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『隠遁者の日常』
剱・獅子吼8915)&空月・王魔(8916)


 朝、目が覚める。
 目覚まし時計を一瞥し、鳴っていたら止める。
 そして布団を被り、目を閉じる。そのまま眠りに落ちてゆく。
 いつもの流れだった。
 春の小川のせせらぎを思わせる、心地良い流れ。
 それを断ち切る怒声が、響き渡った。
「起きろーッ!」
 布団を剥ぎ取られた。
 以前、虚無の境界の冷気能力者と戦った事がある。凍傷を負いながらの、過酷な戦いではあった。
 あの時とも比べものにならないほど残酷な寒気が、獅子吼の全身を容赦なく襲う。
「寒い……私は、死ぬんだね……後は頼んだよ、王魔……」
「任された。今からお前を水風呂に放り込む」
 王魔が、獅子吼の首根っこを掴んだ。
「それが嫌なら、いい加減に起きろ。目を覚ませ」
「今日は……仕事のある日、じゃないよね?」
「布団を干す。今日は天気が良いからな」
 言いつつ王魔が手際良く、布団やシーツを露台へと運び出す。
「……本当はな、お前を物干し竿に縛り付けて日に当てたいところだ」
「起きる、起きるよ……起きるから、それは勘弁して欲しいな……」
 獅子吼は欠伸をした。
「王魔は……いつも、てきぱきとしているね。ふふっ……昔の私なら、専属のメイドとして雇っていたところかな」
「断っていただろうな。私は、金持ちが大嫌いだ」
 床に散らかっている本を拾い集めながら、王魔は言う。
「金持ちの言いなりになって殺し合う貧乏人どもは、もっと嫌いだがな……それより、寝しなに読んだ本を枕元に積んでおくのはやめろ。お前、眠りながら暴れる事があるからな」
「何だろう……能力犯罪者と戦っている夢でも、見ていたのかな」
「IO2に頼んで、そういう仕事を増やしてもらうか。お前、仕事がない時は本当にダラダラと」
「人間にはねえ、ダラダラと過ごす時間が絶対に必要なんだよ」
 言いつつ獅子吼は、またしても欠伸をした。
 王魔が、いらいらと睨みつけてくる。獅子吼は気付かぬふりをした。


 金持ちが、さらなる富を欲する。権益を、利権を、他から奪おうとする。
 そのために貧乏人を騙し、煽動し、戦わせる。国のために、民族のために、愛する者を守るために、さあ戦えと。
 戦争や紛争は大抵、そのようにして始まる。そして終わる事がない。
 王魔の生まれ育った地域では、紛争の原因を作った金持ちは早々と手を引いており、憎しみに支配された貧乏人たちだけが、ひたすら殺し合いを続けていた。
 金持ちは、富豪は、富める者たちは、王魔にとっては、だから敵であった。
 あの頃、虚無の境界が自分に接触していたら。
「私は……金持ちだけを狙って殺す、能力犯罪者にでもなっていたのかな」
 ずっしりと膨らんだビニール袋を両手に下げて歩きながら、王魔は呟いた。
「そして……獅子吼、お前に退治されていたか」
 この場にいない女に、語りかけてみる。
 買い物の帰り道である。野菜・肉・牛乳や卵などを、多めに買い込んだところだ。
 獅子吼は、あまり買い物をしない。こんなふうに両手で大荷物を運ぶ事が出来ない。
 彼女の、普段は存在しない左手は、基本的に斬撃戦闘の役にしか立たないのだ。
「両手があったとしても、あの出不精は直らん……か」
 金がないわけでもないのに、とにかく食料品の買い出しすら面倒くさがる女である。放っておけば、何食もカップラーメンで済ませて平然としている。料理も一通りはこなせるのに、だ。
 それで栄養失調にでも陥り、死んだところで、自分の知った事ではない。王魔は、そう思っている。思ってはいるのだが。
「……何故、こんな事になった」
 剱獅子吼は王魔にとって、最も憎むべき人種であるはずだった。
 富豪の娘。
 家を捨てて来た、のであるにしても許せない。
 紛争を引き起こし、貧乏人たちに憎しみをばらまき植え付け、最終的には利益にならぬからと手を引いて紛争を放置した者たちと、無責任さにおいて通底するように思えたのだ。
 長い付き合いにはならぬ、と王魔は思っていた。お前の顔など見ていたくない、殺さぬだけありがたいと思え。
 そう、言葉に出して罵った事はない。ただ自分の顔に、口調に、態度に、出ていたとは思う。
「……それが何故、こんな事になっている……?」
 疑問を口にしても、答えてくれる者はいない。
 自宅に着いた。剱獅子吼の自宅、という事になる。名義上の家主は彼女だ。
 2LDKのマンションである。家賃を含む生活費は、獅子吼と王魔がほぼ同等に稼ぎ出してはいる。
 自分・空月王魔の身分は居候だ。
 出て行け、という言葉が獅子吼の口から一言でも出たら、躊躇なく出て行こうとは思っている。
「ただいま……」
 玄関のドアを開け、入って行ったところで、王魔は頭に熱さを感じた。
 ほかほかと熱を持つものが、回転しながら降って来て、王魔の頭にベシャッと付着したのだ。まるでベレー帽のように。
「あ……ごめんよ、王魔」
 獅子吼が、空のフライパンを片手に照れ笑いを浮かべている。
 頭の上にある小麦粉の塊を、王魔は手に取ってむしゃむしゃと食らった。
「お前は……フライパン返しばかり上手くなって、肝心の焼き加減が一向に上達しないな」
「まだ出来かけだもの」
 獅子吼が、形良い唇を尖らせた。
「いつも私のお世話をしてくれる王魔に、感謝のパンケーキを作っていたんだよ? 完成まで待ってくれてもいいじゃないか」
「……菓子も買ってきた。今日の紅茶は、それで済ませよう。ベランダにテーブルを出せ」
「ここは流れとして、君がパンケーキを焼いてくれるところでは?」
「面倒臭い。それと勘違いをするなよ。私はな、お前の世話などしてはいない!」
「ふふ、いつもありがとう王魔」
「……いいから、早くテーブルを出せ」


 大勢の使用人がいて、朝は起こしてくれたし、食事も作ってくれた。掃除も洗濯もしてくれた。紅茶も淹れてくれたし、パンケーキも焼いてくれた。
 皆、いなくなってしまった……わけではない。彼ら彼女らのいない生活を選んだのは、獅子吼自身である。
 全てを、自分1人でこなさなければならなかった。
 出来ている、と獅子吼は自分では思っている。
 王魔から見れば、しかし色々と足りていないらしい。
 とにかく世話を焼いてくれる。家政婦として、給料を払っているわけでもないのにだ。
「うーん……思い出せない」
 安物の菓子をテーブル上に広げての、ティータイムである。
 獅子吼が呟くと、王魔が応えた。
「何がだ。自分が、どれほどぐうたらな女であるかという事をか。安心しろ、それなら私が毎日計測している。今日のお前のぐうたら度合は、Aプラスといったところかな」
「それほどぐうたらな私と、しっかり者の君が……さて一体いつ、どこで、どんなふうに知り合ったのかな」
「……私も、忘れた」
 王魔が、紅茶を飲み干した。
「何やら、腹立たしいきっかけがあったようでもあり……」
「私が君を助けたり、君が私を助けたり? ドラマチックだよね、そんな事があったとしたら」
「あったとしても、だらだらと腐れ縁を続けているうちに忘れてしまう。そういうものだという事はわかった」
「だらだら過ごすのも、悪くはないだろう?」
 獅子吼が言うと王魔は、空のティーカップに、まるで酒でも注ぐようにティーポットを傾けた。
「お前と出会う前はな……まさかここまで、だらだらとした暮らしをするようになるとは思ってもみなかった」
「出会った頃、私は嫌われていたよねえ。君に」
「……今は違う、とでも言うつもりか」
「おや、今も嫌いなのかい?」
「…………」
 王魔は何も言わず、がぶがぶと紅茶を飲んだ。
(私も、ね……あの頃は、思ってもいなかったよ王魔。君に、出会えるなんて)
 口には出さぬまま獅子吼は、一口大のチョコレートをつまんだ。



登場人物一覧
【8915/剱獅子吼/女/23歳/隠遁者】
【8916/空月王魔/女/23歳/ボディーガード(兼家事手伝い)】
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小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2018年10月05日

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