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『伝わったこと 』
彪姫 千代jb0742

(‥‥ここも違うか)

 彪姫千代は夕暮れに沈みつつある小さな公園を俯瞰していた。
 落胆というほどの感情はない。たぶん違うだろう、と思っていたから。

 あの、不思議な出会いの日。黄昏時に迷い込んだ公園はどこにあったのか。千代は覚えていなかった。気がついたらあの場所にいて、気がついたら帰ってきていた。
 ただの夢だったのかもしれない。
 だがまどろみの中で見るおぼろな夢とは違い、あの時の光景は、かけられた言葉は、今でもはっきりと記憶に残っている。

 あれ以来千代は折を見ては、あの時の景色を探して公園を訪れていた。

 会えるなら、もう一度会いたいと思う。また一瞬の邂逅に過ぎなかったとしても──。
 自分を包み込むように覆ったあの大きくてあたたかい影を思い出す度、千代は居ても立ってもいられなくなるような衝動を覚えていた。求めることで、何かを得られるのではないかと、あてどもない欲求を抱いて、同じ景色を探し続けていたのだった。

   *

 深夜、千代は眠れずに、壁際にうずくまっていた。
 体中を、黒い嵐が吹き荒れている。それはある時を境に彼の中に芽生えた、憎しみという感情のうねりだった。
 知らないものには抗いようがない。そしてかつての千代は、防ぐすべも持っていなかった。
「出て行け!」
 叫んでも黒いうねりはそこにいつまでもあり続けた。天魔に対抗し、病気をも跳ね返すアウルの力も、このときばかりは何の役にも立たない。
 千代はただひたすらに目を閉じて、嵐が収まるのを待つばかりだった──あの時までは。

 いま千代は、黒い嵐を冷静に見上げていた。
 嵐は今日も確かに吹き荒れている。だが千代のこころは侵されていなかった。

 あの日──みっともなく泣き叫んだ千代を、黙って受け止めていてくれたこと。
 優しく抱きしめてくれたこと。
 愛していると、言ってくれたこと。

 夢にしか思えないような出来事だったとしても‥‥。
(俺は、信じてる。ほんとうだったって)

 黒い嵐はいまもある。当然だ。これは自分自身の感情なのだから。
 どこにも行かない。消えることもない。ずっとそこにある。
(でも──)
 千代は、嵐へ向け腕を伸ばした。



 ある日の夕刻、千代は町を歩いていた。
 今日は特に公園を訪れようと考えていたわけではない。ただ、足が向くままにしていたら、いつしか住宅街の狭間にある、小さな公園にたどり着いていた。
 すこし、あの公園と似ているな──そう思って、敷地の外から覗きこむ。
 広場で、夕陽の逆光に照らされた影が二つ、動いていた。
 子供と、大人の男だ。二人は十メートルほどの距離を空けて立っていた。大人が腕を上げてみせると、子供は体いっぱいに振りかぶった。
「えいっ」
 声とともに放たれた黒い影──ボールがやまなりの弧を描いて、大人に向かって飛んでいく。
「よし、いいぞ!」
 手前でワンバウンドしたボールを拾い上げた大人が、子供に向かって威勢良く声をかけた。そして子供が放ったのと同じくらい山なりのゆっくりとしたボールを投げ返す。子供は上手くキャッチできずに、てんてんと転がったボールを懸命に追いかけ拾い上げると、また思い切り振りかぶって、ボールを投げる──。

 なんてことはない二人のキャッチボールを、千代は無言で見つめていた。一瞬も目を逸らさず、ずっと見ていた。
 自分の記憶にはない光景。あるいは、求めていたのかもしれない、その光景を。

 子供の投げたボールが大きく逸れて、大人の伸ばした指先をかすめて転がった。ボールは土の地面を跳ねて、入り口付近に立っていた千代の足下まで転がってきた。
 何の変哲もない、グリーンのゴムボール。
「すみません」
 千代に向かって呼びかけながら、大人が駆け寄ってきた。千代が拾うだろうと思ったのか、ボールより少し手前で立ち止まる。
 千代はボールを拾い上げた。柔らかい手触りを確認するように一度握ると、離れたところで待っている子供の方を見やった。

「──あんたの子供、か?」
 口をついて出たのはそんな言葉だった。
 突然問いかけられた大人は一瞬面食らったものの、すぐに笑顔を浮かべた。
「ええ、私の息子です」
 何の含みもない、ただ愛情だけのこもった言葉。
「そうか」
 千代はそう呟き、ボールを投げ返した。親子に背中を向けて公園の外へ向かう。
 夕焼けの時間は終わろうとしていた。


 こころが、不思議と充足していた。

 ──愛しているんだぜ。

 きっとその言葉だけで、十分だったのだろう。ただ少し、居場所が定まっていなかっただけで。
 いまはもう、こころの一箇所にしっかりとはまり込んでいる、そんな気がした。
 もう明日からは、夕刻に公園を探すこともない。
 もちろん、会えるものならもう一度会いたい。けれど、それはいまでなくともいいと思えた。
(いつか──)
 またどこかで、会えたなら。

 あの時言えなかったことを、しっかりと伝えられる、そんな自分でありたいと思った。


 その日の夜は、黒い嵐は吹き荒れることなく、千代はぐっすりと眠ったのだった。



 過去と現在と未来はつながっていて、自分を好きなように作り替えることなんてできない。
 嵐のような感情に翻弄された期間を無かったことにはできないし、全く元のように戻ることも到底できない。

(それでも、いまの俺には、あの言葉がある)

 嵐に吹かれても、しっかりと立っていられる土台を手に入れたのだ。
(だから、俺はちゃんと歩いていける)


 ドアを開けると、青く澄んだ秋空が広がっていた。
 千代は一度、小さく胸をたたく。

「いってくるぞ‥‥父さん」

 そして、今日の一歩を踏み出した。




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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【jb0742/彪姫 千代/男/16/愛する息子だぜ】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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少年がほんの少しだけ、大人になる物語。執筆の機会をいただけたことに感謝します。
ご依頼ありがとうございました。イメージに沿うものとなっていましたら幸いです。
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嶋本圭太郎 クリエイターズルームへ
エリュシオン
2018年10月23日

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