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『日常はいつだって 』
シリューナ・リュクテイア3785)&ファルス・ティレイラ(3733)

 温かくて柔らかいと思った。水面を揺蕩うような曖昧な感覚。自分という存在が希薄になっていつか消えるんじゃないか、なんて想像が頭をかすめるのに、不思議とそれに対する恐怖はなかった。
 多分知っているからだ。この感触がかけがえのない何かだと。このまま終わるなんて絶対に有り得ないと。だから怖くないし、少しならこうしていてもいいかなと思えてしまう。振りそそぐ暖かさがたまらなく心地いい。だから、後一時間。いや三十分だけでいいから――。けれど意識は急速に現実へ引き戻された。

「ふにゅ〜。お姉さま、やめてください〜」
 覚醒と同時に見えたのは、ルビーのように輝く一対の瞳と艶やかな黒髪のコントラスト。眉目が緩く曲線を描き、それだけで“お姉さま”が楽しんでいるのが手に取るように分かる。
「後は頼むわねって言ったでしょう、ティレ?」
 暫くすると満足したらしく下ろした手を腰に当て、お姉さま――同族であり魔法の師匠でもあるシリューナ・リュクテイアが、椅子に座ったままのファルス・ティレイラを覗き込んでくる。表情も声音も平坦だが、一匙だけ咎める意図が含まれており、ティレイラはやっと店主でもあるシリューナに言い付けられたのに、うっかり寝てしまったことに気付いた。立ち上がった時に跳ねた髪が仄かに熱を伝えてくる。夢の中で暖かく感じたのは射し込む太陽が原因だったらしい。予知夢を見ることがあるので、その類かもと思ったが。
「まぁ、誰も来ていなかったみたいだからいいわ」
 どれだけ経ったのか分からないが、お客様は勿論招かれざる客が来ても気付かなかった自信があるので辺りを見回したティレイラの、その思考を読み取ったようにシリューナが呟く。さすがに瓶が一つ無くなっていても自分には分からないが、商品を手作りし、インテリアへのこだわりも並々ならないシリューナは把握しているはずだ。というか不審者を感知する術か、軽く“お仕置き”する呪術はかけているだろう。そして知識と技術を兼備する彼女に対抗出来る使い手はそう多くない。
「わわ、置いてかないでっ」
 袋を二つ抱えたシリューナが一つをこちらへ渡し、自身は足早に店の奥へと歩いていく。師匠の物よりも少し小さい紙袋を抱え持って、ティレイラも後に続いた。そこには、シリューナのアトリエがある。彼女はここで魔法薬を作り、液体状のそれを瓶に詰めて販売する。今テーブルの上に広げているのもその素材だ。シリューナは魔法の師匠だが、薬の調合より火以外の魔法の上達を目的としている。その為、並べられた物を見ても大まかな知識しかなく、判然としない。
「それじゃあ、いつも通りよろしくね」
「了解です!」
 机が草花や鉱石、謎の生物の死骸といった品々で埋め尽くされると、ふっと短く息を吐きシリューナが品質や数量の確認を始める。立ったまま一番手前の赤い実に手を伸ばす師匠をティレイラは椅子に座ってそっと見上げた。
 彼女は冷静でいつも余裕がある。だからティレイラは技術を抜きにしても彼女を尊敬している。その憧れのお姉さまが真剣な顔で仕事に向き合う姿を見るのはティレイラが好むひとときだ。しかしずっと眺めていると休憩に入ったシリューナに気付かれて遊ばれてしまう。葛藤を繰り返して十分、ティレイラは立ち上がるとシリューナが隅に置き直した袋を幾つか拾い上げた。これを奥の倉庫に運ぶのが役割だ。面白くはないが普段入れない所に堂々と入れるという魅力はある。
 荷物を抱えて、ティレイラは奥へと進んでいった。厚みのある扉がすんなり開いて様々に入り交じった、なのに不思議と調和の取れた匂いに迎えられる。
 ここに置いてあるのも大半はティレイラが今持っている薬の材料であったり、効力が強い為店頭には置いていない魔力を込めた装飾品や魔法道具であったりする。それらも魅力的だし勉強になるが、ここに入るのが楽しみなのはシリューナの趣味が美術鑑賞だから。その手の物も多く保管されているのだ。自ら見せてくれる時もあるが、お気に入りの一部だけだろう。
 何でも屋として生計を立てているティレイラだが、仕事の大半は配達だ。普段は完全に人の姿で生活しているものの、素姓は異界から転移してきた竜の血族。なので、この姿に翼と尻尾が生やして空を飛んだり、空間転移で長距離移動もお手の物というわけだ。そういう仕事をしていれば自然と物の扱いも身についてくる。ラベルに視線を落としてこれはここであれは向こうと、てきぱき体が動く。温度や湿度など条件毎に割り振られた倉庫内の保管所を、ティレイラは効率よく回っていく。何か面白い物がないか物色しつつ。しかし普段は温厚なシリューナも師匠として愛の鞭を見せることもあるし、慕っている姉的存在の彼女に迷惑をかけることは自身も本意ではない。やるべきことはやってそれから、ちょっとだけ。視界の端でキラリと輝く何かを一瞥し、棚に薬草を仕舞った。
 往復して作業を進める。そして次には確認が終わるだろうというタイミングで手早く材料を運び終えると、ティレイラは倉庫の角へ歩みを進めた。
 今日初めて目にした時からずっと気になっていた物。それは狐の置物だ。持ち主の目からも逃れるよう奥へ潜み、しかも像の台替わりになっているのは何かを封印してますと言わんばかりに札が貼り付けられた箱。それも扉を通るか通らないかという程大きい。この雰囲気満点の並びにティレイラの好奇心は疼いてしょうがなかった。ただのシリューナのコレクションなのか魔法道具の類なのか、判別がつかないのが難点だが。
 見たいだけで疾しい気持ちなんて欠片もないけれど、持ち主がいない時に隠れ見るというのは妙な興奮を伴う。
 神社にある像と似ている。ただ、物を咥えているのは初めて見た。近寄って顔を寄せて、ようやくティレイラはそれが紅い宝玉だと理解した。視界の隅で輝いていたのはこの宝石だったのか。シリューナの髪飾りを色だけ変えたような、煌びやかではないがシンプルな美しさがある石。そんなことを思いながら首を傾けていると、表面に何か模様が刻まれていることに気付いた。
「見覚えがあるような、ないような……うーん、気になる!」
 引っかかるのに像が咥えているせいで前の方しか見えない。それがもどかしくて、ティレイラは手を伸ばした。と。
「――あっ!!」
 向きをずらせないかとつまんだ瞬間、嵌まっていたのが嘘のように狐の顎からポロリと落ちる。持ち前の反射神経で上手くキャッチ――出来ればよかったが、突然の事態に反応が追いつかず。手は空を切り、硬い音を立てて宝玉は床にぶつかり跳ねた。然程離れていない所に転がったそれにティレイラは駆け寄ると、拾い上げて太陽に透かすかのように掲げてみる。
「傷は……入ってないっぽい、かな?」
 模様は彫刻ではないらしく、つるつるした表面だ。回して見ると鳥居と鍵、それから狐面らしき物が描かれているのが分かる。
「良かったぁ」
 冷や汗はかいたものの、喉元を過ぎれば何とやら。傷がつかなかったなら宝玉の全容が見れて、むしろ得した気分だ。とはいえ元に戻せなければ――。考えると怖くなり、ティレイラは慌てて像の前に駆け戻った。過去の経験が動揺を誘って箱を思い切り蹴飛ばしたし、手はぷるぷると震えている。動転した頭で嵌め直そうとしても、より悲惨な状況を招きかねないと危惧したティレイラは、魔法の練習中に制御が上手くいかず焦れば焦る程悪化した時の助言を思い出す。
「しっ、深呼吸……」
 意識してもそう易々と心は落ち着いてもくれない。無意識に助けを求めて視線を巡らせ、目についたのは古ぼけた鏡だった。己を客観視するのが大事だとも言っていた気がする。そうして宝玉を祈るように抱えつつティレイラは鏡の前に立ち。そして警察に通報されかねない勢いの悲鳴をあげた。

 響き渡る絶叫にシリューナは菓子折りを落としかけた。仕入れた品の確認を済ませた時、そこにティレイラの姿はなく。確認済みの物が大体消えていたので、何度目かの運搬をしているのだろうと思って彼女と自分を労い、茶菓子を用意しに台所に来た矢先だった。こちらに来る際にも物音がしていたので嫌な予感はあったのだが。
 倉庫に入れば「うっうっ」と怪談に出てきそうな女の啜り泣く声が聞こえる。声の主が誰かは考えるまでもない。声のする方へ歩みを進めれば、すぐその姿は見つかった。見慣れた物とは若干違っているが。
「ティレ、あなた……」
「うぅ〜、ごめんなさい〜!」
 叱られると勘違いしたのか、涙ぐんだ声でティレイラが言ってくる。その瞳もうるうると煌めいていて可愛いが、これは別に珍しい光景ではない。そうではなく。
 ティレイラが勘違いするのも当然の惨状ではあった。外気に触れると変質する為、厳重に密閉してあった箱は穴が開いている上に、ダイブでもしたか上部はひしゃげ、火の魔法による焦げ目のおまけつきだ。その上に置いてあった預かり物の狐の像はといえば、彼女が抱え込んでいるのだがその口元に宝玉はなく、握り込んだ彼女の手の隙間から紅い物が垣間見える。それらも可愛い悪戯ねでは済ませられないのだが、何よりも衝撃的なのはティレイラの姿だ。
 耳が生えている。人間の物でも本来の物でもない獣耳がだ。
 生えている耳も黒い毛並みだが、左耳は髪と同じで一部がうっすら紫色に染まっている。背中側に回ればチラチラと揺れていた尻尾もよく見えた。こちらも黒い。しかし動物は門外漢のシリューナでも何が原因か分かる。何せこれは狐の像が持つ力なのだ。狐に化かされる――まさに文字通り。面白い物を見た、というのが率直な感想だった。
「あっあのっ、お姉さまっ!」
「――なぁに、ティレ」
 ふかふかの尻尾を撫でていると、ティレイラが振り向きつつ上擦った声で言ってくる。
「壊した物は弁償するので! だから、そのぉ……」
 彼女が言い淀んだ隙にシリューナはにっこり微笑んだ。それで先の展開を察して、可愛い可愛い妹分はぴたりと体の動きを止める。
「ちゃんと反省するようにお仕置きしてあげないと」
 ダメね、の三音を耳に吹き込み。像と宝玉を回収してシリューナが離れると、ティレイラは我慢し切れずといった風に叫んだ。
「そ、それだけは許してください、お姉さま!」
 構わず彼女へ向けた指先に息を吹きかければ、その足元からミシミシと小さく軋む音が聞こえる。ティレイラも黙って受け入れる気はないようで精一杯魔力を振り絞って抵抗を試みているが、二人の関係を考えれば結果は言うまでもなく。その健康的な肌を覆う魔力をシリューナの量も技術も圧倒的な魔法が引き剥がしていく。
「やっぱりこうなっちゃうの〜!?」
 急速にティレイラの足先から頭部へ這い上り、石像が完成した。生物を石化させる呪術だ、嬲るように時間をかけられるが、シリューナの反応を楽しみたいだけで彼女を嗜虐する趣味はない。それに、彼女を美術品に仕立て上げるのなら苦痛や恐怖に歪んだ表情ではあってはならない。
 もう一度ティレイラの目の前まで歩み寄ると、シリューナはその頬に手をかけた。幼さの残る丸みを帯びた曲線が手のひらに程よく馴染み。壊れ物を扱うがごとく触れた指に、玉のようにすべらかな感触が伝わってくる。それは人の姿の時の彼女と何ら変わりないのに、先程まであったはずの体温は失われていた。勿論実際に死んでしまったわけではないし、解こうと思えば今すぐにでも解くことは可能だ。しかしそれではお仕置きにはならない。それに、彼女に呪術をかけて反応を見るのも美術品を愛でるのもシリューナの大きな楽しみの一つで。要するにこれは趣味と実益を兼ねた行為なのだ。
「だからもう少しだけ、ね……」
 独り言には熱情が注ぎ込まれていた。

 怖いと思う瞬間はある。だからお仕置きされると分かったら、自分に非があると分かっていても抵抗してしまうのだ。しかし同時に知っている。触れる温もりを、自分を見る優しい眼差しを。そして思い出した。やはりあれは予知夢だったのだ。
 今、ティレイラもシリューナを見ている。淡く染まる頬、涙の膜が張った瞳、笑みの形に歪んだ口唇。昂揚したシリューナの姿を見られるのはきっと、自分だけ。だから、彼女を嫌いになれない。どんどん惹き込まれていく。
 日常はいつだって幸福に満ちている。

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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【3785/シリューナ・リュクテイア/女/212/魔法薬屋】
【3733/ファルス・ティレイラ/女/15/配達屋さん(なんでも屋さん)】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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ここまで目を通していただき、ありがとうございます。
すごく丁寧な説明があったので二人の性格や状況を想像しやすかったです。
楽しすぎて文字数を大幅に超過してしまい、削るのが大変なくらいでした。
同族で師弟で姉妹のようでもある、そんな強い結びつきの二人が好きです。
今回は本当にありがとうございました!
東京怪談ノベル(パーティ) -
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東京怪談
2018年10月12日

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