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『七つの奇蹟 』
天間美果aa0906

 天間美果は妊婦である。
 現在は六ヶ月に入り、普通であればそろそろ外でもお腹を見た人が「ああ」と気づくようになる、そんな時期ではあったが……
 週に数百グラムずつ増加する程度のはずの体重は数キロ単位でいや増しており、さらに加速中。いくら五つ子を宿し、妊娠初期から臨月を超えるほど膨れたお腹を抱えてきたとはいえ、この有様はあまりに常軌を逸していた。

「先生、この子たちは大丈夫ですよね?」
 H.O.P.E.東京海上支部の提携病院に収容され、アイアンパンク用の耐高重量仕様ベッドへ横たわる美果が、お腹を支える手に力を込めて担当医に問う。
「現状、お子さんに影響はありませんが……天間さん、あなたには大きな影響が出ています」
 担当医曰く、美果の体は英雄との間の“絆”に影響を受けているらしい。
 そして絆とは「暴食」。英雄が備えた業であり、元はスレンダーだった美果を大食へ駆り立てた呪いである。
「天間さんは現在、食事制限によって糖質の摂取量を最低限に抑えている状況です。が、実際には摂取していないはずの糖質を生成し、脂肪に変え続けていることが検査で明らかとなりました。……残念ながら、それを止める術は見つけられていません」
 痛ましげな担当医だが、美果は安堵の息をつく。
「子どもたちが無事ならいいんです」
 H.O.P.E.の提携なだけあり、英雄絡みで引き起こされる異変の知識と対応には定評のある病院で、医師だ。難しいことは丸投げにしておけばいい。
 もちろん本意などではなかったが、今自分にできることは、安静を保ちながら体力と筋力をつけ、できうることならば出産のときまで自分という母体を繋ぐこと。
 縁起でもない、そう思う。限りなく大きな愛で彼女の巨体を包み込んでくれる夫に申し訳ない。しかし。
 不安、そうね。あたし、不安でたまらないのよ。
 食事療法に努め、暴食の衝動を無理矢理にねじ伏せてきた。
 水泳を基本とし、脚に負担をかけぬよう運動メニューを組んでこなしてきた。
 夫との愛を確かめ、空の胃に詰め込まれた疲労を癒やしてもきた。
 そのはずが、この有様で――
 もしかしなくとも、英雄と出逢いさえしなければこんなことにはならなかったのだろう。それでも英雄と出逢わなければとは思わないけれど。なぜなら、本当の自分になれたのは彼女のおかげだから。
 子どもたちもきっとあなたを大好きになる。だから……もしあたしがいなくなっても、どうかあの人といっしょに子どもたちを守って。
 とんだ弱気だと、ひと月前の美果なら自分を叱りつけていただろう。が、自らの足で立つことすらおぼつかなくなった彼女にとって、眼前にあるものはこれから先よりも行きつく果てだった。
 このまま、あなたたちの泣き顔も笑顔も見れずに逝かなくちゃいけないのかしら?
 果たして自分は天国へ行けるのだろうか? こんなに重い体では飛べなくて、幽霊として残される? それとも暴食の罪で地獄へ墜とされるのかも。
 ああ、神様がどれかを選ばせてくれるなら、この子たちが巣立つまででいい。この世界に置いておいて。そうしてくれたらあたし、自分で地獄の底へ飛び込むから。
 お腹に圧迫された横隔膜はうまく伸縮してくれず、息を塞いでくる。苦しい息を必死で繰り返しながら、美果はそれでも巨大なお腹にやさしく手を這わせ、下から持ち上げた。
 ほんとにごめんなさい、こんなお母さんで。でも、誰よりあなたたちを愛してるわ。あたしの命でよければいくらでもあげる。だからお願い……元気に生まれてきて、幸せに生きて。
 愛しさが不安を押し割って溢れ出し、愛しさは降り落ちてくる不安に飲まれて千々に砕け散り、以前よりもさらに色濃い不安で彼女を張り詰めさせる。
 このまま爆ぜ飛んじゃいそう。
 美果の膨張速度を考慮し、伸縮性の高い素材で特注されたマタニティパジャマ。それすらもすでにストレッチの許容範囲ギリギリな状態で、これではいつ破れてしまうかわからない。
 怖い。怖い怖い怖い怖い。どうしたらいいのかわからない。
 美果は衝動に突き上げられるまま頭を抱えて転がりかけて、気づいた。
 ――こんなときなのにあたし、守ってる。
 生まれ出でるときを待つ子どもたちが押し潰されてしまわないように、無意識のうちお腹をかばっていたのだ。
 押し潰されてしまいそうなあたしが、押し潰さないように……
 ああ。そう、そうよ。
 あたし、お母さんなんだもの。
 あなたたちを誰かに託すなんて、いや。
 あなたたちがひとりで歩き出すそのときまで、このあたしが守り抜いてみせるから。
 そして美果はベッドサイドテーブルの引き出しを探り、あるものを取り出した。
 エージェントとしての彼女を象徴するサングラス。
 いつもしていたように右手をかるくひと振り、折り畳まれていたテンプルを伸ばし、装着する。
「私はエージェントM。現在の任務は、五つ子の無事を保って出産すること」
 黒スーツを持ってきていなかったので、今ひとつ絵面としては締まらなかったが、かまうものか。心が据えられてさえいればそれでいい。
 ナースコールで看護師に来てもらい、管理栄養士と担当医にアポイントメントを取りつける。
「無茶はしないけれど、多少の無理は厭いません。鍛えなくちゃ。なまった体も弱い心も」

 それから美果は、医師とトレーナーの指導を受けながらの運動を開始した。最初は体をかるく動かすところから始め、徐々に可動域を拡げながら負荷を増し、水泳に加えてマシントレーニングをこなし……
 ダイエット効果は暴食の影響もあってなかったし、臨月へと近づくにつれお腹はさらにその大きさをいや増していったのだが、数週間で再び、自らの脚で立てるまでになった。
 食事のほうも、管理栄養士とライヴス関連の研究者が協働して考案してくれた特別メニューによって大きく改善された。
 便通に悩む妊婦は多いが、水溶性と非水溶性の食物繊維を織り交ぜた献立、そしえ日々の運動の効果もあって、身体的な悩みを抱かずにすむようになった。
「暴食の影響は今も色濃いですが、天間さんは確実に健康体へ近づかれています」
「ええ、みなさんのおかげです」
 美果は艶然と担当医へうなずいてみせ、笑んだ。
 心に力を灯せさえすれば、おのずと体にも力が灯る。そして体に力が満ちれば、おのずと心にも力が満ちる。
 あたしは誰にも英雄の影響のせいだなんて言わせない。あの出逢いは奇蹟だったんだから。
 次いで大切な夫を想い。
 もうひとつの奇蹟――あの人と出逢えたことに、なによりも感謝しているわ。だってあたしの女の幸せは、全部あの人がくれたものなんだから。
 ふたりが支えてくれたからこそ、自分は今ここにいる。そして。
 三つめの――ちがうわね。あなたたちがあたしにもたらしてくれる五つの奇蹟、それを迎えられる日が待ち遠しくてたまらない。
 暴食は七つの大罪のひとつだというけれど、あたしには七つの奇蹟があるのだもの。たとえ大罪が全部あたしに押し寄せたって、負けるはずがない。
 ううん、負けない。
 美果は装着したサングラスを下へずらし、黒き瞳を世界へ向けた。
 ここには数多の困難があり、苦難がある。それでも逃げ出したりしない。エージェントMはいつだって真っ向から迫り来る障害をぶち破ってきたし、五つ子のお母さんは同じように真っ向からすべてをぶち破ってみせる。
 天間美果、幸せに向かって踏み出すわよ――!


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【天間美果(aa0906) / 女性 / 30歳 / マザーM】
  
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2018年11月21日

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