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『獅子について 』
空月・王魔8916

 後は任せた。
 それが空月・王魔の雇い主の決めゼリフだ。
 普通に考えれば口癖ということになろうか。なにひとつ考えていなくても自動的に垂れ流されるフレーズ。まったく、どこで憶えてきたものか……
 ため息をつく王魔だが、それこそ考えてみるまでもないことだ。心情はさておき、本業である身辺警護に留まらず、事の大小すら問わずに任された後をきっちりと仕末してしまう存在がそばにいれば、誰しも丸投げてしまえばいいと思うものだろう。
 とどのつまり、できないと思われるのが癪で、なんでもこなしてしまう王魔のせいと言えば威こともないのだが、ともあれ。
 奴の場合、生まれもあるのだろうな。

 雇い主の出自は素封家、ようは地位や実権を持たぬ金持ちの家である。
 今は鬼籍にある兄となにやら揉めて家を飛び出したらしいが、左腕を置いてくる必然性がどこにあった? 額に余計な傷をもらった代償とでもいうのだろうか。どちらにせよ、馬鹿な話だ。
 話だけじゃなく、本人そのものが馬鹿だからな。
 実際、本人ならぬ他人はもれなく口をそろえて同じことを言うだろう。巨万の富を投げ棄て、どうやら名声も躙って隠遁生活と洒落込むような輩、ほかに言い表し様がない。
 ただ、その思いきりのよさも、世間を知らぬがゆえのことだと考えれば腑に落ちる部分はある。言ってしまえばお嬢様なのだ。だからこそなにを前にしても「よきにはからえ」ですませてしまえる。
 言い換えれば、慣れているのだ。面倒を見させることに。だったらもう少しかわいげのある顔をしていればよかろうものを……元の立場において周りを固めていたはずの家人がひとりとして残っていない、追いかけても来てくれなかった現実はすなわち、本人の人柄のせいに他なるまい。
 しかし、しかしだ。雇い主の生活の奔放さからして、なんらかの形で財産を受け継いだか奪ったかしたことはまちがいないわけで。
 だからこそ王魔は言ってやったのだ。
 せっかくだから投資でもしてみたらいい。専門家に資産の運用を投げてしまえ。小さく堅実に儲けを転がせば、少なくとも煙草銭くらいは稼げるだろうと。
 対して雇い主は、しかめ面で返してきたものだ。
 どこの馬の骨とも知れない相手はそうそう信じられないよ。
 信じられないのはこちらのほうだ。大概のものを鷹揚に受容することこそが雇い主唯一の美点だというのに。それを本人が否定してしまったら、「懐だけは広い女だからな」と言ってやってきた王魔は今後どう雇い主をフォローしてやればいいのか?
 ――と、それは置いておいて。
 今さら言うようなことでもないが、王魔はどこの馬の骨とも知れない相手の代表格だ。紛争地帯で生まれ、体の代わりに暴力を売ってきた孤児。血でぬかるむ地雷原を踏み越えるため、どれほどの骸をこさえて踏みつけてきたものか。
『ならば私のことは信用しているのか?』
 突きつけた問いに、雇い主は苦笑を傾げ。
 身内を信じられない世界ほど面倒なものはないだろう?
 まったくもって線引きの理が知れないわけだが、どうやら雇い主の中で、彼女という存在は身内であるらしい。
 なんと迷惑な話だろう。
 この、護衛から家事、煙草屋へのおつかいまでをも押しつけられる現状が、雇い主に信用されてしまった王魔のせいでもたらされたのだとすれば、彼女は文句のつけどころすら失ってしまうことになるではないか。
 繰り言にはなるが、一応は雇い主の身辺警護を担うはずの王魔なのだから。
 まあ、その護衛すら必要か否かは知れないわけだがな。

 雇い主の喪われた左腕には剣が宿っている。その召喚に応じ、何処からともなく顕われる刃は実体、非実体を問わずにあまねく斬り払い、突き通すのだ。
 彼女の敵――残念なことに、もともとの敵ばかりでなく、雇い主が勝手に首を突っ込んで対してしまう敵も多いのだ――に佩く必要すらない刃を封じる術はなく、なにかをしかけたところで斬り抜けられるばかり。
 が、幾度となく取り逃がしてなお懲りない者は一定数存在する。先に述べたもともとの敵……主に彼女の財産の存在を知る、何親等か離れた親戚筋の者たちだ。
 彼らは裏社会やそれと繋がる者たちを使い、直接的な暴力で、そして搦め手で雇い主へ迫る。たとえばそう、マスコミを繰り、社会的に封殺しようとしたり。
 ただ、世捨て人をスキャンダルで追い詰めるのはなかなかに骨の折れる作業だ。言いがかりを積もうにも、世間は雇い主という存在を知らなかったし、彼女が関わる社会もまた、世間の目が届かぬ片隅、あるいは裏側だからなおさらに。
 しかし彼らはあきらめず、しかけ続ける。いっそそれなりの金を投げ与えてやればいいのにと思ったこともあるが、その手の輩は得れば「まだ得られるはず!」と思い込むものだ。その辺りはたった今、王魔も思い知った。
「そろそろあきらめたらどうだ? おとなしく待っていれば、その内あいつも生前分与する気になるかもしれないぞ」
 ため息を交えて王魔が突きつけたオートマチック、その銃口をにらみ返し、雇い主の親戚だというマダムは言い放つ。
「今! 今じゃなきゃ意味がないでしょ!?」
 ちなみに彼女は、まだ生きていたころの雇い主の兄から相当額を引っさらっている。それでも足りずにおかわりを要求してくるのだから、ここでまたいくらか与えたところで収まるはずはないのだ。
「この銃に詰めた9x19(mmパラベラム弾)は一発あたりおよそ50円。それがおまえの命と釣り合う値段だと思うなら――プレゼントするのもやぶさかではないが?」

 さて。これだけ脅しつけておけば、ひと月ばかりは静かにしていてくれるだろう。
 王魔は肩や足の甲を撃ち抜かれて転がる護衛どもを置き去り、マダム宅を後にする。本当ならせめて、二度と戦闘職に復帰できぬよう膝を砕いておきたいところなのだが、マダムを殺すことが禁じられている以上、ヘイトをいや増すような真似もできない。
 なんとも面倒なことだ。
 雇い主は苦笑を傾げて受け流せばすむだろうが、尻拭いをさせられているだけのはずの王魔にとっては、望まぬ因縁を増やすばかりのことである。
 これでは、どちらが馬鹿か知れんな。
 雇い主の馬鹿に付き合って、それ以上の馬鹿を演じること。それが仕事だとはいえ、実に馬鹿馬鹿しい。
 もっとも、奴を狙う輩のほうが強く感じていることなんだろうがな。
 親戚たちもそうだが、彼らの不幸は結局のところ、雇い主という存在を無視できない一点にある。
 逆に言えば無視させないだけのものを雇い主が備えているということになるわけだが、その大半を占めるものが財産であるのだから、本当に面倒ならそれこそ丸投げてしまえばいいだけなのだ。
 それをしないのは、どのような形であれ世界との関わりを保ちたい雇い主の弱さなのか、それをして世界と関わろうと肚を据えた雇い主の強さなのか。
 ふん、どちらでも同じことか。
 家という檻から踏み出した雇い主は、自らの生きる世界を探っている最中なのだろうから。
 彼女にとって世界もまた広いばかりの檻なのかもしれないが、対する者にとっては放たれた獅子であろう。牙を恐れる者があり、毛皮を欲する者があり、いずれにせよ彼女を中心にしてこの世界は回るのだ。
 もちろん、こんなことを言ってやるつもりはないがな。私にとってはただ迷惑なだけのお嬢ちゃまだ。
 王魔は息をつき、歩を進める。
 迷惑な雇い主の元へ、一歩ずつ。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【空月・王魔(8916) / 女性 / 23歳 / ボディーガード(兼家事手伝い)】
東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2018年11月12日

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