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『奇蹟の必然 』
ソーニャ・デグチャレフaa4829)&マルチナ・マンチコフaa5406

 量子型マテリアルコンピューターが、作業の終了をマルチナ・マンチコフの脳へダイレクトにへ告げた。
 彼女の外づけ脳は優秀だ。わずか数分で百名の傭兵のデータを洗い、その預金通帳へいくつものゼロを刻み、彼らの遺言書を各国の法制度と照らし合わせて相続税等々の支払い手続きを済ませ、最後に彼らの家族の元へダイレクトメールが届くよう手配し終えた。
 命を切り売りする傭兵に適用される保険制度は存在しない。それだけを見るならば、彼らの命の価値とは雇用時に支払われる金と同等ということになるだろう。だからこそ、思ってしまうのだ。
「こんくらいのもんなんやなぁ」
 まとまった額を即金で手に入れたい事情を持つ傭兵の命を買った。
 たった数人のライヴスリンカーを生かすため、百の命を遣い潰した。
 すべては祖国カルハリニャタンを躙る愚神を屠り、その大地を取り戻すがために。
 後悔はしていない。その資格もない。
「……だからや、あんたも湿っぽい顔しておくやみ言いに行くとか言い出さんといてや、デグチはん」
 省スペースが売りのはずのコンピュータ用液浸冷却ボックスに塞がれた大使執務室。その応接ソファの真ん中に座す小さな影へ、マルチナは背中越しに言葉を投げつけた。
「重々に承知している。贖いは言の葉ならぬ金貨にて為すべし。まさに沈黙は金というやつであるな」
 デグチはん――ソーニャ・デグチャレフはおもしろくもなさげに口の端を上げる。
「せや。クチかっぴらいてピーピー鳴いてええんは、置いてかれた家のもんだけやで」
 平らかに応えるマルチナだったが、ソーニャの心情は理解できているつもりだ。指揮官として百の死を見送った、見た目幼女の慟哭も。
 ほんまのとこ、うちひとりでしょいこむ罪や。巻き込んでもうてすまんかったな。でも、あんたはあんたで肚ぁくくらなあかんよ。次は、うちらの番なんやから。
 マルチナの胸中で紡がれる述懐に気づくことなく、ソーニャはぽつりと口を開いた。
「軍費は足りているのか?」
「足りてるて思うか?」
 言葉尻を追い越すように重ねられた問いへソーニャは応えられず、重いため息をつく。
 戦争には莫大な金がかかる。しかも鉄や火に交換されたそれは、なにを生み出すこともなくただただ消えていくばかりのものなのだ。共和国にとっては唯一無二の大義なれど、他国民にそれを支える義理はなく、投資家が食いつく益もない。
「とりあえず訊いておきたいのだが、小官の純潔ひとつにどれほどの価値がある?」
「売り方やけどなぁ。ファン相手なら円で数百万、オプションつきで裏オークションしたら数千万くらいやないのん?」
「空対地ミサイル一本分がせいぜい、というわけだ」
 アイドルとしてある程度の知名度を持つとはいえ、命を保って身売りする程度では、初手の一撃にすらまるで足りないわけだ。
「とはいえ、命を投げ与えられるはずもない」
 最期の瞬間まで戦場であがいてもがき、勝利へ這い寄ることことが軍人の誠実。それ以外は足元へ積んだ命への対価となりえないのだから。
 と。薄暗い沈黙に浸るソーニャの背を、マルチナは威勢よくぱしんと叩き。
「結局のとこ、することないから余計なこと考えるんとちゃう?」
 それは確かにそうだ。
 ひとりきりの情報部員は現在、ソーニャの友たるライヴスリンカーと共に参謀本部を立ち上げて、戦場より持ち帰った情報を分析、決戦に向けた作戦立案を行っている。祖国奪還軍の長であるソーニャの元へ案が上がってくるまでには、まだ日にちがかかるはずだ。
「一応、中間レポートはこっちにも来とるけどなぁ。説明しよか?」
 マルチナの申し出にかぶりを振り。
「いや、小官の職務は盗み見ではなく、号令だ。行け、戦え、死ね、そして」
 生きよ。言えなかった言葉を、ソーニャは冷めたインスタントコーヒーで胃の奥まで流し込んだ。
 兵を生かすためにこそ指揮官は己を尽くす。それが甘ったるい感傷なのだとしても、今度こそやり遂げてみせる。
「次は少数精鋭の電撃戦で行くしかないやろな。そんでも“大口”の歯ぁ叩き折る用の花火は惜しめんし、百億は欲しいとこや。早いとこカネの算段つけとかんとなぁ」
「アイドル活動の再開を。些少ながら貢献はできよう」
 ソーニャとしては肚を決めて切り出した言葉を、マルチナはぴしゃりと遮った。
「やめとき。戦闘モードの軍人が笑ったとこでおっかないだけやで」
 う。ソーニャは言葉を喉の奥に詰めた。確かに心は未だ戦場に在る。そんな状態でスポットライトを浴びたところで、浮かび上がるのは血のにおいと硝煙の靄くらいなものだろう。
「しかし、することもできることもないとなれば、小官はいったい……この国では血を売ることすらできぬのだぞ」
「献血やんな。デグチはん体重は余裕でクリアやけど、歳足りてへんしね」
 最少量となる200ミリリットルの献血でも16歳からと定められている。そしてなにより、献血は売血ではないので対価は得られない。
「できたら血ぃ売るよか媚び売ってほしかったとこやけどな」
 しみじみと息をつくマルチナ。
 しかし、今ソーニャの意識をステージモードに引き下げられるとしても、それを実行するつもりはなかった。意識を戦場へ集中させていてくれなければ、続く決戦に障る。
「あ。デグチはんがどこぞのお大尽に「小官に突貫であるぅ」とかやってくれたらええだけやん!」
 せやせや。それやったら戦場に集中したまま身売りもできるっちゅうもんやん。これぞ、たったひとつの冴えたやりかたっちゅうやつやね!
 さっそく上海在住のエージェント仲間へ取り次ぎ要請の電話をかけようとしたマルチナの手をがっし、ソーニャは掴み止めて。
「その方向性は今の流れで取りやめになったはずであろう!」
「いや、せっかく売れるもんならさくっと売っとこかのココロでやね」
 いやいやでもでもいやいやミサイルいやいや。

 ひとしきり揉めた後、両者とも一旦落ち着いて。
「暇なんやったら屁ぇこいて寝とき」
 うちはもう、たまらんくいそがしいねや。マルチナが言外に告げれば。
「追いかけられるのはごめんだ」
 眠る度に襲い来る“あのとき”。今少し、その手から遠ざかっていたかった。取り戻すために転進し、向き合うときまでは。語ることなくソーニャが拒否。
「しゃあないなぁ」
 マルチナはキーボードに指示を打ち込んだ。
 すると冷却液の内に固定された基盤のいくつかが目覚め、血代わりの電気を巡らせ始める。
「そこのモニター見とき」
 応接セットの脇に据えられたモニターに映ったものは、二頭身にディフォルメされたマルチナの3Dモデルであった。
「うちの思考パターン記憶させた“マルちゃん”や」
『よろしゅうたのんますー』
 しゃべった。
「なんのためにこんなものを?」
 手を振るマルちゃんを気味悪げに指さしたソーニャの問い。
 マルチナは苦い笑みを返して肩をすくめ。
「最初はうちのバックアップ作れへんかなーて思たんやけど、さすがに追いつかんくてな。脳内会議を客観的にする用ってことでスケールダウンしてみたんや」
 口調こそ軽いが、それはマルチナが、自らの後継を用意しておこうとあがいた結果のものであろう。人為的に強化した脳にかかる負担はそれこそ人知を越えたもの。いつ何時、神の領域へ踏み込んだ報いが訪れるかわからないのだから。
 それを察すればこそ、ソーニャは指摘することもできなくて。
「ディフォルメにかなりの美化が含まれている気がするのであるが」
 ついついまぜかえしてしまった。
「乙女心やで」
 マルチナの厚顔には刺さらなかったわけだが、ともあれ。
「マルちゃんとチェスでもしといたってー。作戦ネタも思いつくかもしれんしやぁ」
 などとマルチナに言われ、チェス盤へ追いやられることとなったソーニャなのであった。

 ロボットアームを駆使するマルちゃんの先手はE4。俗に云うクローズドゲームが開始される。
「初心者ではないというアピールか。存外に自己顕示欲が強いものだな」
『アタマで負けられへんでしょー。うちの存在意義に関わる問題ですよって』
 実際、駒を動かしていくにつれソーニャは順当に追い詰められていき――
『チェックですわ』
 ――あっさりと敗北した。
 考えてみれば当然だ。相手はマルチナの知性を映し、さらには量子回路によって論理的思考を極限まで突き詰めた存在である。定石と最適手が研究され尽くしているチェスで、ただの人間が及ぶはずはない。
 まるであの“大口”と小官のようだ。ソーニャは頭を振るが、その思いつきを振り払うことはできなかった。
『あ、そこだとこれでチェックですなぁ』
“大口”とは、祖国を躙るあのレガトゥス級愚神に与えられたコードネームである。黒の内に深淵のごとく開かれた口。そこには三十二本の歯が並び、どうやら一本一本が眷属たるトリブヌス級愚神という、まさに化物としか言い様のない存在だ。しかも。
 その奥には、我らが父、カルハリがある。
 いや、そうではない。在るのは遠い昔にカルハリだった愚神だ。
 英雄は愚神の成り損ない。それが真実ならば、カルハリは死した後に成り仰せたということだ。どこの誰のおかげかは知らないが、順当に。
 そしてカルハリは取り戻しに来たのだ。己が国を、正統な統治者として。
 が、それを認めてやるわけにはいかんよ。彼の地の後継者として、次の世に生きる者たちへ其の地を繋ぐ先達として、暴君と化した父を居座らせておくわけには。
『ほい、チェック』
 しかし。
 この身はあまりに卑小だ。必死に拳を振り上げてみせたところで、余りに強大な父どころか歯の一本にすら届きはしない。二本を折り砕けたのは、“大口”が半覚醒状態、すなわち寝とぼけていたからに他なるまい。
『残念ですなぁ。チェックですわぁ』
「ぬぅ」
 立て続けに敗戦を重ね、ソーニャは唸った。
 なにをどうしようが、結果は同じ。まさに決戦で自分が辿るだろう末路を突きつけられているようで、堪える。
『チェスでコンピュータに勝つんはムリムリですわ』
 平たい胸を反らしてみせる二頭身を左眼でにらみつけておいて、ソーニャはふと思いついた。チェスでは負けるとしても、もしかすれば……
「貴公は、次の決戦に小官らが勝てると思うか?」
『それもムリでっしゃろな。“大口”はもう起きとって、歯ぁの残りが三十本。どう計算したって折れまへんし、勝てまへん』
 純然たる知性体に突きつけられてしまえば、真実に向き合うよりない。
 そう。“大口”はすでに覚醒し、こちらが繰るのを待ち受けている。ソーニャは先とは比べものにもならぬ死地へ、真っ向から踏み込んでいかねばならないのだ。そして文字どおりに死ぬだろう。
「ほんまにそう思てんのんか?」
 ソーニャが口を開くよりも早く、マルチナが振り向いていた。
 その両眼にあるものは強い光。
 ソーニャは自らの口の端が吊り上がるのを抑えきれなかった。
 そうだ。うつむいていてどうする。コンピュータに理解できぬことを、愚神に為し得ぬことを、人は為すことができる。
 ソーニャの内で高まりゆく意志の熱を察することもなく、マルちゃんは肩をすくめて遠慮も容赦もない言葉を継ぎ足した。
『どこ掘っくり返したかてムリもムリムリですやん。口閉じられたらミサイルかて当たらんですのやで? 不可能っちゅうやつですわ』
 不可能――その言葉を待っていた。
 今こそ返そう。あまりに陳腐なひと言をあえて。ただの人間として、戦いに向かう兵として、彼らを導く指揮官として。
 果たしてソーニャは、マルちゃんの顔のど真ん中へ指先を突きつけた。
「貴公のカメラに見せてやる。智に劣り、力に劣る人にしか起こし得ぬ、奇蹟というものを」
 かくて、立ち上がる。
「奇蹟を起こしてやろうというのだ。こうしてはおれぬ」
「って、どこ行く気ぃやねん?」
「小官は参謀本部に詰める。少数精鋭による電撃戦、いかに敵の虚を突けるかが鍵となろう。その策をひねり出すにはひとつでも頭の数が多いほうがよかろうよ」
 重き身を杖で支え、ソーニャは急ぎ部屋を後にしかけて。
「その間に、一発でいい。最高の砲弾を手配してくれ。“大口”――いや、カルハリの核をただの一射で撃ち抜くに足る鋼を」
 言い置いていったソーニャの残り香に、やれやれ。マルチナは口の端を歪めてみせた。
「それまでにばらまく弾もやろがい。ったく、そんなん奇蹟ちゃうやんけ。ただの必然や」
 ぼやきながら、マルチナはメインモニタへ向かう。
 そう、奇蹟を起こす必然を積み上げるために。


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2018年09月28日

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