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『FORGET-ME-NOT 』
君島 耿太郎aa4682)&アークトゥルスaa4682hero001

●Vergiss
 記憶を本に綴じ込んでしまう、秘密の図書館。七組のエージェントと共に記憶を失った人々の為に図書館を訪れた君島 耿太郎(aa4682)とアークトゥルス(aa4682hero001)は、一つの決断を迫られていた。
 人々の記憶を取り戻す代わりに、エージェント達の記憶を綴じ込んだ本を差し出せと“司書”が詰め寄って来たのだ。
「本来、図書館の本は持ち出し禁止です。しかし、貴方がたは『本』を持ち出そうとする以外に無体な真似はしなかった。その誠意に対し、こちらも最大限の譲歩をしようというだけの事です」
 アークは顔を顰める。優れた体格を持つ、測り難い実力を持つ“司書”。強硬手段で記憶を奪取する事は到底望めなかった。
「どうしますか?」
 それをわかっているのか、司書も穏やかな表情を浮かべたまま、強気で詰め寄ってくる。忘れたい記憶とはいえ、それも今の自分を作り上げた一部には違いない。迷わずにはいられなかった。
「置いていくも何も、空白しかないスカスカの記憶っすが」
 その中で、真っ先に動いたのは耿太郎だった。自ら本を取り、司書の前に差し出す。
「それでもいいならどうぞっす」
 彼に続いて、他にも三人、続いて本を差し出していく。その姿を横目に、アークはそっと目を伏せる。
「……俺の記憶で済めばよかったのだが」
「ただでさえ少ないんっすから。王さんは自分の記憶、大事にした方がいいっす」
 アークは耿太郎の優しさに何も言えなくなってしまう。彼の記憶の本は、すっかり落丁している。残っているページを数える方が早いくらいだった。
 司書は四冊の本を見渡すと、そっと手を伸ばす。
「良いでしょう。では……」
「待て」
 アークは司書より先に耿太郎の本を押さえる。司書が首を傾げると、アークは苦渋に満ちた顔で司書に尋ねた。
「その前に、今一度、俺にそれを読ませては貰えないだろうか」
「……それくらいならば、良いでしょう」
 司書は一歩離れる。耿太郎はアークの横顔を見上げた。
「王さん?」
 アークは言葉もなく、静かに表紙を捲る。
(ここは間違いなくドロップゾーンだ。いつ、耿太郎の記憶を戻す手立てが無くなるかわからん)
 そうなってしまった時のため、せめてその記憶の形を耿太郎へ伝えられるように。己の記憶の空白へと綴じ込むように、アークは綴られた記憶を読み始めた。

●mein
 気付くと、アークは薄暗いアパートの一室にいた。ゴミが散らかっているわけではないが、新聞がテレビの横に積まれていたり、食器が剥き出しで台所に放置されていたり、とにかく雑然としている。
「ここは……」
 不意に玄関の戸が開き、アークは咄嗟に物陰へ身を潜める。家に上がり込んできたのは、古ぼけた服に身を包んだ若い男女と、その後を塞いだ顔でついて歩く幼い男子。
(あれが、耿太郎か)
「今日からここがお前の家だ。布団はまだ無いから、夜はそこで寝ろ」
 ぼさぼさ頭の男が指差したのは、如何にも固そうなソファだ。幼い耿太郎は言葉もなくこくりと頷く。
「とりあえず何か食ーべよ。カップ麺まだあったよね」
 軽薄そうな女は、台所の下の扉を開き、中を漁っている。その後ろ姿を見ているだけで、アークはさもありなんと思えた。
(しかしもう耿太郎に親は無し……か)
 幼い耿太郎は、ちゃぶ台の前で小さくなっていた。自分の幸せが突然失われた事を、彼自身未だ呑み込み切れていないようだ。

 瞬きすると、時は移り変わっていた。耿太郎は小学校の一、二年くらいに見える。彼は流し台の前で立ち尽くしていた。目の前には泡だらけのまま割れたコップ。目を怒らせた女は、ずかずかと耿太郎へ迫っていく。
「どけ!」
 耿太郎を押し退けると、女は割れたコップの破片を拾い始める。その間にも、まるで呼吸するような調子で耿太郎へ罵詈雑言をぶつける。
「ホントてめーは使えねーよな! 皿洗いの一つも出来ねーとか!」
 刺々しい言葉を投げつけられ、耿太郎は肩を震わせる。唇を噛み、啜り泣きを始めてしまった。それも女の火に油を注ぐ。女はコップの破片を手放し、咄嗟に耿太郎の頬へ平手を飛ばした。
「泣くんじゃねーよ!」
 突如振るわれた暴力に、耿太郎はすっかり固まってしまう。アークは歯噛みした。
「婢女のような扱いをするものだ……」
 怒りを交えてアークは呟く。彼自身、子どもを小さな大人として捉える文化の中で生きてきた。それでも耿太郎へ脅しかかる女の態度は赦し難い。今すぐ刃の切っ先を向け、罪を一つ一つ説き伏せてやりたい衝動に駆られた。
(しかしこれは記憶だ。……最早、俺には如何ともしがたい)

 瞬きすると、再び光景は移り変わっていた。耿太郎はもう少し大きくなっている。時計を見ると午前の八時。普通なら学校へ行く時間のはずだ。しかし、耿太郎は一向に学校に行く支度をしていない。
「はい……ええ、すみませーん」
 女は真面目そうな声色で電話の向こうの人物と何事か話している。耿太郎は茫然とした眼差しでその光景を見上げている。
 電話を切った女は、鞄を肩にかけ、目を三角にして耿太郎へと迫った。
「じゃああたしは行くからな! 部屋全部掃除しとけよ!」
「でも、学校――」
 耿太郎は何か言いかけたが、女は電話台を叩いて黙らせる。
「うるせえ! あたしが行かなくていいってんだからいいんだよ!」
 そのまま女はずかずかと耿太郎へ迫ると、鼻先を指差して吼える。
「いいか? あたしらがこうして頑張って働いてるお陰で、お前はここに住めてんだよ。文句言うんじゃねえ!」
 もはや少年は何も応えられなかった。女は踵を返すと、玄関で靴をつっかけアパートを出ていく。
「くそっ。姉貴もろくすっぽ金残さねーで死んじまいやがって……」
 残された耿太郎には、取りつく島もない。結局、とぼとぼと歩いて散らかった洗濯物を拾い始める。アークは眉間に皺を寄せる。
(学校に中々通えなかったというのは、こういうわけだったのか)
 誰もいないのだから、こっそり学校へ行ってしまう事も出来たろう。助けを求める事も出来ただろう。しかし、もう何度もこんな目に遭い続けた少年は、そう思い至る事さえ出来なかったようだ。
 拙い手で掃除する姿を見ていると、思わず手伝いたくなる。しかしその手は何にも触れる事が出来なかった。

 さらに耿太郎は大きくなり、中学生くらいになった。しかし、彼の扱いは相変わらずだ。相変わらずソファの上で寝ているし、一つの口応えも許されない。
「不味いなあ。何年飯作ってんだよ」
 男が乱暴に食器を置いて唸る。もう既に耿太郎は肩を縮こまらせていた。
「なあ、これは俺達が稼いだ金だぞ。それをこんな不味い飯にするなよ。俺達の稼ぎをお前が貶めてるんだ! 分かるか?」
「姉貴も抜けてる女だったけど、やっぱこいつも似たのかな」
 女が耿太郎を見てせせら笑う。アークは歯噛みした。
「貴様。己の肉親でもあるのだろうが」
 しかし彼の怒りは届かない。
「あーあ。使えねえ。こんなんじゃうちの現場でも使い物になんねえな」
「来年になったら追い出すからな。後は自分で稼げよ。稼げるかわかんないけど」
「……」
 ふと、耿太郎は立ち上がった。喜怒哀楽の失せ果てた顔で、そのまま耿太郎はアパートを飛び出す。背後から怒号が飛んでくるが、気にも留めない。アークも彼に半ば引きずられるように、その背中を追いかけた。
 彼は裸足のまま、当てもなく街の中を走っていく。石ころで足が傷ついても、ただひたすらに走り続ける。その背中を追う度に、胸が痛んでくる。
(ああ、そうか。この先は)
 路地裏に回り込んだ時、ビール瓶に躓いて耿太郎はゴミの山に転げた。アークは顔を覆う。そこは二人が初めて出会った地だ。
(こんな記憶は、ここに閉じ込めたまま、永遠に忘れてしまってもいいのではなかろうか)
 目の前に現れた愚神を見ながら、アークはふと思う。忘れてしまった方が、耿太郎は力強く前へと進めるのではないか、と。
「……こんなところで、終われないだろう。少年」
 愚神から耿太郎を庇うように立ち、アークは初めて出会った時のように耿太郎へ語り掛ける。
「俺の手を取れ。俺は『弱きを守る』為に生きてきた。……痛みを知るお前なら、きっと俺と共に『弱きを守れる』はずだ」
 そう言って、彼は耿太郎へ手を差し伸べた。彼の力強い佇まいを前に、耿太郎も思わず手を伸ばす。手を取り合った瞬間に、二人の姿は融け合っていった――

「――読み終わったようですね」
 本を閉じたアークに向かって、司書は穏やかに、かつ淡々と言い放つ。手を差し伸べ、本を渡すように催促してくる。ただでさえ白い顔から血の気を引かせたアークは、力無く司書へと本を手渡す。
「確かに、四冊受け取りました。ではあなた方が求める八冊、加えて二冊をお渡ししましょう」
 かくて、耿太郎の記憶は身代わりとなり、人々の記憶を救ったのである。

 任務の報告を済ませ、一期一会の仲間達と別れて帰路へ就く。普段は仲のいい兄弟のように並んで歩く彼らだったが、今日はアークの足取りが重かった。いつもと変わらず歩く耿太郎との距離が何度も離れそうになり、その度に耿太郎は立ち止まる。
「どうしたんすか、王さん。何だか暗いっすよ」
 記憶を抜き取られたのは耿太郎だというのに、彼は平然としていた。むしろ、抜き取られたからなのかもしれない。アークは拳を固める。
「なあ」
 アークは恐る恐る尋ねた。
「やはり、俺と会う前の頃について、思い出せる事は無いのか」
「うーん……」
 彼に問われるがまま、耿太郎は目を閉じ、心の奥底を探るような仕草をする。だが、間もなく彼は小さく首を振った。
「ダメみたいっす。何をした、どこにいた、みたいな単純な事も、何にも思い出せないっす。此処まで何にも思い出せないと、何だか気持ち悪い気もするっすね」
「そうか。無理をさせてすまない」
 アークは苦々しく呟いた。
(そうだ。俺だってそれは分かっているつもりだ)
 あるべき記憶が無い。過ごした時は苦しいものだったか、哀しいものだったか、喜ばしいものだったか誇らしいものだったか。どうあれ、穴が空いたように記憶が抜け落ちると、今の自分が頼りなく感じられてしまう。それは彼自身が一番分かっている筈の事だった。
(あれも、耿太郎だ。それを、失ったままでいいと俺が断ずることは出来ない)
 アークが心奥で苦悶していると、ふと耿太郎が彼に向かって微笑む。
「でも……良かったかもしれないっす」
「何がだ」
「王さんも、こういう気持ちなんだって、わかったような気がするっすから」
 耿太郎は踵を返して歩き出す。アークは悄然とした顔で立ち尽くす。
「どうしたんすか? 置いて行くっすよ!」
「すまない」
 アークは慌てて歩き出す。ひりついた心に、どうしようもないほろ苦さが残っていた。

●nicht
 二人で暮らすアパートに戻ってきたアークと耿太郎。耿太郎は冷蔵庫の中を漁ると、早速料理を作り始める。普段は手癖で何となく作っていた耿太郎だが、今日はレシピ本を取り出して、睨めっこしていた。
(料理をさせられていた記憶も失くしたから……か?)
 それを横目に、王はテーブルに向かって一冊の手帳を開く。万年筆を手に取り、紙面の空白に向かい合った。
「王さん、何してるんすか」
 そんなアークを、耿太郎が横目に窺う。曖昧に笑みを繕いつつ、アークは紙面へペン先を走らせ始めた。日付を書き込み、臨んだ任務の作戦コードを記す。
「日記をつけているんだ。何度も書こうとは思っていたんだが、中々手を伸ばす機会が無くてな。だが、今日が当にその機会なんじゃないか。そう思った」
「日記、っすか」
 アークはさらさらとペンを走らせる。A5サイズの小さなページはすぐに埋まった。耿太郎の過去に何があったかも纏めて書き記そうとしたら、ページはいくつあっても足りない。
「こうして残しておけば、もし何かあっても、お前と過ごした日々は失わずに済むからな」
「じゃあ、俺も日記始めるっす」
 出し抜けに耿太郎が言う。思わずアークはペンを止め、耿太郎の方へ振り返る。彼は照れたように頬を緩めている。
「今日は無くしても別に構わないって思ってたっすけど、王さんとの記憶は、絶対に失くしたくないっすからね」
「……そうか」
 アークの手元でペン先は強く押し当てられ、文字がじわりと滲んでいった。




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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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君島 耿太郎(aa4682)
アークトゥルス(aa4682hero001)

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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影絵 企我です。この度は発注いただきありがとうございました。

こういった描写って、影絵は描いた事ありませんで、実はこれが初めての挑戦になります。問題無く書けているでしょうか? ネグレクトではない程度……なので某魔法使いの家族みたいな感じをある程度イメージしてみました。引用については、茶茸MSから許可を戴いておりますのでご心配なく。

何か問題がありましたらリテイクをお願いします。

二人のこれからに慶びがありますように。

カゲエキガ
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2018年10月01日

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