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『きせき 』
矢野 胡桃ja2617



 ――君が嫌でさえなければ、いつか、伊豆や富士山にも行きたいと……思っている
 ――喜んでご一緒するわ
 交わした約束は、決して消えることなく。
 ましろのゆきのように、しずかにしずかに、降り積もる。
 なにものにも染まらぬ色で。




 富士山。
 数年前まで死天使サリエルの領地であり荒廃していた、日本の最高峰。
 それも今は昔、強靭な自然の力で山麓の緑は取り戻され、美しく佇んでいる。
 夏が過ぎ秋が来て、冬を前に山頂は雪化粧に彩られていた。

 一泊二日の外出許可を得て、矢野 胡桃とヴェズルフェルニルが訪れたのは静岡県・伊豆の国市。
 かつて、ヴェズルフェルニルが東方で活動する使徒リカと呼応してゲリラ戦を展開していた地域だ。
 街々は復興しており、温泉地にあるロープウェイに乗れば富士山を一望できる公園がある。
 2人は金木犀の香る茶寮のテラス席で暖かな日本茶を味わいながら小休憩をしていた。

「冬に、あんな場所で戦うなんて……正気を疑うわ、ね」
「まったくだ」
 胡桃のもっともな呟きに、遠い山頂へ目を向けるヴェズルフェルニルは苦く笑った。
 彼女は9月の末に20歳を迎え、背まで伸びた髪は白銀へ近くなっていた。
 そして記憶の欠落は着実に進行している。
 それでも。たいせつなひと。たいせつなこと。カケラとなって、幾つかは今も残っている。
 何かの拍子に浮上することもあった。
「自分でも不思議、なの。昨日のことすら消えてゆくのに……」
 髪先を留める白いリボンに指先で触れながら、胡桃は不思議と、あの地で感じた雪の冷たさを感じていた。
「……執念かしら、ね?」
「忘れたくとも忘れられないこともあるさ」
「あら……。貴方は忘れたかったの?」
「思い出すだけで血が凍る」
 富士山頂の吹雪の中の、追討令。正気の沙汰じゃない。
 痛み分けともいえる結果で、彼は逃げ延びたわけだが……
「それでも、たいせつな足跡だ。今は……あの山が自然の手に戻ってよかったと思う」
「そう、ね。ひとの手にも余るはず、だわ」
 撃退士の能力をもってしても、あの山を登るのは容易ではない。
 切り拓き何がしかに活用するより、自然を守り保存することが尊いように思う。
「海と山は、ひとの信仰の起源だね。神も天使も関係なく、こころが勝手に動くんだ」
「……信仰」
 天魔は、それを己に転換させることで人間たちからエネルギーを吸収していたとか。
「貴方も、天使……だったのよ、ね」
 崇められていたのかしら?
 からかう胡桃へ、ヴェズルフェルニルは深々と溜息をつく。
「それを言うなら胡桃、きみだって同じだ」
「私?」
「御本尊とばかりに、多治見へ連絡が来るだろう。参拝客とか」
「あれは違うったら」
 西方のとある島では、知らぬうちに『矢野 胡桃』が神格化されているらしい……?
「観光が潤って、非常に感謝していると役所でも話題になっているよ」
「……話題にしないで……」
 忘れようにも来客の度に語られては『そういうものか』『いや違う』を繰り返し、繰り返していることだけが記憶に残るという珍現象を起こしている。
「……ヴェズルフェルニル?」
「うん……。座りっぱなしだと冷えるね。少し歩こうか」
 何か言いたげな眼差しに気づいて名を呼ぶも、はぐらかされてしまう。
 秋風の寒さは本当だから、胡桃は小首をかしげながらも一緒に席を立った。




 かわいらしい山茶花を背に歩いてゆくと、その先には見事な紅葉が出迎える。
 空中公園という名にふさわしい板張りの道の両端はなだらかな――
「……崖、かし、ら」
「ああ。まるで空中にいるようだね」
「手すり、手すりは……?」
「お手をどうぞ、お姫様」
「べ、べつに高いところが怖いわけ、では、ない……のよ?」
「まあ、吊り橋だと思って」
「っっっ!」
 飛行能力があるからといって、撃退士だからといって、安全が確保されていても……一歩進むごとに軋む足元にはドキッとしてしまう。
 不安がる胡桃に構わず、健脚のご老人夫婦がスタスタと追い越していったりもする。
「うううう……」
 強がるところではない、はず。甘えても大丈夫、のはず。
 でも、なんだか悔しい。
 行き先は任せると言ったけれど、このルートも承知の上だったのだろうか。
 学園を卒業して、多治見で暮らすようになって。ヴェズルフェルニルと過ごす時間を重ねても、『甘える』ことにはどうにも慣れない。
「寒い、から。だから」
「うん」
 薄手のコートの上から、彼の腕に身を寄せる。暖かい。
「予想以上の風避け、ね」
「……お役に立てて何より」
 思わず口を突いて出た色気のない言葉に、今度はヴェズルフェルニルが拗ねたような声を返す。
「冗談、よ。ありがとう。とても暖かい、し、安心する、わ」
「こうでもしないと手をのばしてくれないからね。わたしのお姫様は」
 多治見の街では、カラスは功罪を背負う存在だ。
 おおむね許されたからこそ外泊の許可も下りるようになったものの、快く思わないひとびとだっている。
 そんな彼を思えば、胡桃としても往来で大胆な行動に でたいわけではない、わけではないがでることも気が引ける。
 極端に近づかなくたって、伝わるものはあるから。
 そうして過ごしてきたけれど……今は、旅先。

「ほら、見てごらん。木々の合間から海が見えるよ。空よりも濃い」

 風が吹く。乾いた葉が擦れ合い、音を立てる。黄金の向こうに、深い深い青。
 どこまでも広がり、全てと繋がる空と海の色。
 様々な色彩が、香りが、胡桃の胸に吹きこんでくる。
 おそらく、消えてしまった記憶のカケラたち。
 取り戻すことは出来ない、だけど完全に消えることはない、きらめきの輪郭。
 いくつ、体験したのだろう。
 どんなことを、感じたのだろう。
 私は、泣いた? 笑った? 怒ったかもしれない。
 記憶の輪郭は、時おり胡桃の胸をツキンと刺した。
「私は幸せ、だわ。ねえ、ヴェズルフェルニル」
 胡桃の記憶が消えたとしても、過去が無くなるわけではない。
 危うげな足元でも、支えてくれる暖かな腕があって。
 胡桃を覚えていてくれる人がいて。
 逢いに来てくれる。手紙を送ってくれる。
 交わした約束を果たす。明日を心待ちにする。


 ゆきのように、きえてゆく。
 ゆきのように、つみかさねてゆく。

 はるの花の香り。
 なつの川の音。
 あきの山の色。
 ふゆの雪の温度。

 胡桃が生まれて、今までずっとずっと、四季は繰り返してきた。
 その傍らに、何がしかの思い出があった。
 季節を感じることは、『矢野 胡桃』の存在証明だ。




 黄金の道の先に――

 心底あきれた表情で、胡桃は頭上の鐘を見上げていた。
「まさかとは、思うけれど。これが目的だった、なんて言わないわよ、ね?」
「え?」

 ――恋人の聖地。幸せの鐘。

「吹き飛ばさなかったのも、縁かと思って」
「山ひとつ、吹き飛ばされてたまるものですか」
「胡桃は、こういうの信じない?」
「貴方が信じるという方が、意外、よ?」
「信心というのは各々の胸にあるものだよ」
「ちょっと何言ってるのかわからない、わ。あっ、ひとりで鳴らさないで、ほら、タイミングを合わせる、から」


 幸せだって誓いだって、とうの昔に果たしているじゃない?


 なんて心の中で言ってみて、胡桃は手をのばす。ヴェズルフェルニルの大きな手のひらがそっと重なって、鐘は軽やかな音を空へ響かせた。
 これまでと、これからの、きせきの音を。




【きせき 了】


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ja2617  / 矢野 胡桃 / 女 / 20歳 /ヴェズルフェルニルの姫君】
【jz0288  /カラス(ヴェズルフェルニル)/ 男 / 28歳 / 多治見の堕天使】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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ご依頼ありがとうございました。
20歳を迎えた秋のエピソードをお届けいたします。
美しい富士山を眺めながら、思い出の地にて。
たくさんのきせきを重ね、『今』へ到着したきせきに祝福の鐘を。
楽しんで頂けましたら幸いです。
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佐嶋 ちよみ クリエイターズルームへ
エリュシオン
2018年11月02日

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