『歌をきかせて 』

荒木　拓海（aa1049）＆三ッ也　槻右（aa1163）

　ソファにだらしなくしなだれかかる夫、荒木　拓海の後頭部を「お行儀が悪いよ」と小突いてやろうとした三ッ也　槻右――いや、荒木　槻右は、ふと拳をゆるめた。
　拓海の耳はスマホに繋がれたカナル式のイヤホンで塞がっていて、唇を動かしている。時折漏れ出してくる声音は確かに歌詞をなぞっていて、それはどうやら童謡であるようだった。
　ああ、そういうことか。
　拓海の第二英雄は、その愚直なまでの一途さによって悲劇を描いた親友、その傍らに添った英雄より託された存在だ。年齢にそぐわぬ幼さに揺らされる彼女のため、夫は一案をひねり出したらしい。
　それにしても、今はやりの歌でもいいだろうにね。
　なんとなく事情を察しながらも、できれば拓海に語らせたい。伴侶について知らないことをそのままにしてやるなんて、二世の誓いに対する裏切りだから。
　などと自分の心を理論武装、槻右はあらためてソファの端をノックした。

「――槻右がいるの、二秒前から知ってたけどね」
　やけに誇らしげな顔を振り向ける拓海。どうよ？　オレの妻に対する嗅覚の冴え！
「三秒以上前からいたけど？」
　ため息を返す槻右。夫面したがるならもっと先回りして嗅ぎ取ってくれないとね。そしたらいくらでも「愛の力はすごいね！」って喜んであげるから。
「それは……ちょっとくらいタイムラグあるって。最近ほら、においも同じになってきてるんだし」
　不満そうに唇を尖らせ、ソファのとなりを左手でぽんぽん叩く拓海。
「それはまあ、夫婦だものね」
　槻右は苦笑しながら夫の導きに乗り、となりに腰を下ろす。
「で、なに聴いてたの？　童謡ってところまではわかるんだけど」
「あー、流しながらいろいろ？　あの子が不安になったときに歌ってあげられたらいいかなって」
　愛しげに目を細め、拓海は笑んだ。
　その表情をまぶしげに見やりながら、槻右は思うのだ。
　拓海、すっかりパパの顔になってる。ここぞってときに存在感アピールしたがるとこもそれっぽいかな。
　でも、それは僕も同じかな。娘みたいに思ってるから。あの子のこれから先を、幸せなことでいっぱいにしてあげたいって。
「うん。すごくいいと思う」
　言葉にしてはそれだけを伝え。
「選曲の古さは気になるとこだけどね」
　とりあえず釘も刺しておく。娘が学ぶべき常識は、できるだけ最新のものにしておいてほしいから。

「うう！　不朽の名曲ぞろいだと思うんだけどなぁ」
　拓海はちょっとショックを受けながらイヤホンごとスマホをテーブルの上へ置き、眉を困らせた。
　確かに、教えた曲をあの子が外で歌うこともあるだろう。そうしたら、聴いた誰かは首を傾げるにちがいない。どうしてそんな古い曲を？　そんな小さな疑問がやがて大きく膨れ上がってしまうかもしれない……彼女は吸血鬼だから、ズレているんじゃないか？
　心配しすぎかな、とも思うけど。でも、できるだけの気づかいをしてあげたいから。あの子の行く先が少しでも曇ってしまわないように。
「落ち着かせたいってことばっかり考えてたけど、年齢的に流行りの歌のほうがいいのかな。ああ、でも、アイドルソングで振りまで強要されたら……」
「心配が先走りすぎ」
　頭を抱えた拓海に苦笑を投げて、槻右はイヤホンを左耳につける。拓海のスマホを操作し、再生。不思議なほど郷愁を感じさせるスローなメロディが流れ込んできた。ただし。
「なつかし……くはないかも」
「ちょまっ!?　全国どこでもオンタイムで見れる国営放送発な超有名幼児向け歌番組で流れてた――」
「そんな早口で説明されても。あの番組、結構オリジナルソング多いからね。僕の頃は別の歌がかかってたってだけだよ」
　拓海は思い知る。そっかー。オレと槻右、６つ違うんだもんなぁ。オレが中学に入学した年に槻右は小学校入学なわけで。そりゃちがうよね。だとしたらあの子とオレなんてもう、地層何段分もちがうってことだぁ。
「今さらだけど、オレはオレの老いを自覚したよ……」
　しょんぼり肩を落とす拓海に槻右はまた苦笑して。
「報告官が言ってたよ。介護保険料払いだして初めて老いを語る資格を得るんだって」
　まあ、なんというか老いの先達はなかなかに大変なのだ。
「うん、そうだね。気をつけるよ。少なくても、あの子に若いパパ扱いしてもらえなくなるまで」
　それも実は大変そうだけれども。なにせ第二英雄は思春期に突入しているのだ。いつ何時、男親への拒否反応を示しだすかわからない。
　その点僕はママ寄りの扱いだから大丈夫だろうけど。余裕をもって拓海をなだめてやりながら、槻右はふと思いついた。
「拓海が好きだった歌はどれ？」

「え？　えーっと」
　右耳用のイヤホンを取ってつけ、スマホを操作する。拓海は槻右の右にいるから、当然頬を寄せ合うことになる。
「うあー、なんかいいな、こういうの！」
　拓海の頬に灯った熱が槻右の頬へ染み入ってくる。今さらなに照れてるかな。そう思いながらも、槻右の頬も熱を帯びる。
「オレたち、運命に見逃されなかっただけのことあるな」
　照れ隠しに達観してみせ、拓海は槻右の熱に目を細めた。落ち着いた関係にも憧れるけどさ、やっぱりいつまでも慣れきっちゃわない関係でいたいよな。
「それだけは僕も疑わないよ」
　甘やかにささやきを返し、拓海の指を視線で追う槻右だったが……そのスクロールが止まらない。拓海、いったい何曲用意したわけ？　しかもそれ全部、ソラで歌う気だったの？
　子煩悩すぎるなぁと思いつつも、とりあえずツッコまないでおいてあげようと決めた。優しさではなく愛で。結局、僕はこんな拓海が好きなんだよねぇ。
「あった、72曲めのこれ！」
　せめて先頭に置いておけばよかった。そしたら槻右も『とりあえずツッコむのはやめといたげよう』とか思わなかったよなぁ。なんとなく相方の心情を察しながら、拓海はタップして再生準備を整える。
「槻右は知らない歌だと思うけど」
　親のせいで自給自足生活に付き合わされていた彼にとって、あの歌番組はオアシスだった。せっせとお手伝いしては太陽光発電で得た貴重な電気をお駄賃代わりにもらい、古いテレビから流れ出す歌声に酔いしれた。
　今はあの暮らしも悪くないなって思えるけど、あのころはそんな余裕もなかったしね。
　その話はすでに槻右へもしていたから、きっと察してはくれるだろう。でも、あえて口にする。
「それでも聴いてほしいんだ。４歳のオレの心、いっぱいにしてくれた歌」
　果たしてイントロが流れ出した、そのとき。
　唐突に槻右が自分の耳からイヤホンを外して、拓海のイヤホンも抜き取った。
　意外すぎる展開に拓海はうろたえる。え？　え？　なに？　オレ、槻右のこと怒らせた？　いやいや、そんなわけないよ、な？　だって、ただ歌聴いてくれって、それしか――
「聴かせてよ。僕の知らない歌手の声じゃなくて、僕に４歳の思い出を伝えたいって思ってくれた拓海の声で」
　言わなくても察する鋭さを持ってあげるつもりなんてないよ。だから話して聞かせて。歌って聴かせて。僕をいっぱいにするのは、全部拓海じゃなきゃいやだから。
　槻右をまっすぐに見返した拓海の目から、とまどいが消えた。
　答えなきゃいけないし、応えなきゃいけない。オレじゃなきゃやだって言ってくれた槻右に、オレを尽くして。
　果たして心を据えて。
「あ、でも、歌手みたいには歌えないからね」
　一応は言い訳も終えて、息を吸い込んだ。

　歌うというよりも語るような拓海の旋律。
　きっと元はポップでリズミカルな歌なのだろうが、そこへ映し込まれた拓海の思いは限りなく優しくて、やわらかくて――槻右はつい、浸ってしまう。
　この歌に救われたんだね、４歳の拓海は。
　拓海は自分ががんばるしか取り柄のない、ヒーローになんてなれない人間だって言ってたけど、そうじゃないよ。うん、そんなものじゃないんだ。
　いつしか淡いまどろみの内へと槻右は迷い込んでいく。

　拓海は歌声を少しずつ絞り、笑んだ。
　子守歌になるとは思ってなかったけど、これはこれでよかったかな。いつもいろいろがんばってくれてる槻右が少しでも休めるなら。
　でも、オレは槻右の支えになれてるのかな。なにもできないオレが一端の振りをできてるのは、全部槻右のおかげなのに。
　沸き上がる不安がふと声を途切れさせる。
　オレが完全無欠のヒーローだったら、こんなことで悩まなくてよかったのに。
「僕を救ってくれたのは拓海だよ」
　目を閉じたまま、槻右が拓海の迷いへ声音を割り込ませた。
「誰かを救うのは完全無欠のヒーローなんかじゃない。ほんとに小さなやさしさと、それを差し伸べてくれる強さなんだ」
　上から突き下ろすのではなく、横から差し伸べられた拓海の手。「救ってやる」ではなく「救いたい」気持ちで伸べられたやさしくて強い手が、槻右を立ち上がらせてくれた。
「歌ってあげて。どんなに辛い夜の底へ落ちたって、きっと拓海の声はあの子を明るい朝まで導けるはずだから」
　言い終えた槻右は薄く目を開け、今度はいたずらっぽく笑んで。
「でも、独り占めできないのは残念かな。聞き分けのいい妻って役どころ、こういうときはいやになるよねぇ」
「歌うのは家の中でだけにしとくよ。そもそも知らない人に聴かせるようなレベルじゃないしね」
　槻右に笑みを返した拓海はあらためて誓う。
　オレはヒーローになるよ。みんなのじゃなくて、槻右と家族のための。この手も歌も、そのためにこそ尽くす――って、言い切れないのがオレの性なんだけどね。
　正直なところ、誓ったところでどれだけのことができるものかはわからない。でも。
　わからないからこそ、全力だ。
　カッコよくなんかないし、背中で語ったりもできないけどさ。形振り構わずがむしゃらに、走って走って走って、絶対間に合ってみせるから。
「よし、そうと決まれば歌の続きだな！　200曲一気に行くよ！」
「やめてやめて、夕飯に間に合わなくなるから！」
　ふたりはスマホを巡ってわいわいじゃれ合いながら、ただ互いのためだけに浮かべた笑みを交わす。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【荒木　拓海(aa1049)　／　男性　／　28歳　／　槻右は嫁！】
【三ッ也　槻右(aa1163)　／　男性　／　22歳　／　拓海の嫁///】

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2018年11月19日