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『モノクローム 』
ケイ・リヒャルトja0004


 色づきの季節は終わり、木々から衣が落ちてゆく。
 厳しい季節に備え、街から色彩が消えてゆく。
 頬を打つ風は乾いて冷たい。

 外へ、出たのなら。
 落ちた葉を踏む音や
 冷たい風を凌ぐコートを選ぶ楽しさや
 来たるべき季節へ向かう彩りに、
 気づいたのかも しれないけれど。




 窓から差し込む陽光の下で、愛しい白猫2匹がまどろんでいる。
 ケイ・リヒャルトは柔らかな毛へ指先を伸ばし、触れる前にベッドへ落とす。
 絹のような黒髪をシーツに広げたまま、ゆるりと寝返りを打つ。
 懐かしい夢を見た。
 懐かしい、というにはまだ浅いかもしれないけれど、遠いことだと思いたかった。そんな日の、夢を見た。
 全てを見届け、胸は幸福で満たされているはずだったのに……夢を見た朝は、いつも体が鉛のように重い。

(どうして)
 声は、音にならなかった。喉の奥が乾燥している。
(ああ、これでは)
 歌を歌えない。

 加湿器を付けて。レースのカーテンを開けて、空気の入替もしなくちゃ。
 朝食は何にしようかしら。
 今日はホットミルクにジンジャーを入れましょう。
 ゆっくり、ゆっくり、『今日』に向けて意識を働かせようとするけれど。体がどうしても、ついていかなくて。
(だって)
 胸の奥底に淀む感情の名前が、ケイには解からないのだ。

(愛しているから)

 ――彼には幸せになってほしい。
 それが、ケイの願いだった。
 彼の傍に居るのが、ケイではなくても構わない。
 願いは通じ、彼は幸せになった。

(なのに――……どうして)

 彼の幸せは、あたしの願い。
 願いが叶ったら、幸せを感じるのでは ないの?

 指先に力が入らない。触れたいと思う、白い毛並みに届かない。

「ねえ」

 どうして?




 群れを知らない漆黒の蝶が、森の中を舞っている。
 彼女は孤独を知らなかった。それが孤独ということを知らなかった。
 それでも充分に幸せだった。彼女は不幸というものを知らなかった。

 やがて見つけたのは、一輪の美しい花。
「あなたは誰?」
 漆黒の蝶が尋ねる。
 美しい花は答える。
 花は――彼には、想う相手がいるのだという。けれど、距離を置かなくてはいけないのだという。
 忘れなくてはいけないと、彼は言った。
「それなら、あたしがあなたの傍に居ましょうか?」
 蝶が蜜を吸うと、漆黒の羽は花と同じ美しい色合いへ変化した。
 蜜の味は優しく、蝶の心を温かくした。
 花は嬉しそうに、風に揺れた。気がした。




 何がきっかけで、どんないたずらで、あんなことになったのか……
 彼には想い人が居た。
 けれど、彼と想われ人は『自身ら共通の愛しい人』を守るため、互いに距離を開けていった。

 想う相手を、簡単に忘れることなんてできるだろうか?

 彼の様子を見ていれば、それは『否』と容易にわかる。
 だから、ケイは手を差し伸べた。
 あなたの決意が本物で、そのために行動が必要ならば。
 あなたの蜜を、あたしに頂戴。


 そして蝶と花は、深い深い泥の沼へ繋がりながら沈んでゆく。




 花の蜜の味を知る蝶は、本当は知っていた。

(彼は、忘れることなんてできていない)

 心や言葉よりも雄弁な温もりを通して、ケイは勘づいていた。

(あなたは気づいていないのね)

 時には聖母のように包み込みながら、『今はそれで良い』と考える。思いこむ。
 今は忘れられなくても。
 いつか、心が本当に――……
 慰め合う、穴を埋め合う、それだけではなくて。
 慈しみ、愛おしむ、そんな感情を互いに抱く日が来るのなら。


 甘いのに、甘くない。
 優しいのに、優しくない。
 あたたかいのに、冷たい。
 それは、あたしもあなたもいっしょ。


 同じ十字架を、それと知らず背負う関係が、いつまでもいつまでも
 続くだなんて、本当に思っていたのかしら。




 動けずにいたケイの細い指先に、ふわりとした毛が絡みつく。
 2匹の白猫。短毛の名は『ヴァイス』、長毛の名は『シュネー』。ケイの愛しい同居人たち。
 彼女の目覚めに気づき、2匹はおはようの挨拶をする。
「……ふふ」
 いきものの温かさに触れ、ようやくケイの表情に笑みが浮かんだ。
「おはよう。ごはんにしましょうか」
 今までの重さが嘘のように、ケイは身を起こして髪を背へ払った。


 シャワーを浴びて、朝食を用意して……
 習慣となった行動は、深い考えを持たずとも身体が動く。
 先ほどまで指の1本さえ動かせなかったことが嘘のよう。
 ケイが朝食をとる傍らで、同居人たちはゆったりと毛づくろいをしている。
 昨日と同じ朝。いつもと同じ朝。光景だけならば。
(幸せ……だわ)
 この、静かな朝を、そう思う。
 穏やかで、あたたかで、柔らかい。
 誰も何かを傷つけることがない。
(だって、知っていたもの)
 彼の心は、すでに根を張り揺らぐことなどできなかったこと。
 ケイが、彼に出来ることは限られていたこと。
 経緯も、結果も、最善だった。
 そのことは、ケイ自身がよく知っている。

 それでも今でも、夢に見る。




 窓を開ける。
 吹き込む風は、冷たくもどこか清々しい。
 ケイは顔を空に向けて目を閉じる。

 空の青。落ち葉の黄や赤。歩く人々のコート。

 世界は色で溢れているのに、全てが色あせて感じるのは季節のせいだろうか。
「……ああ」
 ため息がこぼれた。
 ――、――――……
 そのまま、発声の練習をする。
 透明感のある歌声は、空のどこまでもどこまでも伸びてゆく。
 お気に入りのヴォカリーズ。
 彼と居る時にも、よく歌った。

(黒い蝶を色づかせてくれた、優しく美しい花はもう居ない)

 蜜の味を知って体温を知って、けれどもう得ることは叶わない。
 蝶は、再び漆黒の羽に戻るだけ。
(あたしは……、また1人で生きていくだけ)
 さいしょから、そうであったように。もどる。それだけのこと。
 ひとときでも、花は美しい色合いと優しい蜜をくれた。
 そのことに、感謝の思いしか ない、はずなのに
 
 歌声が、微かに震える。

 彩りを喪った世界は、そのまま黒い穴が空いたよう。
 穴からは、得体のしれぬ液体が音を立てて染みだしている。
 じゅく
  じゅく、じゅく、
 穴の縁から溶かしていくような、痛みを伴う何か。

「あたしは」

 無意識に、ケイは歌を止めていた。何かへ抗うように声を発し、同時に頬を伝うものに気づく。
「……どうして」


 涙、を?


(彼は、あたしの望んだ通りに幸せになったのに……?)




 真っ黒な世界の中、ケイの肌だけが白い。その頬を、透明な雫が一筋流れる。
(痛い)
 涙の熱さを、痛みと感じる。
(これでは歌えない……)
 痛いのは、頬だけではなかった。
 胸が、細身のナイフで貫かれたかのように、痛い。
 胸元に手を重ねる。放して、広げて、手のひらを見る。
 赤い花びらが、風に乗って何処かへと散ってゆく。
 悲しみが花の姿をとって、次から次からあふれでる。
(……悲しかった、のね)
 それを知ったからといって、ケイの選択が変わることはない。

 今は、その感情を抱き締めるだけ。






 大丈夫よ。
 あなたはだいじょうぶ。

 愛していた。愛していたのよ。
 だから、幸せを願うの。
 あなたが幸せであるように、あたしは願うわ。祈るの。そうして、背中を押してあげるわ。

 あたしは、だいじょうぶだから。




【モノクローム 了】


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ja0004 / ケイ・リヒャルト / 女 / 20歳 / 黒揚羽の歌姫】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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ご依頼ありがとうございました。
彩りを喪ったワンシーンをお届けいたします。
楽しんでいただけましたら幸いです。
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佐嶋 ちよみ クリエイターズルームへ
エリュシオン
2018年11月05日

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