついて斬り下ろす。すべては一刀で必殺を為すための準備であった。
 ちなみに、この道場では弟子と呼ばず、師と呼ばせないことが唯一の決まりだ。仙寿之介が剣士たちへ技を教えるばかりでなく、仙寿之介もまた剣士たちから技を学んでいるからだ。
 もちろん、初めからそうであったわけではない。ただ己の技を、身につけられるだけ持ち帰らせればよいと思っていた。が、教えることによって己の感覚で学び取ってきたことが明確化されるにつれ、もったいなくなった。それぞれの流派に積み重ねてきた理があり、それぞれの人に最適化された技があることに気づけばこそ。
「次は皆のやりかたを見せてくれ。その上で剣道と剣術、それぞれに生かせる技を考えよう」

「剣は無尽で、だからこそおもしろい」
 今日の稽古を終えた仙寿之介へ湯で湿らせたタオルを渡してやりながら、あけびはやわらかく笑んだ。
「思ってたのとちがうけど、いい場所になったね」
「ああ。教えるよりも教えられることのほうが多いのは、道場主としてどうかと思うがな」
 あけびはかぶりを振る。そうじゃないよ、アディーエ。
「仙寿様がいるから、あの場所がある。それってすごく大事なことだから忘れないでね」
 なんとも腑に落ちぬ顔の仙寿之介だったが――それでいい。教えを押しつけることなく人を生かし、人によって自らを生かす。それがひとつの活人剣の有り様だと思うから。
 今のアディーエなら護れるもの。自分も人も、それこそ若い私とアディーエも。だからそれでいいし、それがいいんだよ。
 彼女の言葉を継いだのは、酒代わりの茶をすすりつつ、なつかしげな目を空の道場へ向ける藤忠だった。
「おまえの稽古を見てると思い出すな。撃退士だったころ、依頼の前には額を突き合わせてああでもないこうでもないと戦いについて語り合った」
 年齢も性別も関係なく、誰もが対等でいて互いを敬い、力を合わせてひとつの困難へと向かったあの久遠ヶ原学園で過ごした日々は、わずかにも褪せることなく彼の胸の内に在り続けている。
「あちらの仙寿とあけびもそうしているんだろうな。俺たちのように過去じゃなく、今このときに」
 友の感慨へ、仙寿之介は鷹揚に言葉を返した。
「語る代わりに刃を尽くそう。問うも問われるもその内で交わす。果たして残せるものがあるかは、さすがに知れぬがな」
 藤忠はうなずき、胸中にて独り言ちる。おまえはそこに在るだけでなにかを示し、先へ導くだろうさ。俺やあけびがそうだったように。
「それにしてもだ。わずかな間に変わったな、仙寿」
「俺が? 確かに体は絞れてきたが、それもあけびや凜月のおかげだしな」
 藤忠の嫁である不知火 凜月の名を出す仙寿之介。常と変わらぬ生活の中で無駄な肉を削ぎ落とすことができたのは、食事の支度を担ってくれるふたりの尽力があってこそだ。
 が、そうではないと藤忠は笑い。
「そういうところさ。己についてを口にするばかりだったおまえが、今はいつも誰かの姿を心の内に据えて語っている」
 そうか。仙寿之介はとまどいと同時に得心もした。孤高気取りだった俺を和の内に引き下ろしてくれたのはおまえたちだ。
 そのことにより、もしかすれば剣士たる純然を失ったのかもしれないが、だからといって弱くなったとは思わない。逆だ。この支えが導いてくれる。独りで背伸びしてなお届かぬ高みへ。
 ――蕾、おまえはあけびとふたりがかりかもしれんが、俺は妻と友らの数人がかりでかかるぞ。いや、この俺に交わってくれたすべての者たちと共に。
 衣と共に心を正し、仙寿之介が息をついたところで、また藤忠が口を開く。
「仙寿も順調に仕上がっているようだし、期日も近い。そろそろもらった土産への返礼を考えるべきじゃないか?」
「なに?」
 せっかく整えた心が、がらりと崩れた。


「時期は外してるけど、桜餡のおまんじゅうとかよさそうだよね。あ、きな粉まぶしたよもぎ餅は?」
 割烹着で和装を鎧ったあけびが台所をぱたぱた行き交い、材料を集めていく。
「季節にこだわるつもりはないが、意図は含ませてはおきたいところだな」
 こちらは着流しの袖をからげた仙寿之介である。
 語ることが億劫なわけではないが、さすがに若き自分やあけびへ蕩々と語り聞かせるのは気恥ずかしい。そも、伝えるべきはこの守護刀「小烏丸」に託す心づもりだ。
「あけびはなにか伝えたいことがあるか?」
「ふたりでずっとなかよく! あんまりケンカとかしないで、できれば誰も殺さないで、なんだかしみじみ幸せで」
「ふたりなかよく、だな」
 積まれていく言葉をさらりとまとめ、仙寿之介は隅で見学を決め込んだ藤忠へも問うた。
「藤忠は? と、おまえは文を書くんだったか」
「いや、いざとなったらなにを書くべきかわからなくてな。後にした世界を思い出させるのも無粋というものだろうし。端で俺の結婚を匂わせてくれればありがたい。いい嫁をもらって幸せにやっていると」
 予想外の難題を押しつけられることになった。
 軽く後悔しつつ、それでも仙寿之介は考えて――
「蛤はどうだ? 蛤の殻は番(つがい)でなければ噛み合わん。祝言でも定番の具材ではあるから、これならば諸々を匂わせられるだろう」
 語るにつれ、イメージが明確化されていった。幸い、不知火では桜餅のため、毎年桜葉を塩漬けにしている。戯れに八重桜の葉も漬け込んでいたはず。
「あけび、葛粉を用意してくれ」

 夜も更け、藤忠は愛する妻の元へと帰った。
 それでも仙寿之介とあけびは飽きることなく試作を重ね続けている。
「餅がやわらかすぎると形が崩れちゃうね……」
「しかし歯触りを考えれば固くはしたくない。含みを伝える以前に、人の口へ入るものだからな」
 餡のほうはすでに納得のいくものができあがっている。あとはそれを包む貝殻だけなのだが、シンプルなだけにごまかしが利かず、難しい。
「アディーエが変わったって姫叔父は言ってたけど、ちょっとちがうよね。なんていうか、拡がった感じ」
 鍋に向かう仙寿之介を見やり、あけびが喉の奥を高く鳴らす。
「自分ではわからんが、そんなものか?」
「うん。昔は私と姫叔父のことしか見てなかった目が、今はいろんな人のこと見てる。アディーエはきっと、どこかの誰かじゃなくて、みんなを救う刃になる」
 剣に生きるのならば、己を確と持て。揺らがず、恥じず、貫け。士道とはそれをして己を捨て、人を生かす道だ。ゆえに誰かを救う刃となれ。誰かを救う刃であれ。
 侍たるを志すあけびへそれを語ったのはいつの日だったか。今思えば自分にまるでできておらぬことを、よくもまあ得々と語り上げられたものだ。
 しかし。
「ひとつだけ、あのときの言葉を正しておこうか。己を捨てず、なお人を生かす道こそが士道――胸に刻もう。これはおまえが俺に気づかせてくれた真だ。けして忘れはしない」
 練り上げた葛餅を氷水に浸し、仙寿之介はあけびへ向きなおった。
「しかし俺は憶えが悪いのでな。忘れ果てぬうちにおまえの真、この身へ刻み込んでくれるか」
「……いくらでも!」
 恥じらいを威勢に換えて、あけびは仙寿之介の胸へ飛び込んでいった。


「行ってくる」
 あけびと藤忠に見送られ、仙寿之介は八重桜の狭間へ向かう。
 左に小烏丸を佩き、右手に風呂敷包みを携え、多くの“人”に支えられた足をまっすぐに踏み出した。
 

━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【不知火あけび(jc1857) / 女性 / 20歳 / 明ける陽の花】
【不知火藤忠(jc2194) / 男性 / 26歳 / 藤ノ朧は桃ノ月と明を誓ふ】
【不知火 凛月(jz0373) / 女性 / 19歳 / 兎ノ姫は藤ノ籠と瑠を繋ぐ】
【不知火仙寿之介(NPC) / 男性 / ?歳 / 天剣】
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2018年09月25日

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