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『incense"Doors" 』
踏青 クルドaa1641hero002

抗えない。
本能に直接訴えてくる。
記憶を呼び覚ます。いや、引きずりだす。
大げさでなく、魂を揺さぶりうるものになる。
それが、「香」だ。
東洋には「反魂香」なる、彼岸の魂すら喚ぶ薫香も、古の時代にはあったという。
だからクルドは「香」に惹かれてやまない――などというより、それと共にあるのが息をするに等しくなって久しい。唇に香のパイプを銜え、暇さえあれば調香に明け暮れるのはそれゆえだ。

よく晴れた日の昼下がり、車輪亭の薄暗い自室で、クルドは黙然として調香道具と向き合っていた。
調香には当然セオリーがあるが、全くの偶然に生まれる香りもある。一度きりしか出会えない、奇跡の香。その一度を逃したくなかった。昨夜から一睡もしていない。

没薬、乳香、安息香、……
香の調合は、匂いが良くて云々などという生ぬるいものではない。肉体と精神にじかに作用してくる。
乳鉢の中で熱されてゆく数々の樹脂や木皮の小さな塊から、薄らと細いゆらぎが立ち昇りはじめる。
キリストの降誕では賢人たちが捧げた。
遠い昔にはミイラ造りに用いられた。
生者と死者の境を超えて働きかけるもの、それが「香」だ。
この時ばかりは、常に銜えているパイプも取って卓に置く。一切の香りあるものへの礼儀として。
強い香気が鼻腔に満ち、脳髄を痺れさせてゆく。
精神の淵に墜落していくかのような感覚があった。
暗い意識の中にひとつ、またひとつ、と星のように浮かびあがってきたのは、映像の断片、音と声の断片だ。目を凝らすようにして見れば、その一つ一つはクルドが経てきた来し方の記憶だった。
それらは瞬く間に数多の流星となって四方八方からクルドを射抜く矢となり、洪水となってクルドを呑み込んで、やがて銀河のように渦巻き始めた。極彩色と大音の奔流はクルドの意識を侵食し、暁の如き白光を放ち始める。
世界の扉が開かれてゆく。
その向こうに今、立ち現われかけているものは、世界も次元すらも遥かに超越した、大いなる意思そのものだ。クルドを含む一切の存在を生み、許した意思。
(……ああ……)
巫覡としての、恍惚に眩む。畏怖に慄く。
境界を超えるその刹那は、己の精神と肉体とを手放すに等しい。日頃は拘りがない分滅多に動じないクルドが、唯一、本能的な"恐怖"を強烈に感じる瞬間だった。
まばゆい白光が、雷撃の如き閃光に変じ、この身を貫き爆発した、と思ったその時。
「またアンタかい!」
尾てい骨に響いた振動と、聞き覚えがあるというには余りに聞き慣れた定型文の怒鳴り声に、急速に意識が引き戻されてゆく。玄関辺りから聞こえてくる嗄れ声。あれは。
(…またあのバアさんか)
朦朧とした意識で思う。
御歳九十を越すとの噂だが、ドアを蹴り開ける腕力脚力といいたいへん健やかな、車輪亭隣にお住まいの婆さんだ。万来不動産で車輪亭を購入して以来、彼女は何かと大家ヅラでクルドたちの暮らしに口を出してくる。
「まったアンタとこが煙いって思ったら、ご近所みんな『線香と樟脳混ぜたセメンダインのプールでも作ってんじゃないか』って、アタシが叩き起こされたの何度目だと思ってんのかい!人が気持ちよく昼寝してりゃあもう!」
玄関のドアは…施錠し忘れていたようだ。
いつからだ?
あぁ。昨夜、夕飯を買って帰ったときから、だったかもしれない。
「クク…ははは、」
気付けば床に倒れていた。痛む腰を摩りながら身を起こし、香の染みた白髪をかきあげる。玄関から抜けても未だ室内を薄らと漂う乳紫色の薫煙の中、金の虹彩を、ゆっくりと瞬かせた。
「久々に見ちまった……」
ははは。
笑いが止まらない。
大層な御面相の愚神や従魔とご対面しても、こんな笑いが出ることはない。
万年春の陽気の如きボンヤリ具合と評されがちなクルドが、肺腑の底から、深く息を吐いた。
「ちょっと聞いてんの!居るのわかってんだから出て来なさいよ、もう!」
シャーマン体質の己には極めて強く作用したようだが、近隣の住人には線香だのと感じる程度の影響で済んだようだ。魂を持っていきかねないシロモノだった。幸運だった。
「バアさん、落ち着けよ。血圧上がって死んじまうぞ」
玄関に顔を出し、婆さんを手招く。
「スルメ、人から貰ったんだ。七輪で焼いたら旨いヤツだ。向こうの縁台で焼いて食うつもりだったんだが、何でか線香臭になっちまってなぁ…、なんて、まぁいいだろ。バアさんも食うだろう、炙りスルメの七味マヨ」
大将から教わった食い物の一つだ。
今までの剣幕はどこへやら、あらそ?などと言いだした婆さんの先に立ち、クルドは旧食堂脇の戸を引き開けて、庭先から澄んで青い秋空を見上げた。

七輪を囲んで、箸を扱う。食欲をそそる香ばしい匂いと弾ける炭火。網の上でスルメが音を立てて身をよじっている。
ほんの先刻垣間見た世界が嘘だったかのように、風が爽やかに心地良い。

「……スルメの焼ける匂いもいいもんだ」

世界の此岸と彼岸は、こんなにも近くて遠い。



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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【aa1641hero002/踏青 クルド/男/22/調香師、香料治療師、シャーマン】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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初めまして、工藤彼方と申します。
このたびの発注、たいへんありがとうございました。
ひょっとして、今回はクルドさんの初ノベルでしたでしょうか…?(違いましたら申し訳ありません)
婆さん強すぎ疑惑のアロマティック・トランスストーリーでございました。
マイページ等から探り探り書かせて頂きましたが、イメージと違う!などなどございましたら、ご遠慮なくリテイク希望を仰ってくださいませ。
あらためまして、ありがとうございました。
おまかせノベル -
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2018年11月09日

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