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『蠱毒の船』
フェイト・−8636


 親父は船乗りだった、らしい。俺は顔を知らない。
 船乗りなら、いろんな国の港町で、女とよろしくやっていたのだろう。俺のおふくろも、そんな女の1人に過ぎないのだろう。世界中に、俺の兄弟がいるに違いない。
 というのはまあ、俺の勝手な思い込みだ。
 親父に対しては、特に思うところはない。恨んでいるわけでもない。自分では、そのつもりだ。
 ガキの頃の俺が、警察の世話になりっぱなしの暴れ者だったのは、俺自身が救いようのない大バカだったからだ。親父がいなかった事とは何の関係もない。
 とにかく俺も18歳になり、俺でも入れるような高校を卒業し、大学になど行けるわけがないから就職した。
 IO2エージェントという、俺のようなバカでも出来る体力仕事だ。
 仕事である以上、上司という奴と付き合わなければならない。
 俺は、文化系の中坊みたいな男の下に配属された。
 ある時、そいつと模擬戦闘をやる事になった。
 小中高と俺は喧嘩に明け暮れ、負けた事がない。半グレを10人ほど、1人で叩きのめした事もある。
 イジメだけは、した事がない。
 正直、気が進まなかったが、模擬戦ならば仕方がない。
 俺より3つも4つも年上とは思えない、その男は、常に緑色のカラーコンタクトを付けていた。オシャレのつもりであろうか。
 とにかく、顔は殴らないでおいてやろう。模擬戦が始まる前は、俺はそう思っていた。
 開始の合図から数十秒後には、そんな考えは消え失せていた。
 俺はそいつの、顔を殴りにいった。金的を潰しにいった。噛みつきにいった。
 何も出来ず、俺は叩きのめされていた。
 フェイト。
 俺の初めての上司は、そう名乗った。もちろん本名ではない、エージェントネームというやつだ。
 俺にはまだ、そんなものは許可されていない。今の俺は本名を名乗る資格すらない、単なる見習いエージェント68号だ。
 それでいい、と俺は思う。
 格好を付けるのは、このフェイトとかいう弱そうな男の顔面に一発ぶち込めるようになってからだ。


 鼠が、まるで熊のようになっていた。
 腐敗しながら巨大化し、毛むくじゃらの獣皮が所々で破けて、腐った肉や臓物が露出している。
 そんな、かつて鼠であった死せる獣の群れが、牙を剥いて全方向から襲いかかって来る。
 フェイトは跳躍した。身にまとう黒のスーツが、激しくはためいた。まるで烏か蝙蝠の翼のように。
 それと共に、銃撃が迸る。左右2丁の拳銃。空中からのフルオート掃射。
 死せる獣たちが、銃弾の嵐に薙ぎ払われて砕け散る。
 大量の腐肉が飛散する光景の真っただ中に、フェイトは着地した。左右それぞれの手で、拳銃が空の弾倉を排出する。
 フェイトの懐、黒いスーツの内ポケットから、新たな弾倉が飛び出して左右の銃把に吸い込まれ、装填された。
 念動力の使用は、気力の消耗をもたらす。最小限に抑えたいのが正直なところではあるが。
「面倒臭がらずに、手で装填した方がいいのかな……おっ、と」
 床が揺れた。
 地震、ではない。ここは海の上である。
 日本国籍の、大型貨物船。
 20年近く前に遭難し、行方が分からなくなっていたものであるらしい。
 それが突然、太平洋上で発見され、日本へ向かっている。
 海保の依頼を受けたIO2が、こうしてエージェントを派遣したというわけだ。
 IO2の特殊能力者による事前調査では、この船に関してはとにかく『正常な状態ではない』という事しかわからなかった。
 だから、こうして輸送ヘリから甲板上に着地し、調査を開始した。
 調査が、そのまま戦闘任務へと移行した。IO2で働いていれば、よくある事だ。
 ともかく、船が揺れた。
 体勢を崩したフェイトに、死せる獣たちが襲いかかる。
「させねえ!」
 大柄な人影が、猛然と踏み込んで来た。
 速度と重量を兼ね備えた右ストレートが、左ロングフックが、死せる獣たちを粉砕してゆく。
 装甲グローブをまとう、左右の拳。
 いや拳だけではない。筋骨たくましい全身が、機械の甲冑に包まれている。顔面も、今は厳つい装甲マスクの中である。
 以前、一時期、フェイトが装着使用していたものの、改良品と言うべきか。
「誰が、あれをIO2の技術部に持ち込んだのか……は、まあ考えないでおくとして」
 フェイトは咳払いをした。
「助かったよ、見習い68号。だけど張り切りすぎるなよ。お前、それの実験台にされているんだからな」
「モルモットでも何でも、やってやりますよ」
 襲い来る死獣たちを、装甲の拳で片っ端から叩き潰しながら、見習いエージェント68号は笑う。
 この男の、少なくとも体力だけはフェイトよりも上だ。装着型新兵器の実験台としては適任であろう。
「フェイト隊長、あんたの目……カラコンじゃ、なかったんすね」
「……隊長はやめろ」
「思いっきりパンチ入れても、大丈夫って事っすよね。ま、手加減はしますけど」
「帰ったら、また戦闘訓練で絞り上げてやる……生きて、帰るぞ」
「はい……!」
 フェイトと68号は、背中合わせの体勢を取っていた。
 まだ大量に生き残っている死獣たちが、あらゆる方向で牙を剥いている。
 腐臭を発する包囲網の一角が、さっと開いた。モーゼに開かれた海の如く。
 だが現れたのは、大勢のヘブライ人を率いる聖者などではない。
 1人の、すでに生きてはいない男であった。
 白骨死体が、かつて衣服であったボロ布を全身にこびりつかせたまま、よたよたと歩いている。
 そのボロ布に、ネームプレートが引っかかっていた。フェイトは目を凝らした。辛うじて読み取れる。船長の肩書きと、人名。
「なるほど、ね……とっくの昔に燃料の切れた船を、こんなふうに動かしているのは、あんたの力か」
 死せる船長に、フェイトは声を投げた。
「死んで、人外のものに成り果ててまで……帰りたいんだな、日本に。だけど申し訳ない、あんたを含めて化け物ばかり満載した船、日本へ近付けるわけにはいかない」
 フェイトは、船長に拳銃を向けた。
「ここで、沈んでもらう……」
「待って隊長、骸骨相手に拳銃って相性あんま良くないっしょ。だから俺が!」
 68号が、殴りかかって行く。
 待て、とフェイトが言う暇もなく、船長の攻撃が来た。
 白骨化した全身から、この船を動かしている力が迸る。
 怨念の力、とでも言うべきか。フェイトの念動力と、広義では同質の力か。
 ともかく68号もろとも、フェイトは吹っ飛んでいた。
 甲板に激突し、辛うじて受け身を取り、立ち上がる。
 68号は、倒れたままだ。装甲マスクが破損し、血まみれの素顔が露わになっている。
「ぐっ……てめ……ッ!」
 歯を食いしばる苦痛の形相を見て、船長が動きを止めた。フェイトには、そのように見えた。
 力の、第2撃目が、放たれて来ない。
 船長は、震えているようでもあった。
「あんたは……日本へ帰りたかった、って言うよりも……」
 届かぬ言葉をかけながら、フェイトは引き金を引いた。
「……家族の所へ、帰りたかったんだな」
 念動力を宿した銃弾が、船長の頭蓋骨を粉砕した。
 頭蓋骨のみならず全身をサラサラと崩壊させながら、船長は消滅してゆく。
 死獣たちが、単なる鼠の死骸へと戻ってゆく。
 この船で一体、何が起こったのかは、これから調べる事になるだろう。とりあえず障害は排除した。
 68号が、倒れたまま呟く。
「隊長、言いましたっけ前……俺の親父、船乗りだったんすよ……」
「……隊長はよせ」
 他に、言える事はなかった。


登場人物一覧
【8636/フェイト/男/22歳/IO2エージェント】
東京怪談ノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2018年10月16日

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