▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『にのみつ道中記 〜野暮天の片〜 』
ニノマエaa4381)&ミツルギ サヤaa4381hero001

 江戸。八百八町とは云うけれど、それは筍さながら増え続ける町を数える手間を惜しみ、語呂のいい数でくくっただけの、人の生活をくくった場に過ぎない。そして。
 そんな江戸のただ中の、いくつあるかも知れない町のひとつ、さらにその片隅で、ニノマエは凄まじい顔で卓上の笊蕎麦を見下ろし、唸っていた。

「辛気くせぇだけなら我慢もしてやろうってもんだけどさ。唸られたんじゃ気が気じゃねぇよ」
 噛みつかれちゃあたまんないっての。
 異邦人ならではの異相を傾げたミツルギ サヤは、蕎麦の盛られた竹笊をつと引っぱってニノマエから遠ざけ、息をついた。
「なぁ」
 その指へ追いすがる、低く絞られたニノマエの声音。
「なんだい?」
 あきらめて肚を据えるサヤ。
 ニノマエに逃がしてくれる気はないようだし、ならば逃げるよりあしらうほうが手間は少なくてすむだろう。先に言っておけば、それはまったくもって読み違いだったわけだが……
「御膳蕎麦ってよ、こいつはそんなシロモノか?」
 御膳と言いつつ膳はなし(これは御膳がただの蕎麦より高級であることを示す枕詞だからだ)。しかしながら値段は屋台のかけそばの三倍、四十八文。確かにうまいような気はするが、だからといって味までが三倍かと言うと――正直、わからない。
「親父の夜鳴きたぁモノがちがう。そいつをたっぷりの湯でかいて、綺麗な湯で洗ってあんだ。まずいわけがねぇや」
 語尾に六方詞を交えて突きつけるサヤである。
 ちなみにこの時代の笊蕎麦、ゆでたものを笊に取ってぬるま湯で洗い、さらに熱湯をかけて蒸らしたものが供される。たとえ混ぜ物のない上等な蕎麦だとしても、コシも香りもあったものではないわけだ。このあたりは現代の蕎麦と大いに異なる。
「なんかつゆも辛ぇし、これじゃ噛んでる横から水差さねぇとじゃねぇか」
 どっぷりと汁に浸した蕎麦をもそもそと噛む。
 辛い、やわい、そして辛い。
 三白眼をギラつかせて塩気に耐えるニノマエに、サヤは盛大にため息をついてみせた。
「野暮晒してんじゃないよ。つゆに蕎麦の先をちょいとつけてすすり込む。そんでひぃふぅみぃ、そんだけ噛んだら飲み込んじまう。蕎麦は口じゃねぇ、喉で食うもんだ」
 まわりの客が思わずニヤリ、頬を緩めた。あの南蛮女、言葉もよく使うが、いいのはそれよか心意気だ。向かいのぶすくれた野暮天たぁモノがちがわぁね。
「うるせぇよ。野暮でいいんだ俺は。通気取りは性に合わねぇ」
 言い返しながら酒を呷り、ニノマエはブツブツ垂れ流す。
「ったく、いいもんでも食やあちったぁ震えも落ちるかと思ったのによ。辛くて震えるんじゃしょうがねぇ」
 実はニノマエとサヤ、浄瑠璃を見てきた帰りである。
 彼らの稼業である魑魅魍魎退治、それは“のぞみ”の屋号を掲げた口入れ屋に斡旋されて流れ来るのだが、とある武家に憑いた怨霊を退治た彼らに、その家の新造から礼金のおまけとして招待された。
 そして今日の演目は「道成寺縁起」、すなわち安珍と清姫の物語だったのだ。
「それもなんだかねぇ。あんだけおっかないもんと殺りあってるくせして、作りもんのお化けが怖ぇだなんてよぅ」
 ニノマエからちろりを取り上げ、自分の杯へそそいだ酒を舐める。慎みのない行為ではあるが、鋭い容貌を江戸の粋で崩した異邦の女にはやけに似合っていて、まわりに眉をしかめるような者はなかった。
「そういうもんじゃねぇだろ。人みてぇに動く人形ってだけでおっかねぇのにあのガブときたらもう……なんでおまえ、平気で見てられんだよ?」
 ガブとは、文楽や浄瑠璃の人形で用いられるしかけ首(かしら)を指す。たおやかな女の顔が一瞬にして鬼へと変じる様は、熟達の三人遣いの手、さらには太夫の絶妙な語りと三味線の唸りで恐ろしく情感的に演じられて……
「おめぇがあんまり泣きわめくもんだから、三味の音聴く隙もありゃしなかった」
 三味弾きであるサヤは当然、三味線目当てで行っていたわけだが、ニノマエの反応に気をよくした演者たちがいつも以上にやる気を出し、彼をもっと怖がらせようと技を尽くし始めてしまったのだった。そのため、他の客はもれなく置き去りで、しかたないのでニノマエ見物に興じるという有様に。
 確かにいい見世物ではあったと言わずにおいてやったのは、武士ならぬ相棒の情けというやつだ。
「泣いてねぇよ! でもまあ、袖つかんじまって、その、悪かったな」
 精いっぱいの意地に謝罪を添えて、ニノマエは間を繋ぎたくて、つなぎの入っていない蕎麦をすする。うん、まじ辛ぇ。
 ニノマエにしがみつかれたせいでよれてしまった着物の袖を見下ろし、サヤはふん。鼻息を吹いて。
「出かける前に“のぞみ”から使いが来てた。池袋村に蛇女が出たとよ」
「出るのはやっぱ夜か? なら、ここでゆっくりもしてらんねぇな」
「……作りもんの蛇女で騒いでたおめぇが、本物は怖がんねぇって、なんの道理だい」
「は? 生きてんのか死んでんのか知らねぇが、はなからバケモンなんだろ? そんなんぶった斬っちまえば終いじゃねぇか。それよかおまえ、もう飲むなよ。指が狂っちゃ困んだからよ」
 急ぎ蕎麦の残りを汁にぶちこんですすり上げ、ニノマエは盛大に顔をしかめた。だから辛ぇんだっての! なんで俺はこう、何回もおんなじことやらかすんだよ!?
「なめるんじゃねぇよ。玄人がこれっぽっちの酒で掻き損なうもんかい」
 サヤは伝法に言い放ち、汁を肴に酒を呷る。ああ、ほんとなら出汁巻、そうでなきゃ板わさでやりてぇとこなんだけどねぇ。
「水飲め水! 酒臭ぇ息撒き散らされたら隠れてらんなくなるだろうが」
 ったく。景気づけってもんすら弁えねぇ野暮天に、水まで差されちゃかなわねぇ。あたしゃニノマエのつゆでも醤油浸しのツマでもねぇんだよ。そも、まっすぐぶっ込むしか能のねぇ馬鹿野郎が、隠れるとか頭使うふりしてんじゃねぇや。
 胸中で言い捨てて、サヤはしかたなしにそわそわと店の口で待つニノマエを追った。


「てぇっ!」
 遣い手の生気を吸い上げて邪を討つ法剣、死出ノ御剣を構えたニノマエが蛇女へと斬り込んだ。
 その体はすでにいくつもの深手を負い、蛇身にくびり折られた左腕は不格好な雷さながらの有様であるが、しかし。
 蛇女の耳まで裂けた口内に牙はない。ニノマエが役に立たなくなった左腕へ噛みつかせておいて固定し、生気を注ぎ込んだ光刃で切り落としたのだ。
「てめぇの手がいらねぇのかよ」
 三味を握ることで六方の色を増した声音を苦笑させ、サヤは鼈甲の撥を「葬々」の糸へ這わせる。
 キィィィィ、まさに呻き声さながらの音が夜気を掻き、震わせて。その鬱々とした響きで蛇女に繰られた小蛇どもを八つ裂いた。
「辛気くせぇ顔してねぇで、せめて笑って見送ってやれや」
「辛気くせぇのはその三味の音だぜ!」
 言い返すニノマエだが、こればかりはしかたない。三味線「葬々」は、なにを弾こうと陰気な音しか奏でられないのだから。
 蛇女の腕を御剣で払い、その額に己の額を打ちつける。
 怪異の眼にはしった動揺を、ニノマエは嗤う。
 どこから這い出してきたもんか知らねぇが、頭突きくらってあわてる奴なんざ怖かねぇんだよ!
 打ち合った反動で大きく離れるニノマエと蛇女。
 蛇女は人ならぬ声音を紡ぎ、ニノマエの心の臓を引っつかんで締め上げたが。
 ドン、ドン、ドン、ドン、一定の拍を刻むサヤの三味がニノマエに教え込むのだ。心の臓をどんな速さで縮こめ、押し広げたらいいものかを。
 ま、そんなもんで離してくれるほど、甘かねぇけどな。
 ニノマエは呪句を押し退けて一歩、また一歩と踏み込んでいく。
 ひぃ。ふぅ。みぃ。よぉ。サヤの拍に合わせて足を進め、鼓動を鳴らす。息と共に押し詰められた血が、含んでいた息をすべて損ない、三白眼を暗く霞ませた。
 しかし、法剣に灯る光は……ニノマエの命は、よりいっそうの輝きをもって彼を敵の懐へと導くのだ。
「とぉでとっとと通りゃんせ、だぜ」
 見えぬ目を据えた光、それを直ぐに伸べ、突き当たったものをそのまま突き通す。
 果たして眉間を貫かれた蛇女は、声と共に命を失い、崩れ落ちた。


「夜んなると冷えるなぁ」
 ぶるりと体を震わせ、ニノマエはかろうじて無事を保つ右腕で自らを抱え込んだ。
「あれだけ血ぃ流したんだ。そのせいだよ」
 サヤは御剣を添え木代わりに固定したニノマエの左腕へ毒抜きの符を貼りつけ、あきれた声を返す。
「なあ、蕎麦たぐってこうぜ。あっついとこ、ずずっとよ」
「蕎麦なんざもう食ったじゃないか。しかも親父の二八だろう? わざわざ回り道してくほどのもんかい」
 ニノマエ馴染みの屋台は、味よりもなによりも熱さを食わせる店だ。せっかくお高い蕎麦を食べてきたというのに、今さらまずい蕎麦なんて――
「やっぱ俺ぁ高ぇもんより好きなもんがいい」
「野暮だねぇ」
「野暮でいいんだよ、通気取りよかぜんぜんいい」
 迷いのない応え。
 初物を愛で、流行を先取り、見栄を張り合うのが江戸っ子というものだ。今日食った高い蕎麦は明日の話の種になるし、知り合いを悔しがらせられるだろう。
 そんな意気と粋を捨ててしまうニノマエは、この町では嗤われるばかりの野暮天だ。しかし、野暮を野暮と知りながら貫いてみせるその生き様は、ひっくり返って粋なのかもしれない。
「種ものはあったっけかね」
「しなびた牛蒡しか入ってねぇしっぽくはあるぜ」
「野暮だねぇ」
 もう一度唱え、サヤはあらためて思う。
 結局のところ、ニノマエという男はあるがままに生きていくよりないものなのだ。どれだけ騒ぎ立て、野暮を晒そうとも修羅場に立てば据わる。業火で炙られた板上をまっすぐ駆け、「突ん抜く」ことこそが、ニノマエの質。
 だったら野暮を通して天まで昇ってみせやがれってんだよ。言われるまでもねぇて話なんだろうけどさ。
「ま、付き合ってやるさ」
 最期の最後までね。
 サヤは胸中でうそぶき、ニノマエを支えて歩を踏み出した。


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
【ニノマエ(aa4381) / 男性 / 20歳 / 不撓不屈】
【ミツルギ サヤ(aa4381hero001) / 女性 / 20歳 / 御剣】
おまかせノベル -
電気石八生 クリエイターズルームへ
リンクブレイブ
2018年11月22日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.