▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『Femme fatale 』
迫間 央aa1445)&マイヤ 迫間 サーアaa1445hero001

 暑かった今年の夏のある日。
 迫間 央はかつて彼の有り様を忘れ去るほどに愛し、彼の有り様をかなぐり捨ててまでもすがった“魔女”を殺した。
 ――とはいえ本当の“魔女”ではなく、その姿を映すばかりの従魔だったわけだが。
『彼女の姿を斬ること……央は平気なの?』
 彼の内より平らかな声音で問うマイヤ サーア。
 装うことは彼女の得意だ。たとえなにを思おうと、無意識に晒すような真似はしない。いや、できない。暗殺者として仕込まれてきた数々の芸がそれを赦さなかったし、なによりもマイヤ自身に勇気がなくて。
 私は怖いのよ。ここにいさえもしない魔女という存在が、央の心をどこかへ連れて行ってしまうんじゃないかって。
 技と業(わざ)とに押し隠された彼女の真意を知らず、央は渋い顔で答えた。
「見ようによってはマイヤにも似ているから、いい気はせん。だがな……前のときもそうだが、こいつらが見せてくるのは、表面的な魔女の姿だけだ」
 あえてマイヤの名を始めに置いて、央はかぶりを振る。
 彼女が魔女の名を出したのは気づかいだろうと、彼は判断していた。この的外れはさすがに責められまい。彼が人としても男としても鈍くないからこその思い違いだったから。
 だから、マイヤは乗るしかなかった。
『姿……だけ?』
 的外れをさらに外しつつあることに気づかぬまま、央はうなずいた。
「相対して感じるものがない……彼女が自らを魔女と名乗り、俺が何の躊躇いもなくそれを受け容れられた“凄みを感じない”」
 それは欠片ほどの嘘もない、純然たる真。
 央が魔女に惹かれたのは容姿などではない。生き様であり、有り様だ――すなわち“存在”だ。だからこそ、形ばかりをなぞる幻影に揺らぎはしなかった。
 でも。だからこそ俺は業が深いんだ。
 マイヤを誰より愛している。しかし、本物の魔女と対してなお、それを貫けると思い上がれるほど、彼の心は据わっていない。
 彼にとって魔女とは、それほどの存在なのだから。そして。
 もし俺が魔女を前にして揺らいだなら、マイヤはそれを引き留めてくれるんだろうか?
 この不安は甘えだ。魔女にすがったように今、俺はマイヤへすがろうとしている。愛してると言いながら、ただ一方的に自分のすべてを託して護れと強いる、ガキの理だ。
 それで一度、全部失くしたはずなのにな。性懲りもなく繰り返したがるなんて……これじゃ一端を気取る資格なんてない。
 回避特化型シャドウルーカーの最高峰。H.O.P.E.東京海上支部の面々はそろって彼とマイヤのコンビをそう評しており、ゆえに多くの若きエージェントたちから心強い先達、達するべき高みと目されていた。
 しかしその内実は……
「もはやありえないことだが、本当に本物がそこにいたなら……思わず手を伸ばしてしまうくらいの存在だったから、な」
 嘘をつききる勇気がなくて、加えてしまう。
 ああ、俺は弱い。心に蓋をして隠し通すことも、それを踏み越えて笑うこともできず、いつまでも同じように甘えてすがって悔いて――
 一方、そんな央の言葉を聞きながら、マイヤは思ってしまうのだ。
 敵は、央の記憶からあの姿を取っている訳ではない?
 としたら、あの従魔の姿は“私の心”を写したモノ。付け入られたのは央ではなく、私?
 魔女という存在に対して自身が抱く薄暗い念が、あれを映しだしたのだとすれば。
 私は願ってなんかなかったと言い切れる?
 央に討たせるためだけに、あの女を再現したことを。
 恋敵を斬らせるばかりでなく、そこに私を重ねて、斬られることで罪悪感を投げ棄ててしまおうとしたことを。
 だとしたら。本当に浅ましいわね、私は。
 しかし、吐露する勇気はなくて、押し黙る。
 ああ、私は弱い。すべてを預けるべき人にすら、この薄汚い性根を晒す覚悟を持てなくて……央を裏切り続ける。
 果たして互いに互いの弱さを知らぬまま、ふたりは戦場を後にしたのだ。


 まどろみから醒めたマイヤは、いつもどおりに目を閉じたまま気配を探り、彼女を脅かすものが存在しないことを確かめてからようやく目を開けた。
 彼女が深い眠りに落ちることはない。そのように訓練されてきたからだ。しかし、彼女にとってそれは不幸である。なぜなら、浅い眠りは思わぬ夢を運んでくるものだから。
 醒めてしまえば、それまで見ていたはずの物語は喪われるのだが……
 きっといやな夢を見ていたのね。
 ざらりと苦い夢の残滓を噛み殺し、マイヤは息をつく。
 この舌触り、なにひとつ明確に思い出せないのに覚えがあった。霞の向こうへ置いてきたはずの、過去の味だ。
 この世界にこぼれ落ちたとき、彼女はウエディングドレスをまとっていた。
 その後で自らの体をあらため、自在に我が身を繰るに足る筋肉の存在を知った。
 それだけを見れば、自分が夫を迎えるはずだった女ダンサーとでも思い込めたかもしれないが、しかし。その手にないブーケとドレスに隠した暗器の数々。そして乙女では知り得ない、男を弄する技のにおいが告げたのだ。
 マイヤ サーアが、人を殺めることを生業とした下賤な女であることを。
 不思議なことだが、その体に刻まれていて然るべき傷はなく、女のもっともたる武器であるはずの純潔もまた保たれていた。
 なぜ? 答えるものは当然なく、ゆえに思い出すこともできぬまま、彼女は自問を繰り返し――あきらめた。
 あきらめたんじゃない。私は逃げた。過去と向き合うことから逃げて逃げて逃げて、央にすがったのよ。
 今でも5秒前の出来事さながらに思い描くことができる。
『私は迫間 央です。とりあえず地方公務員をやっています』
 まるで文書を読み上げるような、色のない声音。
 央はとまどっていたし、緊張していて、それを隠そうと必死で取り繕ったからこそのものだったわけだが。
 マイヤは安心してしまったのだ。
 嘘がつけないこの男なら、いいんじゃないか?
 なにがいいのかなんてわからなかったが、多分。自分をどうされるにせよ、この男ならその理由をごまかしたりできない。そう思えたのだろう。
 それからはただ生きた。
 彼女という存在に染みついた技能を使えば、容易く籠絡できただろう。それをしなかったのは、自身の消滅を望んだ彼女が虚無の底にあったからだ。死すべき理由を思い出せず、生きるべき意義を見いだせないまま、ただそこに在るばかり。
 央はそんなマイヤになにを強いることなく、幻想蝶の内に閉じこもった彼女のそばに居続けた。
「マイヤさん、今日はいい天気ですよ。洗濯物がよく乾きそうです」
「今夜はツナパスタとトマトスープなんですけど、マイヤさんはお嫌いじゃないですか?」
「愚神が出たそうです。マイヤさん、行きますか?」
 ためらいがちに投げかけられる言葉に、ただ従うだけの日々。
 マイヤが語るのは、仇と定めた愚神や従魔と対したそのときのみだった。
 それだけのはずだったのに、ね。
「マイヤ、洗濯物干すの手伝ってくれよ。閉じこもりっきりは心に悪いしね」
「味よりもマイヤが作ってくれた料理ってところが大事なんだ。うまいってより、うれしい。うん、うまいってよりね」
「行こう、マイヤ。愚神を倒して誰かを救うために」
 いつしか言葉がくだけたころには、互いに互いの傍らを居場所だと思うようになっていた。背を合わせて寄りかかりあい、心を預けて寄り添いあって。
 いつしかマイヤは喪ってしまったものすべて、不器用で嘘のつけない央という男の誠実にすげ替えてしまった。それは恋や愛というよりも依存なのだろう。しかし、それに気づいてしまったころにはもうどうすることもできず、彼女は央を自身へ縛りつけたいあまり、彼の望みを読んでその理想を演じることになる。
 そして。そうなってしまったから、知ってしまった。
 央の胸に空いた穴へかつてはまっていたもの……魔女の存在を。
 共鳴の内で重なった央の心に、幾度か垣間見えたあの姿。本当、私はよく似ていたのね。でも、それは当然なのよ。あなたが思い描いた魔女の有り様を、魔女に似た私がそうあるように演じてしまったから。

 幻想蝶から這い出して、まだ夜が開けるまでに時間があることを知ったマイヤは、息を潜めて部屋の内を渡る。
 来た当初は央のにおいだけで満ちていたはずの部屋に、今は彼女のにおいが重なっていていた。不思議なものだ。ただ居るだけで、人はこうしてなにかを刻んでしまう。かき消えるまでに、いったいどれほどの時間が要るものか。
 ……魔女の残したにおいが消えるまでに、どれほどの時間が必要だったのかしらね。
 たどりついた先、眠りの内に沈む央を見下ろして、マイヤは静かに息をついた。
 央がいる。
 そのそばにいるのは魔女じゃなくて、私。
 たまらない安堵を覚えながら、部屋の隅に置かれた姿見に目をやった。
 自分でも美しい部類に入る女だと思う。央が魅入られてくれるほどに――あの魔女と同じほどに。
 確かめた途端、安堵は不安に押し退けられる。
 この体は私じゃないのかもしれない。だって、央に逢う前の私を、私は思い出せないのだもの。
 もしかして私は、央が望む形を与えられただけの依り代なんじゃないかしら。
 だとしたら、央が惹かれるのは当然のこと。
「マイヤ」
 ふとこぼれ落ちた央の声音に、身を竦ませる。
 マイヤの気配に反応した寝言であることはすぐに知れたが、彼女は央の眠りを妨げぬよう、息と共に気配を消した。
 呼んでくれるのね、私の名前を。
 激しく泡立っていたはずの不安が、魔法のように溶け消えていく。
 単純な女。たったこれだけのことで、こんなにも安心してしまうなんて。
 埋め合って、寄りかかり合って、あげく依存し合って、ついには添った。それだけの時を積んで、今もまとい続けるウエディングドレスで臨むべき結婚というものを約束した。
 今にして思えば、出逢ったあの瞬間にもう、このエンディングは定められていたのかもしれない。
 過去を置き去りにしてなにもかも失くして、そのときから始まった私を染めたのは央、あなたなんだから。
 そうしてあなたに染められて、あなたに初めての全部を捧げられたことは、私のたったひとつの誇りだわ。でも。
 いつか魔女があなたの前に現われたなら――それでもあなたは私を選んでくれるの?
 だって言ったじゃない。思わず手を伸ばしてしまうくらいの存在だったんだって。
 再び熱を帯び始めた不安に胸を炙られ、マイヤは荒く息を吐いた。
 結局は捕らわれ続けているのだ。魔女という存在に。対したことのない、おそらくはこれからも対することもない女の影に怯えている。
 いっそこの身に備わった閨技で央を溺れさせてしまおうか。でも、その必死は央の誠実を穢すだろう。それに。
 私には子どもを産むことができない。たとえ央の一夜を奪えても、ただそれだけのこと。一生を埋め尽くすことなんてできないのよ。
 央のとなりにいられたなら、どれほど幸いかと思う。
 しかし、央の幸いに自分という存在が障るのなら……
「マイヤ、眠れないのか?」
 眠気にくもぐる声音で、央が目をしばたたく。
「――ごめんなさい。起こしてしまったわね」
 何事もなかったように薄笑み、マイヤはそのとなりに座る。
「明日も仕事があるんでしょう? ワタシになんてかまわないで眠って」
「ん」
 央はしょぼついた目を閉じて手探り、マイヤの手を掴んだ。
 夜具にくるまれていたからか、いつも以上にあたたかい。マイヤはやさしく央の手をなぜる。
 いつも私を守ってくれる手。私を私という形に収めてくれる手。私が私を全部預けられる、手。
 でもこの手は、本当に私だけへ伸べられる手なのかしら?
「うん、手が冷たいな。中に入って。風邪でも引いたら大変だ」
 半ば眠りに引き戻されながら、央がマイヤの手を引く。
 私は人じゃなくて英雄なんだから、風邪なんて引かないわよ。胸中で漏らしつつも引き込まれるまま彼のとなりへ横たわれば。
 央はほっとしたように笑み、すぐに寝息を漏らし始めた。
 ごめんなさい、央。
 あなたを信じてるわ。でも。
 あの姿見に映る私を、私は信じ切れないのよ。私があなたのファム・ファタールであるなんて、けして言い切れない。
 だって私は――

 央の腕の内にありながら、マイヤは独り、その心を千々乱すばかりであった。


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
【迫間 央(aa1445) / 男性 / 25歳 / 素戔嗚尊】
【マイヤ サーア(aa1445hero001) / 女性 / 26歳 / 奇稲田姫】
パーティノベル この商品を注文する
電気石八生 クリエイターズルームへ
リンクブレイブ
2018年11月16日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.