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『晩夏の光 』
天宮 佳槻jb1989

 天宮 佳槻はその日の仕事を終え、帰路につこうとするところだった。
 既に夕刻だが、立っているだけで汗ばむ熱気は相変わらずだ。それでも少しずつ日の短さを感じるようになった。
 夏の終わりが近づいていた。

(また、あの祭りと同じ季節が来る‥‥)

 あの日の光景はまだ思い浮かべることができる。そこで出会った一組の──彼らのことを考えるうち、いつしか佳槻の足は町のはずれへと向かっていた。

   *

 復興が進むこの地では、中心市街はすっかり整備されている。だがはずれの方には整地だけされて後は手つかずの土地がまだ残っていた。
 広々とした土地が左右に広がる、その真ん中の道を佳槻は歩く。
 左側が広く夕焼けに染まっている。佳槻は大きく揺れる太陽を見た。
 こうして夕陽を見るのは何度目だろうか。結界の中にあったこの地から住民を救い出したあの日の赤い太陽を、まだ皆は覚えているのだろうか。
 少し離れた場所で、佳槻と同じように夕陽に向かって立つ小さな人影を見つけた。
 杖をつきながらも、しっかりとした様子で立っている彼女は、佳槻の見知った人物だった。
 自分のことが分かるだろうか──もしかしたら覚えていないかもしれない、と思いつつも、佳槻は声をかけた。
「小野、八重子さん‥‥ですよね」
 お久しぶりです、と言うと、八重子はこちらを見た。救出の際に負傷した右目が眼帯で隠されている。
「おや、アンタは、確か‥‥」



「あん時は、世話になったね」
 夕陽に照らされながら、八重子は佳槻に礼を言った。
「アンタたちには、家族みんなで世話になっちまった」
「家族‥‥」
 群馬県の解放を巡る一連の戦いにおいて、八重子の一族が撃退士と様々に関わったのは事実だ。曾孫の尚矢、勇矢は子供らしい無鉄砲さで騒動の種になった。娘の椿はヴァニタスとなって撃退士に討ち果たされた。
 ただその事実より佳槻の耳に引っかかったのは、八重子が何気なく口にだした、家族、という言葉だった。
「僕が椿さんと‥‥悪魔レガの二人に初めて会ったのは、戦いの場ではなく、とあるお祭りの夜でした」
 椿の名を出したとき、八重子の顔が強ばったのが見えた。
「二人が並んで歩き、夜店に興じる様を見た時、親子みたいだと思ったんですよ」
 恰幅がよく、いい年で地位もあるように見えるのにいつまでも子供のような息子と、その様子を困り顔で眺めながらも、甘やかしてやっている母親。
 本当の家族ではない二人に、そのようなつながりを見たのだ、と佳槻は言った。
「でも‥‥」
 少し間を置いた。この先を口にすることが失礼にあたる位は佳槻にも分かる。
 だが、八重子はなにも口を挟まず、続きを待っているようだった。
 佳槻は続けた。
「八重子さんと椿さん、椿さんと有香さん、有香さんと双子たち‥‥それぞれの有り様は、僕には、親子とは思えませんでした」
 特に椿の娘であり、尚矢と勇矢の母親である有香の態度は、佳槻にとっては到底納得のいくものではなかった。
「あの時の有香さんは、ただ嫌なことから逃げたいだけだったとしか思えません」
 悪魔の支配下にあった群馬県内を探索する危険な任務に子供たちを連れて行くということがあった。確かに特殊な事情はあった。有香は、自分には母を思い出せなかったという負い目があるから、子供たちの願いを汲んでやりたい、というようなことを言った。
 負い目があるなら、自分も行くとなぜ言わないのだろうか?
 子供たちの無鉄砲さを叱り、多くの人に迷惑をかけていると自覚させる──それを告げるのは本来なら親の役目であるはずなのに。彼女はそれすら放棄していた。
 もし二人が帰ってこなかったら、可哀想な被害者として自己正当化するつもりだったのか──そんなことすら頭に浮かぶ。
 そして佳槻は浮かんだ言葉を、そのまま正直に八重子に伝えていた。
 一度堰を切った言葉はとどまらず零れ、体の底から流れて止まらない。
「きっと皆、自分の子供など見てはいなかった。自分の都合だけを見ていたから、今はそう思うんです」
 自分の正義、自分の欲求、自分の負い目。
 是非はともかくただの事実としてそこでは、他者は自分に都合が良いか悪いかの『物』でしかなかった。
 そうでなかったのは、皮肉なことに──「おばあちゃんに会いたい」と純粋に願ったもっとも幼い双子、彼らだけだったのかもしれない。

 八重子は、滔々と流れ出る佳槻の言葉を、相づちも打たずに聞いていた。
 彼はきっと、この思いをずっと心の内に抱えていたのだろう。そう思うと、口を挟む気は起きなかった。
 それに、彼はなにも間違ったことは言っていない。少なくとも、八重子自身のことについては。
(アタシはあの子を愛しているつもりだった‥‥ヴァニタスなんぞになっちまうまでは)
 だが彼女は行ってしまった。それ以来、八重子は椿がなにを思って生きてきたのか、全く分からなくなってしまった。
 どれだけ思いを馳せても、理解できない。だから、八重子は己の正義にすがるよりなかったのだ。

 佳槻が、ようやく息をついた。いつしか日はとっぷりと暮れ、空には星が瞬いている。周囲に明かりが少ないせいで、都会の空よりずっと多くの星が光っていた。

「‥‥すみません。こんな時間まで」
 引き止めてしまっていたと思い、佳槻は謝罪した。この辺りは街灯もまばらだ。もうディアボロは出ないにしても、八重子を送って行かなくては──。
 などという佳槻の考えを、八重子は笑い飛ばした。
「気にしなくていいよ。アタシは最初から、ここで夜明かしするつもりだったからね」
「‥‥ここで?」
「朝日を見るのさ」
 思わず聞き返すと、八重子はニヤリとした。道路の反対側へ渡ると、土手の上によっこらせと腰を下ろした。
 そして佳槻を顧みる。
「アンタもどうだい? 新鮮な朝日を浴びれば気持ちも晴れるってもんだ」



 二人で土手に腰を下ろしてからは、無言の時間が過ぎていた。
 そもそも佳槻は、思いを告げたところでなにがどうなると思っていたわけではなかった。八重子には八重子の、有香には有香の言い分もあるのだろうが、仮にそれを聞いたとして事実が覆るわけでもない。
 ただ、伝えたかっただけだ。

   *

 星の瞬きを数えていたら、不意に八重子が口を開いた。
「有香はね‥‥母親のことが好きじゃなかったんだ」
 生来病弱だった椿は、子育て中もしょっちゅう体調を崩していた。そのせいで、有香の面倒を見るのは八重子であったり、近所の人であることが多かった。
「だからもしかしたら、あの子は‥‥忘れたままでいたかったのかもしれないね」

   *

 朝が近づく頃、八重子が立ち上がった。
「アタシはもう行くよ。正月でもなきゃ、朝日は一人で見るもんだ」
 片手を振って、さっさとその場を離れようとする。その背中に、佳槻は最後の声をかけた。
「双子は、今‥‥どうしていますか?」
「ナオもユウも、元気にやってる。もう中学生だ。‥‥アンタたちのおかげさ」



 土手の向こうから薄明が射し込む。佳槻は立ち上がった。
 答えが欲しかったわけではない。
 それでも一夜が明けて、心には小さな空白がある。

 薄明はやがて暁光となり、空の色を変えていく。佳槻の体にも、光が当たる。

 晩夏の白い光が、全身に広がっていく。佳槻はひとり、その光を浴びていた。



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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【jb1989/天宮 佳槻/男/20/夜明けより先へ】
【NPC/小野 八重子/女/92/後悔は消えない、けれど‥‥】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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お待たせしました。夏の終わり、とある一夜の様子をお届けいたします。
NPCの弁解を長々書いても意味はないだろうと考えて、こんな形になりました。
少しでもイメージに沿うものであれば幸いです。
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エリュシオン
2018年10月12日

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