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『抱えきれない幸福を 』
天間美果aa0906

 天間美果は主婦である。
 とはいえ普通の主婦ではありえない。いくらか昔にはH.O.P.E.東京海上支部のエージェントとして奔走――と言うにはごくゆったりと、だったが――していたし、一般男性との結婚を機に引退した後も、その身長180センチ体重157キロの巨体はとにかく人目を引きつけていた。
 ご近所ばかりか、居住区で知らぬ者のない有名人。それが美果なんである。
 ……ここで少々訂正を。今の彼女、157キロではない。個人情報を保護するためにはっきりとは言えないが、その体重はかなり増大しているのだ。
 原因は、妊活に集中してきたことによるハイカロリーノーエクササイズな日々の積み重ねであり、そして。待望の子宝にあった。
 しかたないわよね、五つ子なんだもの。
 耐重量300キロという特注のソファの上でくすりと笑みをこぼし、大きく突き出したお腹を見下ろす美果。
 その奥で息づく5つの命は、妊娠二週という初期の初期にありながら、はっきりとその存在を母体に知らせている。元々備えていた食欲が“暴食”の大罪を担う英雄の影響を受けたことで人並外れた健啖ぶりを発揮してきた彼女だが、今や自分のお腹を両手で抱えることすらままならない。
 なんとかしないといけないわよねぇ。
 思ってはみるのだが、美果の母性は絶対この命を護るのだと言い張り、もっと食べて盾なる肉をさらに厚く塗り重ねようとわめく。
 確かにそれは正しいのだろう。いつ何時、どこからなにが襲い来ないとも限らないのだから。どれほど注意しても避けられないアクシデントに対し、無傷を保てる防御力が欲しい。
 あたしの適性が攻撃じゃなくて防御だったら、こんなに悩まなくてもよかったんじゃないかしら。そんなことを思ってもしまう。
 ただ、人間には限界というものがあって。この場合は太る限界ではなく、2本の脚で自重を支えうる限界なわけだが――とにかくこのままでは限界を超えてしまいかねない。
 なにせ今すでにお腹が邪魔して足元は見えていないし、一度コケてしまえば体勢を立てなおすこともできないだろう。たとえ夫が助けてくれたとしても、共倒れになって家族全員が大ダメージを受けてしまうことは確実だ。
 と。夫が急な呼び出しを受けて休日出勤している中、物寂しさを少しでも払いたくて点けっぱなしにしてあるテレビから陽気なかけ声が。
 それはなんと妊婦向けのエクササイズ番組で、お腹の大きなお母さんたちが余裕の笑顔で腰をツイストさせたり背を反らしたり。
『太りすぎはあなたの体はもちろん、大切な赤ちゃんにも負担をかけてしまいますよ?』
 先生の言葉に、ぎくり。
 ああああ、肉の壁とか言っている場合じゃないわよあたし!
「なんとかしないといけないじゃない。なんとかするの!」
 今度は声に出して、あらためて決意する。
 子、夫、自分、みんなで作る明るい家庭のため、やらなければならないのだ!
 お腹が揺れないよう、両手で押さえて弾みをつけ、ソファから立ち上が――れない。お腹が大きすぎるせいもあったがやはり、体が重くなりすぎている。
 頭では理解しているのだけれど、ついつい現役のときみたいに動こうとするのもいけないのよねぇ。ここは努めて慎重に。
 かるく体を丸めて前後に揺らし、反動をつけて立ち上がる。今度は完璧、うまくいった。
「さあ、やるわよ!」


 番組のガイドに合わせてエクササイズを開始する美果。
 まずは胡座をかいて背筋を伸ばし、股関節に効くよう上体を前へ倒し込む。
「う」
 お腹がつかえて体は曲がらなくて。当然、股関節に効かせるどころではなかった。
「ま、まあ最初だしね。次よ、次」

 次いでソファの背もたれに両手をかけ、体を直角に曲げ――られない。
 下に張り出したお腹が太ましい腿につっかえて、それ以上進まないのだ。敗因は重力、ということにしておこう。
「ううん、背骨が伸びればいいんだから」
 ぐうっと背を伸ばした次の瞬間、美果はあわてて我が身を立ち上がらせた。
 お腹が曲がらない以上、体重とバランスを支えるのは両腕のみとなる。筋力のほうは能力者としての恩恵を受けるから大丈夫だとして、問題は不安定な姿勢のほうだ。
「ようするに体勢の問題よね。だったら」

 お腹を抱えて床へ仰向けに寝転がり、膝を立てる。さすがにこれは大丈夫。次はその体勢のまま両膝を左右へ倒して骨盤まわりを……
「ああっ」
 右に膝を倒すと、お腹もいっしょに流れるから体ごと右を向くことになる。左に倒しても、結局は同じように体ごと左を向いてしまう。これではストレッチにならないし、当然欲しい負荷もかけられない。
「だったらこのまま」
 両膝を立てた状態に戻り、両手で体を支えながら腰を持ち上げる。これなら筋力頼りなので問題の起きようもない、はずだった。
 斜めに傾いだお腹が豊かすぎる胸を押し、美果の顔に降りかけてきたのだ。
「!」
 自分の胸に溺れて死にかけた美果は、横倒しになって責め苦から逃れ出し――もちろんお腹はガードしつつ――ぜいぜい息をついた。


「なかなかうまく行かないものね……」
 元のとおりにソファへ座り、骨盤と連動しているという足首を回す運動をこなしつつ、美果はため息をついた。
 今さらあらためて気づくまでもない。すべては食べ過ぎ、太り過ぎているのが悪いのだ。
 思い出してみれば、現役の頃から巨体のせいでいろいろと失敗していた。ソフィスビショップという後衛職だったからこそなんとかやりおおせてこれたのだと思うが、今、最前線で体を張る妊婦となった美果はやりおおせるのではなく、やり遂げなければならない立場にある。
「なのにあたしって、ほんとにだめな女」
 諸々行き届かせることのできない美果を、夫はなにひとつ責めることなく支えてくれている。それに応えることもできない自分は、本当に情けない。
「ごめんなさいね。こんなお母さんで、みんなも不安よね」
 お腹をさする手に返るやわらかな熱。まだ子らが動くはずはない。美果自身のやわらかさであり、熱であることは知れていたが、それでも感じるのだ。5つの確かな存在とぬくもりを。
 そうだ。ここで第一に考えなければならないのは、子らをこの世界へ迎え、抱きしめることだ。
「お医者様も言ってたじゃない」
 確かに医者は言った。『ストレス(と太りすぎ)は母体に酷い悪影響を与えますからね』と。ちなみに()内は美果の女心が発動し、あえて無視した内容である。
 よし。美果はソファから再び立ち上がった。
 運動は少しずつ続けていくとして、まずはストレス退治だ。

 というわけで、エクササイズで疲れた体と自責に靄めく心を癒やすべく、寝室へ昼寝をしに向かう美果。
 キングサイズのベッドにゆっくりその身を横たえれば、そこに移った夫のにおいが鼻の奥をくすぐって……この上もなく彼女を癒やしてくれた。
 現金なものよね。こんなことで心が浮き立つなんて。
 思わず苦笑した彼女の目に、サイドボードへ置かれた写真が映った。それは彼女が現役を退く寸前に撮ったものだ。
 黒スーツ姿で決めたふくよか過ぎる女エージェントは不敵に笑んでいて、それが美果の笑みの苦みを甘みへとすり替えていく。
 ねえ、美果。今のあたしはあなたよりもっと太っちゃったけど、笑うかしら? ええ、笑うでしょうね。そんなに幸せ太りできるなんて、うれしくてうらやましいって。
 果たして、はち切れんばかりの幸せを両手いっぱいに抱え、美果は笑みながらまどろみへと落ちていくのだった。
  

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【天間美果(aa0906) / 女性 / 30歳 / 肉への熱き執念】
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2018年10月01日

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